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5 看病の果てと高貴なる血の瞳

 ベッドの傍で、私——セシリアは小さく息を吐いた。意識不明状態だったあの幼子の指先は、前に比べてずいぶん動くようになった。にもかかわらず、言葉はまだ出ないし、焦点の定まらない瞳が周囲を彷徨うばかり。一方で他の子どもたちも回復傾向ではあるけれど、いくら私が薬を投与しても完全には元気にならない。先代側妃の亡霊だとか、妖怪じみた噂を囃し立てる連中が後ろでギャーギャー騒ぐ声にも、さすがにうんざりしてくる。


     


「伏せておくべきだろうな」


     


やや低めの声が背後から聞こえる。振り返れば、いつの間に現れたのか宰相アレクシスが見下ろしていた。私が幼子の額に触れているところをじっと見つめている。相変わらず近い距離感だ。警戒して体を引こうとすると、彼は無言のまま手首を軽く押さえた。ちょっと、連日の睡眠不足で頭がぼんやりしているのに、こんなスキンシップは迷惑以外の何物でもない。 


     


「この子の血筋、証明するつもりはないわ。立場が変にややこしくなるだけ」


     


そう言い切ると、アレクシスの瞳が一瞬だけ細まった。隠し事は嫌いらしいが、今はそれが命綱。そんな暗黙の了解が、ため息とともに私たちの間で合意された。大げさに礼を述べる代わりに、アレクシスは所在なげに幼子の寝顔を見つめる。まさか宰相様がこんなまっすぐな目をするなんて、こっちが想定外だ。


     


「ま、少なくとも今は黙っておいてあげる。狙われるのも御免被りたいし」


     


私が皮肉を交えながら呟くと、彼はやれやれとばかりに肩をすくめた。「そうだな。余計な者の目を引けば、また刺客にでも襲われかねない」とまで言う。どうせ私たち、すでに毒盛り騒ぎの当事者扱いなんだから、少しいまさら感が否めない。それでも念押しする彼の仕草は、妙に優しさが垣間見えて、ちょっと気味が悪い。恋愛感情とかいう面倒くさい期待はお止めください、と心の中で張り紙を出しておきたいところだ。


     


保育室を見回すと、一部の子どもは明るい声を取り戻しつつある。一方で、まだぐったりと眉間に皺を寄せる子もいて、全員が一挙に回復!なんて都合のいい展開はない。まあ、焦らずに薬と休息を続けるしかないだろう。それなのに、侍女のひとりが私にすがりつくように言った。


     


「セ、セシリア様、昨晩もあの廊下に亡霊が出たそうです!“先代の側妃が赤子を探している”って噂で……ひぃぃ」


     


うわあ、もう聞き飽きたけど、こうも怯えられるとこちらまでゾクッとする。夜な夜な廊下で誰かが漂っているのは事実かもしれない。けれど妖怪退治の管理外業務を、なぜ私が担当せねばならないのだろう。ホラーはカロリーが高いので御免被る。


     


そんな中、文書管理官のヴィクトールが息を切らしながら入ってきた。手元には山済みの資料の束。やれやれ、また厄介な報告かと直感したら、予想は的中。


     


「外の農地、さらに被害が拡大してます。原因不明の腐敗が一気に広がり、疫病の疑いも濃厚です。これは誰かが意図的に……」


     


瀟洒な顔立ちが青ざめている。間違いなく、作物被害を見ただけではないだろう。誰かが仕掛けているとなれば、私の大嫌いな陰謀劇がまた盛り上がる。先代側妃の亡霊だけでも懲り懲りなのに、今度は外の畑までゴーストタウン化とは。どれだけ飢餓と混乱を楽しみたいのやら。


     


「もういっそ、こっちも毒とか薬とか総動員して応戦したいところだわ」


     


私が冗談めかして言うと、ヴィクトールは苦笑しつつ「人道的にアウトです」と舌先でたしなめてくる。あー、わかってますよ。いくら私でも、容赦なく毒を配布して除草するわけにはいかない。それにしても誰の仕業か、マリアンヌが暗躍している気配はありすぎるし、イザベル妃の背後にもいろいろあるはず。気を張ってないと、ほんとに寝首をかかれそう。


     


そんな話に花を咲かせていたら、宰相様情報がさらに追い打ち。「王太子・エドワード殿下が、昨夜から急に熱を上げて倒れたらしい」と耳打ちしてくるのだ。わざわざ声を潜めるあたり、事態がかなり切迫している証拠だろう。果たしてこれは毒なのか病気なのか、それとも亡霊を真に受けて精神的に参っているのか。


     


「私に診断を頼むって? はあ……また面倒くさい大仕事が増えそうね」


     


正直、うんざりする。私はただの薬師で、決して王族の主治医じゃない。上層部は自分たちの医師を信じきれなくなったのか、まじめに働いてる人が気の毒になる。けれどアレクシスは口角を引き上げ、確信じみた面構えで言い放つ。


     


「お前がいないと、もう動きようがない。頼めるか?」


     


あまりに真っすぐ言われると……困る。私は政治の道具になる気はないが、放っておくと被害が広がるのは嫌いだし、しかも子どもが絡む話は何かと心が痛む。仕方ない、と腹を括るしかないのだ。


     


「わかった。診るだけよ。変な詮索はしないでちょうだい。あと、妙な恋愛フラグを立てようとする侍女はまとめて摘み出してね。正直もう胸焼けするの」


     


最後は余計な本音がこぼれた。噂によれば、私に“色目を使って狙う”なんて勘違い貴族も増えているらしい。この状況下でアジテーションしてくるとか、頭の中に毒でも回っているのかと思う。


     


アレクシスは小さく噴き出しながら「今は君に惚れる連中より、亡霊推しが多いかもしれないがな」と皮肉を言ってくる。どっちもゴメンって感じなんですけど。妖怪でも色魔でも、もはや対策するのは私しかいないってどういう構造よ、と内心ぶつくさ唱えつつ、子どもたちの様子をもう一度ざっと確認した。


     


そのうちのひとり、あの気になる幼子が小さく手を握ってきた。視線はぼんやりしつつも、確かに私を捉えている。何か伝えたいのかもしれない。高貴な血が流れていようが何であろうが、この子がここで生き延びることは、大きな意味を持つに違いない。


     


「ほら、もう少し休んで。今度はちゃんと目覚めなさいよ」


     


そう言い聞かせると、子どもは微かな頷きで応えた。小さな安堵と共に、この先の激動が待っている覚悟が腹の底に生まれる。イザベルやマリアンヌがどんな手段を取ってくるか、考えただけで胃が痛い。ヴィクトールからの報告で、畑の被害や疫病の拡散もさらに深刻になるだろう。王太子の病も絡み合えば、陰謀はますます迷走しそうだ。


     


けれど、引き返せないなら、前に行くしかない。亡霊が出ようが、毒がばら撒かれようが、私にはまだ解明すべきブラックボックスが山積みだ。 


     


「よし、分かったわ。次は王太子の寝所へ行ってくるから、留守中に亡霊が出てもがんばって対応してちょうだいね」


     


他の侍女や子どもたちが「えええー」と悲鳴を上げても、私はまったく耳を貸さない。怖いなら怖いで、皆で手を繋いで塩撒きでもしておけばいい。私には今、大事な患者がもう一人増えたのだから。


     


アレクシスは「ついて行く」と強引に言うが、私としては少し距離を保ってほしいところ。そりゃ、イザベルやマリアンヌの刺客が横槍を入れてきたときは助かるかもしれないけれど、それ以上は大いに迷惑——なんて内心思いながら、彼に睨みをきかせた。


     


「その鋭い目つき、一瞬ドキリとするな」


     


さらりと言ってのけるアレクシスに、私は心底うんざりしつつ立ち上がる。恋愛ゴシップなんか零細バッグに押し込んで、さあ先へ。亡霊だろうが病だろうが、まとめて蹴散らしてやる。魔女でも鬼でもない、ただの薬師だけど、こう見えて結構やるのよ、と自分に言い聞かせながら部屋を後にする。


     


予感はますます最悪に近づいている。ただ、その分だけ面白くもなってきた。誰が仕掛けようと、受けて立つ。私がこの王宮で見届けるのは、毒よりもえぐい権力争いの決着か。それとも亡霊の正体か。いずれにせよ、生半可な黄色い声を上げるより、今は薬と知恵とほんの少しの毒舌で道を切り開くのみ。


     


子どもが握ってくれたあの手の温もり。あれを守るためなら、私はまた一歩地雷原のど真ん中を踏み込んでやろう。次はどんな闇が私をさらおうと、さあ、かかってこい。そう思うと、なぜか胸が高揚するのを感じた。どこか楽しくなってきた自分が、いちばんタチ悪いのかもしれないけど。

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