王妃の看護と孤立の密室3
扉が抜け落ちる寸前までこじ開けられた翌朝。わたし、セシリア・ローズウッドは王妃の寝室にこもったまま、なんとか夜を明かした。アレクシスたちは深夜になってようやく扉を破壊できたものの、肝心の首謀者をその場で捕らえられなかった。結局、わたしは王妃の身体を優先するため、そのまま留まるしかなかったわけだ。妙な監視が少しゆるんだとはいえ、依然としてこの居住棟に缶詰状態なのはまるで変わらない。
その朝、いつも皮肉げな口元を保つマリアンヌが、明らかに掃除をサボった跡が残る寝室をちらちら見回している。
「あなた、そろそろきちんと整頓してくださらない? 王妃さまに埃を吸わせるわけにはいきませんの」
「おや、寝室の管理は侍女の皆さんの専門では?」
言い返すと、彼女は鼻で笑いながらこう言った。
「わたくしは『王妃さまのお世話』だけを請け負っておりますから。隅々まで掃除する義務はありませんわ」
……ほんと、言い分がコロコロ変わる。先日までは「王妃に悪影響が出ると困るから、あなたをここに閉じ込める」の一点張りだったくせに。仕方がないので、わたしは軽くため息をつきながら窓を開け放つ。冷たい外気が流れ込み、寝台の空気がほんの少しだけ澄んだ気がした。
王妃の容体は、まだ安定とはほど遠い。けれど昨日と比べ呼吸が随分落ち着いているのは救いだ。ベッド脇に腰掛けて脈の状態を確認すると、小さく肩を震わせる声が耳に届く。
「……セシリア……?」
ああ、今日はかすかに名前が聞き取れた。どうにか体力も戻りつつあるらしい。わずかに開いた瞳は、不安というよりも「何かを伝えたい」という必死の訴えを宿している。
「落ち着いて。焦らず深呼吸を繰り返しましょう」
ぎこちなく震える手をそっと握ると、呼吸の乱れが一拍ずつ和らいでゆく。安堵を感じた矢先、再び侍女の誰かがわざとらしく大きく鼻をすすった。
「まるで看病が行き届いていないみたいね。宰相閣下も呆れになられるんじゃなくて?」
背筋がこそこそと煽りの声に泡立つ。ま、あのアレクシスが呆れるというより、むしろ激怒しかねないけれど。それを心得てか、彼女たちはわざと意地悪な言葉を浴びせてくるようだ。余計なお世話である。
しかし、王妃の寝室をめぐる異変はまだまだ片づきそうにない。部屋を閉め切っている間に、いくつかの薬草がごっそり行方不明になっているのだ。替わりに妙な香袋が不自然に隅へ押し込まれていた。どう考えても誰かが細工したとしか思えない。外から鍵を壊して入ってきたアレクシスによると、「ナタン騎士の行方もわからないまま」らしい。あの夜、確かに運び込まれたはずの彼が、ここの居住棟どころか王宮のどこにも見当たらないなんて不気味すぎる。
「ついでに、これでも読んでおけ」
昼下がり、アレクシスが小さな羊皮紙を差し出してきた。いつも冷徹なまなざしの彼が、少し面倒そうにこめかみを押さえている。そこにはナタンらしき筆跡で書かれた断片的なメモが走り書きされていた。
──『香に仕込まれた毒』『ルイーザ王妃の勘付いた秘密』『居住棟の施錠と密室』
まるでつなぎ合わせたら爆弾発言になりそうなワードばかりが羅列してある。読んだだけで鼓動が小刻みに高鳴る。これは、わたしが王妃の枕元で感じた“あの匂い”と関係があるに違いない。ほかの誰かも知っていたのか。
それでも、侍女らは涼しい顔をしている。特に筆頭格のマリアンヌは、わざわざわたしの視線に気づかないふりをして「さあ、王妃さまはもうおやつの時間」の一点張り。もしや、このメモの存在に相当焦っているのでは? それならこちらも遠慮なく攻め込もう。
「ねえ、マリアンヌさん。香袋なんて、あなたたちが設置した覚えは?」
当然彼女は髪をかき上げて小首を傾げる。
「存じませんわ。私じゃなくて、イザベル様がひとつご用意なさった品くらいじゃないかしら」
さも他人事のような笑み。妙にしらじらしい。ドロドロした腹黒さが凝縮してる姿、とでも言いたくなる。思わず「あなたこそ、ギブアップしたら?」と返したくなるけれど、ぐっと堪えてやる。まだ王妃の容態が安定していない今、無駄に喧嘩するのは得策じゃない。
アレクシスはそんなわたしの脇で肩をすくめ、皮肉めいた声を絞り出す。
「いつもながら、お前がいるとこの宮廷が騒がしい。……だが、都合がいいこともある」
失礼なようでいて、妙に認めている口ぶりだからややこしい。さらに彼はふいと視線を外し、宙を見据えたままつぶやくように言った。
「お前の推測を信じる。王妃の身体から“毒”がなくなるまで監視を続けろ。……ここで失敗すれば、イザベル側妃の内面をさらに抉る結果になる。双方にとって痛手だ」
なるほど。行動を制限されたまま、あれこれ動けないのはまだ不快だけれど、王妃を守るための行為なら仕方がない。息を詰めて状況をやり過ごすしかないのだ。
夜が近づくにつれ、“見えない手”がまたうごめきそうな気配が増す。一方でわたしは、王妃の食事に入っているスープや茶の香りまで片っ端からチェックしていた。マリアンヌをはじめ侍女たちは露骨に渋い顔をしているが、こればかりは仕方ないわよね?
王妃はかすかな声で何かを呟いては、すぐに意識が遠のきそうになる。その度に手を握って呼吸をうながしていると、ほんの少しだが落ち着きを取り戻すのがわかる。
「大丈夫ですよ。あなたはまだ終わりなんかじゃない」
自分でも意外なほど静かな声音だった。夜目に映える彼女の顔は酷く青白いけれど、それでも確かに生きている。守ると決めたからには、絶対に何があっても手放すつもりはない。
一方、毒の正体に近づきかけたわたしに対して、マリアンヌたちは嫌がらせを加速させる気配だ。わざと薬草の束を隠したり、椅子に仕掛けをして座った瞬間に尻餅をつかせたり。……やることが小学生レベルだけど、さすがに安眠が阻害されるとストレスが溜まる。涼しい顔を維持するのも一苦労だ。
そんなわたしをちらりと見て、アレクシスが低く笑う。
「お前の笑顔がくもると、なぜか背筋が凍る。……味方でよかったと思うぞ」
「それはどうも。もう少し気配りしてくれると嬉しいんですけど」
そう切り返すと、彼は微妙に口元を歪めた。互いに牽制し合う形だけれど、その裏にはおそらく共闘の意思がある。皮肉っぽい会話も慣れたものだ。
夜半、王妃の寝息はひとまず安定しているが、まだ油断はできない。寝室のカーテン越しに月が射す頃、廊下に妙な足音が響いた。わたしは静かに立ち上がり、扉に近寄って少しだけ耳を澄ます。
……どうやら誰かがこそこそと何かを運んでいるようだ。この足音の正体がイザベルかマリアンヌか、もしくは別の暗躍者か。想像するほど、胸が騒いでたまらない。
思わず、王妃の横顔を振り返る。きつく噛み締めた唇が、まるで「今は耐えるべき時」と教えてくれているみたいだ。わたしも意地でも負けるわけにはいかない。この陰謀がいよいよ表沙汰になった時こそ、傷だらけの騎士ナタンが抱えていた謎も白日の下にさらされるだろう。
部屋の中には、小さな薬瓶が数本並んでいる。それはわたしが他の物品と入れ替えて死守した“安全な”治療薬のつもりだ。本当に毒を使う連中は、わたしの仕事をことごとく邪魔をするだろう。だが、もう逃げ場などない。一連の経緯を知った王太子エドワードが何と思うだろうか。それも気がかりだが、とにかく今はこの場所で踏みとどまるしかない。
外の廊下に残る足音が少しずつ遠ざかっていく。それに合わせるように、王妃が安堵のようなため息を漏らした。わたしは再びその手を包みこみ、かすかにうなずく。
「必ず解決するから、もう少しがんばりましょう」
果たして次に扉が開いた時、待ち受けているのは救いか、それともさらなる絶望か。想像すればするほど血が騒ぐ。どう転んだって一筋縄ではいかない。その展開を思うと、ちょっと笑いがこぼれそうだ。皮肉たっぷりに、ざまあみろと叫ぶ瞬間がいつか来るなら、ぜひとも華麗にやってみせるつもりだ。
そう心に決めたまま、わたしは灯りを落とし、夜の深い闇に溶け込むように目を閉じた。次の瞬間に起きるであろう騒動を、どこか待ち遠しく感じながら。




