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王妃の看護と孤立の密室1

ルイーザ王妃の私室へと足を踏み入れた瞬間、わたしは鼻先をつんと刺激する微妙なにおいに息を呑んだ。


華やかな金の装飾やふかふか絨毯……見た目は豪奢なのに、どうにも空気が澱んでいる。窓を開け放ちたい衝動にかられるが、侍女たちの視線が痛い。おまけに、やたら神経質そうな女官長がわたしをにらむように立ち尽くしており、歓迎ムードとは程遠い。


「ほう、あなたが今回の担当薬師ですか」


どこか投げやりな口調で、女官長が言い放つ。隣に控えるマリアンヌは薄笑いを浮かべてわたしを見下ろしている。イザベル側妃の右腕とも噂される人物らしいが、こちらの方がむしろいろいろ病ってそうだ、と喉まで出かかった皮肉を飲み込む。


……とりあえず、あの王妃を看病するのがここでの任務。宰相アレクシスの指示もあるし、避けて通れない。強引に通されたわたしも、まさかこの部屋が噂以上に不穏な場所だなんて思ってもみなかった。


王妃は、観音開きの大きなベッドで覆いかぶさるように横たわっていた。顔色は悪く、肌はしっとりというより冷たい汗に濡れている。微熱があるのか、唇が時折震えている様子。それでも香でごまかしているのか、かすかに薔薇の匂いが漂う。


「失礼します」


おどおどしていた侍女たちをかきわけ、わたしは王妃の脈や胸の音を簡単に診断する。毒らしき兆候は今のところはっきりしない。それでも、この乱れた室内環境を見れば、衰弱が進んで当然だ。そもそも、食器が片付けられていないし、ベッドまわりが湿っぽいというか……。


「なんとかならないのかしら?」


背後から高飛車な声がしたかと思えば、イザベルがこちらに歩み寄ってきた。その巻き髪を揺らしながら、あからさまにわたしを値踏みするような目だ。


「ええ、できることは山ほどあります。たとえば部屋の換気から始めましょうか?」


わたしがさらりと言うと、マリアンヌが焦ったように視線を泳がせる。その横でイザベルが薄く笑う。まるで「あなたがここを掻き回してくれたら、面白い展開になるのに」とでも言わんばかりの表情だ。


……どうやらわたしをここに呼び寄せたのは、王妃の看護が第一ではなく、“何かを隠す輩がいる”という確信があってのこと。もちろん、アレクシスもそれを見越しているのだろう。要するに、ここは陰謀の温床なのだ。


ひと通り診察を終えて椅子に腰掛けたところ、ヴィクトールが控えめに近づいてくる。書類管理官とは思えないほど柔らかな声で、「この扉の向こうに、重症の騎士が運び込まれたようです。ナタンという名に覚えは?」と尋ねられ、わたしは首をかしげる。そもそもこちらは初耳だが、なぜ王妃の居住棟と関係が?


「ただの巡回途中の事故……というには不自然でしてね。どうやら王妃周辺を探っていたとか」


その言葉に、心臓が少しだけ早鐘を打つ。王妃の寝室を監視する騎士? しかも命にかかわるような怪我を負わされた? うわあ、何か絶対裏がある。一瞬、寝不足の目がチカチカするほど嫌な予感がした。


そんな空気を悟ったのか、アレクシスがわざとらしく「ところで、セシリア、王妃の病因はどうだ?」と問いかける。冷然な声だが、その奥には一瞬の苛立ちと焦燥を感じる。どうやら、わたしの口を通じて何か引き出そうとする魂胆に違いない。


「おそらく、生活環境の劣悪さと栄養不足、それと精神的な負荷が複合的にのしかかっているように思います」


わたしの見立てを聞いた瞬間、「また薬ではないのね……」とマリアンヌがそっとため息をつく。その仕草に微妙な違和感。何か“毒”の噂が広まるよう仕組んだ側がいる? それとも、わたしに毒だと断定させたい勢力?


王妃をちらりと見やると、浅い呼吸の中でかすかに唇を動かしている。やや乱れた髪の下で瞳を伏せ、意識が半分飛んでいるようにも見える。こんな状態で、いったい何を抱えているのか。翌朝、わたしはもう少し徹底して室内を調べるつもりだった。


しかし夜になると、誰かがドアの鍵を内と外からいじる音が聞こえて背筋が凍った。すぐに試してみたが扉がびくとも動かない。


「嘘でしょ……密室に閉じ込められるとか、本気ですか?」


呟いた声は、誰にも届かない。外では薄く笑う足音が遠ざかっていき、部屋には怪しげな沈黙が重くのしかかる。


王妃の苦しげな寝息、わたしを品定めする侍女たちの視線。先ほど説明したはずの換気指示も、マリアンヌらは「方針が変わりました」とか訳のわからない言い訳を並べて取り合おうとしない。


「これは……本格的に罠の匂いがするわね」


小声でそう漏らしたとき、ふいに隣の仕切りからかすかな唸り声が聞こえる。大けがの騎士ナタンだろうか。今はまだ動けないはずなのに、なぜ関係者を散り散りにさせたまま鍵までかける必要がある? それはつまり、この“密室”で予定された演目があるということだ。


わたしは敬服するほど冷静というわけでもないが、人の命に関わる局面なら、医師として腹をくくらなければいけない。でもこの状況、もはや普通の看護じゃない。舞台装置がすべて仕組まれた大芝居の幕が上がったとでも言うように、出口が断たれてしまったのだ。


……どうせなら、陰謀の首謀者ごとひっくり返してやる。それがわたしの本分だし、宰相アレクシスの期待にも沿う形になるはず。心の中でそう強がり、王妃の額を拭きながらわたしは小さく息を吐く。


「最初からこうなる予感はしてたけど……まあ、やるだけやってあげますか」


そして暗闇の中、低くうなるナタンと息絶え絶えの王妃を隔てる薄い壁を睨む。果たしてその先にあるのは生存か破滅か。けれど、どちらにせよわたしが手を引くわけにはいかないのだ。


――さあ、どう転ぶかはあなたたち次第。そう嚙みしめたとき、王妃が端正な指先を震わせ、それがわたしの決意をさらに固くする合図に思えてならなかった。

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