白き魔女と宿命の呪い1
ニコラス・ヴァンスタインの顔から、もはや血の気が微塵も感じられない。その手には、白き魔女から渡された紙人形がくしゃりと握られている。噂の通り「妹に災いが及ぶ」という警告を受けて以来、彼はひどく焦燥しているらしく、今にも泣き喚きそうな表情だ。
私はそんな彼の姿を、ちょっと離れた廊下の隅からひっそり観察する。端から見れば冷酷に映るかもしれないけれど、私も暇じゃないのだ。エドワード殿下の容態を気にしつつ、わざわざ動悸を抑えながらここへ足を運んだのだから、状況確認優先である。
そこへ、宰相アレクシスが静かに近づいてくる。彼はヴァンスタイン伯爵家の使用人やルシアン当主に淡々と指示を出しながら、私の横で呆れ顔を浮かべた。
「セシリア、君が見てやれば何か分かるかもしれないんじゃないか? ……ああ、気が向けばでいい。けれど、彼が紙人形を破り捨てる前に聞き取りはしておきたいところだ」
「わかってますよ。でも、あまり期待しないでください。私、口下手なんで」
ほら、と心の中でため息をつく。薬草の分析ならともかく、怯えきった貴族の青年をなだめすかすのは専門外だ。けれども頼まれたのなら仕方ない。ちょっと説明だけ聞き出して、とっととラボ(薬草庫)へ帰りたい。
ニコラスは私の顔を見た瞬間、まるで溺れる人間が藁を掴むかのように飛びつきそうな勢いで声を上げた。
「セ、セシリア様! やはりあの呪い、信じるべきじゃなかったんでしょうか? 僕の……僕のせいでレナータが襲われるなんて!」
間違いなく取り乱している。私は愛想笑いを浮かべ、ひとまず落ち着かせようと軽く手を宥める。
「まあ、呪いがどうのとはいえ、私の目にはどうも“人為的”な跡が強く見えますね。実際、あなたの妹さんの傷からは普通の刃物痕らしきものが残ってましたし」
「そ、そうなんですか……?」
「ええ。いわゆる謎の儀式とか不可思議な毒針とか、そういうのは見当たりませんでしたよ。だから、紙人形を抱いてうずくまっても物理的に解決はしないと思います」
すると、ニコラスの瞳に微かな安堵がよぎった。が、まだ心配は消えない様子だ。
脇でそれを見ているアレクシスが、低い声で笑う。
「さすが私の期待する宮廷薬師だ。専門知識を駆使して瞬時に事実を拾うとはね」
「もう、褒めても報酬は上がりませんよ。むしろ休日の増量を交渉したいところです」
「やれやれ。そんな交渉を持ちかけるたび、君はなぜか宮廷での仕事量を倍増させられてる気がするが?」
「それはあなたの策略のせいでは?」
私がひそひそ声で返すと、彼は口角を上げるだけでノーコメント。まったく、噂通りの腹黒宰相である。
そんなやり取りに気づいたのか、ニコラスはバツが悪そうに俯いた。
「……僕らヴァンスタイン家の名声を守るためにも、真相を突き止めなければいけないんです。今後、僕の妹はどうなるんでしょう?」
「確かに気になるところですね。あなたをそそのかした白き魔女の存在も含めて。下手に騒ぎ立てると、次はヴァンスタイン家ごと面倒な標的になる可能性ありますから」
「そ、それは困る……!」
しかしルシアン当主は別の角度で困っているらしく、眉間に深い刻みをつくって足音を響かせた。控え室から戻ってきたところを見ると、いろいろ根回しの最中のようだ。
「宰相閣下、今後わが家はどのような方針を取ればよろしいのでしょう。白き魔女とやらの情報は、差し出しますとも。ですが、どうかまだ厳罰は……」
「急ぎ過ぎると逆に痛手になるかもしれません。とりあえず、ご協力いただけるなら、こちらとしても追及は段階的に進めるつもりですよ」
アレクシスが淡々と返事をすると、ルシアンは面食らった様子で固まる。どうやら取引は成立しそうだが、私から見ても「飼い慣らされてる」という印象しかない。まあ、あの宰相に睨まれたら誰だって怖いだろうし、気の毒といえば気の毒だ。
一方で、この光景を横目にウォッチしていたマリアンヌがニコッと微笑んで近づいてくる。なんとも余裕満点だ。
「セシリア様。殿下のお部屋に戻ったら、今回の件を簡潔にまとめてご報告なさるのですよね?」
「ええ、しますとも。なんなら殿下には〈呪いなんてものは煙に巻くための道具〉って教えてあげたいくらいです。心配しすぎると病状が沈みかねないし」
「さすが冷静なお方。やっぱりあなたって、どこまでも肝が据わっていらっしゃるのね」
ほめられているというより、皮肉たっぷりに感じるのは気のせいか。マリアンヌだって相当図太いはずなのに。
そうこうしているうちに、騒ぎを聞きつけたイザベル様や侍女仲間まで続々と廊下をうかがっている。まるで野次馬の総集会みたいだ。彼女はちらりと私を一瞥して、艶やかな笑みを浮かべる。
「まあまあ、セシリア。こんなに目立って……男性陣の視線が熱いものね。もしかして春が訪れかけてる?」
「来てませんってば。恋愛なんてご遠慮願いたいです。少なくともこの宮廷内じゃ、とくに」
「あら、謙虚を気取ってると取りこぼすかもしれませんわよ」
「ええと、そもそも獲った覚えもないんですが」
ピシャリと返答すると、イザベル様は柔和な微笑みの奥で何か思案しているようだった。いろいろ企んでいるのはわかる。でも今は「白き魔女」のほうが断然大問題なので、絡む暇はない……と思いたい。
そのとき、廊下の奥からヴィクトールがちょこちょこ歩いてきて、私に耳打ちをした。
「どうやらレナータ嬢が落ち着かれたそうです。一応、なにか妙な薬物が使われていないか診てほしいというご依頼が」
「それは受けますよ。ついでに検体を確保できたら助かるんで」
これ幸いだ。毒か薬か不明だが、怪しい成分たっぷりの匂いがする。こういうときこそ、私の存在意義があるってものだろう。
アレクシスが小さく頷いてから、つぶやくように言った。
「ヴァンスタイン家関係者への調査は急務だが、あくまで程々の圧力に留めておく。あまり早まると“白き魔女”側が逃げ道を絶ってしまうだろうしね」
「宰相閣下、策を巡らせるのはいいけれど、私の睡眠時間も死守してくださいよ?」
「期待しておきたまえ。その代わりに成果はしっかり頂く」
こうなると、いつも通りの押し問答だ。はあ、絶対この人は私を使い潰す気なんじゃ――。
と、そこへニコラスが再び声を張り上げる。
「すみません、セシリア様! 妹のことで、何かあったら……必ず救ってください!」
「ああ、まあ、全力は尽くしますよ。私も王宮の一員なもので、こういうごたごたが長引くのは御免こうむりたいですし」
勢いに任せて肩を掴まれそうになった瞬間、私はニコラスの指先をひょいとかわす。いきなり抱きしめられたら、ただでさえ周囲の視線が刺さりまくりだ。こんなときはさすがに躱す術だけは身についたつもり。
そうやって誰かの必死さを斜めに受け流そうとする自分に、少し申し訳なさを感じる。一方で、助けてくれと懇願されるほど大した人間じゃないのに、と違和感もある。でも、いまさら「未熟者でーす」なんて言えばアレクシスあたりに「いつからそんな殊勝になった?」と皮肉られるのがオチだ。
だからこそ、押し寄せる視線や騒動を苦々しく思いながらも、私は内心で覚悟を固める。妹を襲った凶行は呪いではなく、もっと生々しい陰謀の匂いがする。白き魔女の存在がどこまで本物かは未知数だが、放っておけば王宮全体にはもちろん、エドワード殿下にまで影響しそうだ。
──まったく、いつになったら平和な調合生活が戻ってくるのやら。
私は心中でぼやきつつも、滲む好奇心を完全には封じ込められない。呪いなんぞに振り回されるなんて冗談じゃないけれど、騒動の先に見える“何か”を炙り出すのは、けっこう性に合ってるかも。
ほら、どうせ波乱が来るなら受けて立つしかない。ドキドキする展開は嫌いじゃない。眠れなくなるのは歓迎しないけど、退屈を味わうよりかはマシだろう。
廊下の窓から差し込む夕陽が赤く揺れ動き、ニコラスの青ざめた横顔を照らし出す。その影が伸びる先には、これからの暗い夜を象徴するかのような、奇妙な不安を湛えた空気が漂っていた。
誰もが同じ思いを抱えている──“これが本当に呪いなのか、それとも人の欲望がつくり出した虚像なのか”と。
けれど、答えは一つとは限らない。白き魔女の言葉が引き金となり、貴族たちが右往左往する姿を見ると、どうしても微笑んでしまう自分がいる。焦る人間の裏側には、必ず欲や秘密が渦を巻いているものだ。
アレクシスは私に視線を送り、何やら企むように口端をほんの少し吊り上げた。そんな彼からは「次の計略に巻き込みますよ」という宣戦布告の気配が漂っている。……やっぱり私、またひと仕事やる羽目になりそうだ。
こうして、ヴァンスタイン家を囲む“呪いの噂”が王宮を揺らし始めた記念すべき第一幕は、私のささやかな抵抗の決意とともに幕を開ける。
そして夜の帳が降りる頃、私は引かれるようにレナータの部屋へ向かう。怖がってベッドに沈む令嬢を待つのは、ただの治療か、それとも別の真実か。
これから先、妙な薬や陰謀がごろごろ転がっているんだろうな。カーテンが閉ざされた窓の向こうで、誰かの舌なめずりが聞こえてきそうな気さえする。まったく、退出タイミングを間違えると、恋愛も呪いも一気に背負わされそうでゾッとする。
でも、否が応でも島流しにはされなさそうだし、やれるだけやってみるかな。
はいはい、どうせ炎上覚悟で巻き込まれる運命なんでしょう? 楽しんで差し上げましょうか。ここから先は、ちょっとだけハードモードかもしれないけれど。私にとってはある意味、日常茶飯事。思わず、余計な毒舌がこぼれそうなのをこらえつつ、扉の向こうへ足を踏み入れるのだった。




