謎めいた化粧品と川旅への誘い1
――じりじりするほどの緊張感が、王宮の廊下を満たしている。
イザベルの身に起こったあの一件が広まるや否や、貴族たちは「次は自分が毒の標的になるのでは?」と勝手に大騒ぎし始めた。もちろん当のイザベルは持ち前の気の強さで「ああもう、大げさね」と笑い飛ばしているが、侍女マリアンヌの様子は落ち着かないままだ。まるで何かに怯えているようにも見えるのが怪しい。
私、セシリア・ローズウッドは王宮随一の(といつの間にか呼ばれるようになってしまった)薬師。最近は「毒見役も兼任している天才」などと褒めそやされ、あれこれ面倒なことに首を突っ込む毎日だ。
――しかしね、褒め言葉のほとんどはアレクシスの差し金だってわかってるんですよ。あの宰相殿、私を祭り上げては陰謀の矢面に立たせ、はたまた勝手に英雄に仕立てようとしてるんだからたまったもんじゃない。
だけど、今回も逃げきれそうにない。なにせ真相が解決されなければ、イザベルがまた危険な化粧品に手を出すかもしれないし、王太子エドワード殿下が余計な不安を抱えてしまうのも放っておけない。
「さて、次はどんなに厄介な事実が出てくるんでしょうね」
書庫の一室で、私が毒成分の資料をめくりながら溜息をつくと、同じ机に山積みの古文書を抱えたヴィクトールがちらりと眼鏡の奥からこちらを見やる。穏やかな顔にほんの僅かな苦笑が浮かんだ。
「セシリア様。宰相閣下は『化粧品の販売経路と原料源を徹底的に調べてほしい』と仰っていました。こういった記録はほとんどが交易管理官の文書にあるはずですので、僕も協力しますよ」
「うわあ、助かる。でも膨大そうですね」
「覚悟してくださいませ」
言うなりヴィクトールは巨大な本をどっさり置いた。これを丸一日で読み解けとか、無茶にもほどがある。まあ私も毒草関連のページは慣れ親しんだ分野だから、いまさら驚かないけど……ページをめくるたびに、眉をひそめる成分がいくつも見つかるのが面倒くさい。
その頃、アレクシスと貴族たちの間では、妙な企みの匂いが漂っているのだとか。
――ナディアが持ち込んだという“高級”化粧品。それを大量に売り出して一儲けしようとする輩もいれば、「どうせなら隣国の虫害対策に名を貸すふりをして利益を吸い上げる」などと呟く連中もいるらしい。こんなとき、道徳観なんて一切合切、噛み砕かれてどこかに吹っ飛んでいくのが王宮の醍醐味だ。誰もが、ちらっと他人の裏を読んで、笑顔の下に刃を隠している。
「そんな姑息な陰謀に付き合ってられるほど、私ヒマじゃないんですけど……」
大きな伸びをしつつ呟いたとき、後ろからアレクシスの低い声が耳にかかった。
「君も王宮の一員なんだから、多少は付き合ってくれ。僕だって、いつでも剣を抜くわけじゃないんだ」
「ほう。あなたがアンタッチャブルな笑顔を浮かべてるときほど怖いものはないと思ってるんですけど?」
「確かに、僕は政治の道具としてなら毒も使う。が、今はまだ使いどころじゃないというだけさ」
さらりと毒の使用を口にする宰相って、ある意味最強の開き直りだ。私はクスリと笑って、資料の束をいくつか手に取るとひらひらと振ってみせる。
「それで? こういう古文書を全部めくって、怪しい輸入ルートを探せばいいのね?」
「そう。そして可能ならば、どの原料がイザベルの化粧品に使われているか特定してほしい。僕にとってはそれが、この国の安定を守る第一歩になるから」
アレクシスは涼しい顔で言うが、きっと裏では何枚もシミュレーションを重ね、誰が味方で誰が敵かを綿密に築き上げているのだろう。自分が王家の血を引くことをひた隠しにしている辺り、そう簡単に他者を信用しない性格なのが伝わってくる。
数時間後。ワタシもヴィクトールも目がしぱしぱする頃、やっといくつか“怪しい成分”に行き当たった。
――隣国の砂地帯に生える植物、別名“眠り花”とも呼ばれるもの。その抽出液は微量だと強い高揚感をもたらすが、体内に長く蓄積するとマヒや幻覚を起こす。イザベルが感じたあの妙な興奮や火照り、そっくりだ。
「どうやらビンゴね。とんだ危険物を胸元に塗りたくっていたわけだ」
「この原料の輸入を牛耳っているのは……ほら、この貴族の名前、聞き覚えありませんか?」
ヴィクトールが指差した先には、王宮きっての守銭奴として有名な子爵の名が記されていた。ここしばらく耳にしなかったけど、どうやら裏でせっせとナディアと通じていたらしい。
「やるなあ。やっぱり稼ぎ話には敏感なのね」
そんな嗜みの悪い話をしていると、部屋の奥で仮眠をとっていたエドワード殿下が目を覚ましたらしく、ゆっくりこちらへ近づいてきた。
「セシリア、何か分かったかい? 僕、イザベルにもう変なものを使わせたくないんだ。彼女がどんなに無茶を言っても、身体が危ないなら止めないと……」
まっすぐな瞳で私を見る殿下に、無性に罪悪感が湧いてくる。ああ、あなたみたいに素直な王太子は、この宮廷の汚れ具合を知ったら泣きたくなるだろうな、と。
「大丈夫ですよ、殿下。ほら、ここに“まだ回復は見込める”ってデータもあるし、それに対抗できる解毒剤もきっと作れます。ただし、一気に完全回復とまではいきませんから、あの化粧品を断ち切る決断が必要です」
「わかった……僕、イザベルにちゃんと言うよ。もうあんな瓶は全部処分してくれって」
それはいっそ頼もしい言葉だ。エドワード殿下も最近は体調が揺らぎがちだったけれど、少しずつ意志を見せ始めている。政争に飲まれずにいられるかどうかは、まだ未知数だけど。
すると急に、ぱたぱたと小走りする足音が廊下から響いてきたかと思うと、勢いよくドアが開け放たれる。
「セシリア様っ、大変です! ナディア殿が『緊急会合を開きたい』と騒ぎ出して……」
血相を変えた侍女が息を切らせつつ伝える。何でも、我が国の領内を流れる大河が増水したタイミングで、新たな交易ルートを切り拓きたいという相談があるらしい。しかもそれが飢饉に苦しむナディアの国の急務だとか。
こっちは毒騒動を追いかけてるというのに、止まる気配なしだ。まさに王宮が揺れに揺れている印象。
「ああもう、次から次へと厄介が押し寄せてくるわね……」
私は心底ぐったりしながらも、「拒否ったら話がややこしくなるだろうし、仕方ないか」と立ち上がる。すかさず背後からアレクシスの低い笑いが聞こえた。
「ククッ、まるで嵐のようだろう? だが面白い。こういうときこそ君の妙に鋭い観察眼が役立つ。王太子も、君を側に置くと安心だろう」
「利用価値があるときだけ私をチヤホヤするなんて、さすが宰相様は手際がいいこと」
「光栄だね。そうやって讃えてくれ」
違う、ぜんぜん褒めてないんだけど? まったく、この男には皮肉も効かないらしい。
それから数十分もしないうちに、王宮の大広間ではナディアを含めた主要メンバーが集まり、もくもくと話し合いを始めていた。
――私も最初は隅っこで黙っていたけど、ナディアの口から“化粧品の海外輸出”なる言葉が飛び出して一気に耳が冴える。何やら「今回の交渉がうまくいけば、一部の植物資源を拡大栽培して、宮廷貴族向けの高額化粧品として売り込む」とのこと。
いやいや、そこに毒成分が入ってるの、黙って売り出す気? 舌を巻くほどの商魂というか、逆に言えば切羽詰まっているんだろう。砂地帯の飢饉を食い止めるためなら多少の危険性も目をつぶるというわけか。
だけど、そんな手段、身体にいいわけがない。
「セシリア、どうした? 急に顔が怖いが」
隣に座るエドワード殿下が心配そうに囁いてくるので、私は苦笑しつつ小声で答える。
「大丈夫、殿下。大丈夫じゃないから、いまどうしようか頭を巡らせてるんです」
殿下は意味を飲み込みきれない顔をしているけれど、ともかく私の決意はひとつ。
――この化粧品の原料は人を蝕む毒だ。こんなものを垂れ流しにさせてなるものか。もし裏で貴族やナディアが手を組むなら、その証拠を押さえてでも止めてやる。長いものに巻かれたフリして、ぐさっと刺すのが私流だ。
会合の終わり際。アレクシスが迅速に「川沿いの現地調査を近々行う」と宣言した。その本当の目的が毒のルート解明にあることは、ここにいる誰にも悟られないだろう。
一方ナディアは「ぜひ私も同行したい」と意気揚々。再度高笑いしていたイザベルはマリアンヌに「支度を整えろ!」と命じている。貴族連中は皮算用丸出しのにやけ顔。
そして私セシリアは……苦笑いが止まらない。何この地獄絵図。恋愛しようにもする暇なんかないし、正直、男運だって願い下げよ。恋心なんてカケラも要らないから、せめて平穏な生活を希望したいんだけど、誰も聞いちゃくれないのが悲しすぎる。
それでも、どこかワクワクしている自分もいる。未知なる毒や陰謀が広がれば広がるほど、私の“薬師ゴコロ”が疼いてしまうから性質が悪い。やめられない止まらない――いや、これって大人の嗜みとしてはどうなのか。
「さあ、始めようか。死にもの狂いの陰謀ゲームを」
アレクシスの背中を見ながら、私はそう心の中で呟き、広間を後にした。
近づく川旅と外交、そしていよいよ本格化する毒の謎。ここで終わりにするには、まだ早すぎる。
どうせなら、ぐちゃぐちゃのドロドロに首まで浸かってみるのもいいかもしれない。――そう思えば、ちょっぴり高揚するのは、やはり私が“危ない人”なのだろうか。
だが、それでこそ転生薬師セシリア・ローズウッド。
快感混じりの苦味を抱えたまま、次の戦場へ足を踏み出すのだ。




