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32 側妃の香りを巡る疑念

川旅の準備が思いのほかスムーズに進み、私の部屋には地図や薬箱、人から借りた分厚い防寒マントが散乱している。埃まみれの航路図を睨んでは、「これは虫よけに効きそう」と手製の薬草袋を放り込み……まるで冒険前夜の子どもよろしく、わくわくしちゃってる自分が少し恐ろしい。


だけど、そう悠長にもしていられない。なぜなら、昼下がりに「イザベル様が急に倒れられた」との知らせが飛び込んできたからだ。倒れるほどの深刻さなら、あの謎の化粧品が原因か、それとも本人に全く別の悪意が向けられた結果か――思わずモヤモヤが膨らむ。


「セシリア、早く来てくれ!」

いつも涼しげなアレクシスが珍しく険しい顔で私の腕を乱暴に掴んでくる。

「いや、そんなに強く引っ張らなくても……」

文句を言う間もなく廊下を駆け抜け、例の甘ったるい匂いが漂うイザベルの部屋へ飛び込んだ。


そこには、薄い寝衣のままベッドに横たわる彼女と、顔面蒼白のマリアンヌ。さらに落ち着きなく右往左往しているエドワード王太子の姿。

「ど、どうしたらいい? 体が火照るって言うものの、熱はさっき測ったら下がってるし……」

殿下、あなたまで蒸気を噴き出す勢いでオロオロするんじゃない。と内心思いつつも、私は冷静を装ってイザベルの手首に触れ、脈を確かめる。


「ふむ……熱は下がったけど、心拍が妙に速い。痛みとか痺れは?」

「せ、セシリア……なんだか熱いんだけど快感、じゃなくて……意識がふわふわする……」

思い切り色っぽい声を出すイザベルに、エドワード殿下は盛大にむせていた。こんな場面で“快感”なんて単語が飛び出すんだから、周囲は大混乱だ。アレクシスなんて噴き出すのを必死にこらえているし、マリアンヌは「もう、やめてくださいませ」と慌てふためく。


私もあまりに刺激的な響きに、ちょっとだけ背筋がゾクっとした。だけどここで動揺したら負け。

――とにかく、怪しい香りがまだ残っている中で、この症状。例の化粧品が原因なのはほぼ確実だ。以前、私が成分をかじった程度では虚ろな興奮を誘う作用があると睨んでいたが、もしかすると時間経過でさらに別の毒性を発揮する可能性がある。


「イザベル様、この瓶……どこから手に入れました?」

私はさっそく部屋の棚を開け、ゴテゴテした化粧品の箱を引っ張り出す。そこには似たような小瓶がずらりと並ぶ光景。ああ、こりゃ相当ハマってたってわけね。


「ええと、わたくしナディア殿から試供品として……こっそり譲り受けたの……」

なんてことだ。隣国からの特使ナディアと化粧品のルートが繋がっていたとは。隣国の毒草が原料とすれば、無意識に飛びついたか、それとも誰かにそそのかされたのか。いずれにせよ、イザベルが自爆寸前であることに変わりはない。


「大丈夫です。これ以上悪化しないよう処置しますから」

私は慌てて薬箱から鎮静作用を強めた水薬を取り出し、少量を薄めて彼女に飲ませる。

「ごくごく……うう、苦いわね」

「舌がピリピリする程度で済むはずです。少し落ち着いたら、念のため体を温めておいてください」


そう言うと、ベッドの端に腰を下ろすエドワード殿下が、まるで傷つきやすい子犬のような瞳で私を見上げた。

「セシリア、ありがとう……彼女は大丈夫か?」

「たぶん、しばらく安静にしていれば回復できます。けれど、また同じ瓶を使ったりしないように見張ってくださいね。殿下がここまで頑張る必要はないけど、放っておくと短期間で再発しかねないので」


訴えるように視線を向けると、殿下は「う、うん……僕にできることなら何でもするよ」とうなずいてくれる。火照るイザベルに対しては緊張MAXな様子だが、まあ若い男の子には刺激が強すぎるかもしれない。ご苦労様。


そんな様子を見守るアレクシスは、どこか興味深そうに腕を組んでいる。

「あっさりと処方を決めるとは、さすが ‘解毒の天才薬師’ だ。いや、まったく恐れ入る」

彼の褒め言葉に悪意は含まれていないみたいだが、その瞳には「君をもっと使い倒したい」という計算の輝きも。まったく、褒められても微塵も嬉しくないんだが。


そこへ、はためく衣の音とともにヴィクトールが登場。手には山盛りの書類。この人も本当によく走り回っているな、と感心する。

「セシリア様、川の増水が予想より早まるらしく、船の出港が明後日に繰り上がるそうです。準備はよろしいですか?」

よろしいも何も、さっきまで部屋であれこれ詰めていた最中だ。イザベルの病が急変するなら、同行も難しくなるだろうし、どうするのか。すると、当のイザベル様がぐいっと身を起こした。


「キャハッ……行くわよ、私も」

「あの、イザベル様、今そのテンションで立ち上がると危ないですよ!」

マリアンヌが制止しようとするが、イザベルは熱のせいか、どこかハイ状態のまま。

「絶対に行くの。セシリア、私を連れて行きなさい。死にそうになったらあなたが助けてくれるでしょ?」


えらく強気だな、と少し呆れる。だが、これぞイザベルという感じでもある。彼女のわがままが事態をこじらせるか、大胆にぶち壊すかは未知数だ。


「やれやれ……分かりました。無茶は禁物ですけど、私に泣きつかれても困りますからね」

「泣きつくなんてしないわ。私、常に華やかでいたいの。それが王の側妃としての美学よ」


それを聞いた殿下はチラリと目を伏せ、複雑そうに唇を結ぶ。どうやらいろいろ思うところがあるらしい。

だが、こうなった以上、私から止める理由もない。たとえ毒の正体がナディアの国に眠っていようが、そこへ乗り込むしか選択肢はないわけだ。幸か不幸か、私たちは明後日に出発する。こんなメンバーで大丈夫かとも思うが……まあ、なるようになる。


部屋を出るとき、アレクシスが背後から小声でささやいてきた。

「くれぐれも、僕の ‘大事な同僚’ に死なれては困る。この国のためにもね」

冗談とも本気ともつかない口調に思わず噴き出す。大事に思われてるんじゃなくて、単に便利だと言いたいだけだろう。そっちこそ私に変なちょっかい出さないでくれれば助かるんだけど。そう言ってやりたいのを飲み込んで、私は廊下を後戻りする。


――よし。イザベルの症状はひとまず落ち着いた。次の目標は、川沿いの拠点で化粧品の原料を探ること。


一筋縄ではいかない旅になりそうだけど、仕事のしがいはある。

だって私の得意分野“有毒植物とその解毒”が絡んでいるんだから。やらなきゃ誰がやるの、って話だ。


それにしても、ここ最近、私の生活は陰謀劇と恋愛トラブルまみれで、もう勘弁してほしい。平穏に研究だけしていたいのに、モテる自覚がないまま変な視線を集めるわ、見慣れぬエロスムードには巻き込まれるわ……スマホでもあったら「助けて」とSNSに書き殴りたくなるところよ。


――まあ、ぐだぐだ言いながら進んでしまうのが私という女。

こうなったら全部乗り越えて、叩き潰せる相手はまとめてやっつけるまで。

そして川の風に吹かれて、何ならちょっとくらい、エドワード殿下をズキューンと息切れさせてやるのも悪くないかも。


次の幕は、川旅にて。

神にも悪魔にも愛された “転生薬師” セシリア・ローズウッドは、今回も全力で踊り狂います!…まあ、できれば地味に恙なく生き延びたいものだけど。

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