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3 夜を奔る影と揺れる決意

 朝焼け前の王宮は、いつにも増して薄暗かった。廊下にしんと立てば、自分の足音ですら悪霊の足跡に勘違いされそうだ。そんな中、セシリア・ローズウッドはいつも通りの無表情で、保育室へと向かう。


 


「改めて、食器は全部調べてみますね。……あら、なんか変な汚れが」


 


 どんなに騒がれても重要部分だけは絶対見落とさない――そんな彼女の観察力に、侍女たちは密かに畏怖を覚えている。スプーン一つ取り上げても、セシリアのまなざしは毒の痕跡を嗅ぎ取ろうと研ぎ澄まされているのだ。


 


「妙な粉が付着しているのはこれだけじゃない。寝具にも似たような染みがあった」


 


 顔を寄せる宰相アレクシスに、セシリアはわずかに眉を寄せる。相変わらず近い。けれど彼女にとっては、暑苦しいほどイケメンに詰め寄られても「尊厳が侵害されている」という思いしかわかないらしい。顔の良さは毒の知識に勝らないようだ。


 


「これ、どう見ても複数回の投与ですね。子どもたちの様子が急激に悪くなったのも頷けます」


 


 彼女が指摘すると、周囲の侍女は悲鳴まじりに口を押さえた。子どもの病状は風邪などではなく、こつこつ毒を盛られた可能性が高い。イザベル妃やその取り巻きのマリアンヌの影が囁かれ始めるが、まだ決定打はない。そこへ文書管理官ヴィクトールが台帳を抱えてやってくる。


 


「セシリア様、やはり改ざんの跡が……誰かが故意に仕入れ記録を消している。毒の出入りを隠すためでしょう」


 


「はあ、もう一大ミステリーですね。どこかに犯行予告でも張り出してくれればいいのに」


 


 無自覚に毒舌を吐くセシリアに、侍女たちは若干笑いそうになる。一方アレクシスは薄く笑うだけで、氷のような眼光を侍女たちに向け、続けざまに質問を浴びせかける。その姿は冷徹だが、セシリアに対してだけは少しトーンが柔らかくなるのが不可解だ。もっとも、本人たちに色っぽい自覚はまるでない。


 


 その夜、セシリアは保育室を見回っていたが、不意に背後から強く押され床に転がった。振り返る間もなく、刃物が彼女の頬をかすめる。どうやら“亡霊”はただの狂言ではなかったのだ。


 


「……ああもう、夜道で襲われるとか迷惑すぎるんですけど」


 


 悲鳴というよりは呆れ声。しかもセシリアは、咄嗟に薬瓶を投げつけて相手の腕を狙う。うっすら漂う甘い香りが、毒と眠り薬が混ざった危険な成分だと彼女には即座にわかった。相手も慌てて身をよじるが、渾身の一撃を食らいかねない状況だ。そこへ駆け込んだのがアレクシス。


 


「床の上で派手に転がるなんて、君らしくないな」


 


「そっちこそ息切れして顔が怖いですよ。大丈夫ですか?」


 


 こんな非常時にまるで漫才。襲撃者は、アレクシスの長剣に阻まれ、即座に退散してしまった。不意打ちにしては派手すぎる。だが、刺客が王宮内に侵入できるほど警備が甘いのは事実だ。この程度の侵入を許すあたり、やはり宮廷のどこかに内通者がいるのだろう、とセシリアはため息をつく。


 


 そんな騒ぎのさなか、また一人の幼子が昏睡状態に陥り、高熱まで出してしまった。慌てふためく侍女たちの悲鳴以上に、子どもの苦しそうな息が耳に刺さる。すぐ対処しようと、セシリアは手持ちの解毒薬を投与するが、効果は薄くて沈静できない。あまりの高熱に、滴る汗を拭うだけでは間に合わないほどだ。


 


「アルラウネの花……あれなら、この毒を強引に押し返せるかもしれない」


 


 劇薬として有名なその花の名を聞いた瞬間、アレクシスの表情がこわばる。王宮では使用を禁止するほど危険な薬草だが、セシリアの手にかかれば解毒剤へと化ける可能性は高い。ただし失敗すれば、子どもにも彼女自身にも取り返しのつかない惨劇が待っている。


 


「バカなことはやめろ。……万が一、花の扱いを誤ったら」


 


「間違いませんよ。それに、命を優先するんでしょう? 私は薬師ですから」


 


 さらりと答えたセシリアの声は冷静だ。しかしその瞳は燃えさかる火のような決意を宿している。毒に立ち向かうためなら、どんな面倒も引き受ける。周囲にとってはヒヤヒヤものだが、彼女が結果を出す姿を幾度も見てきた王宮関係者たちは、不可解な安心感を得ていた。


 


 同時にヴィクトールが改ざん台帳の内容をしっかり解析し、さらに怪しい物品の搬入記録を見つける。これで少なくとも、保育室を標的にした陰謀はほぼ確定と言っていい。亡霊騒ぎで視線を逸らしつつ、ひそかに毒をばらまく……まったく趣味の悪い計画だ。


 


「ほんと、誰の差し金か分かりませんけど、性格最悪ですね」


 


 セシリアの毒舌に、侍女が肩を震わせて吹き出す。そんなささやかな笑いすら、重苦しい空気を少しだけ和らげる。だが、子どもたちはまだ安堵できる状態ではない。皮肉たっぷりの笑いほど、実際の苦しみを深く突き刺すものだ。


 


「このまま増える一方の被害を放っておけない。……行きますよ、アルラウネを取り寄せに」


 


「俺が行くのを止めるとでも?」


 


 アレクシスの横槍を無視し、セシリアはとっとと動き出す。恋愛めいた駆け引きをしている暇なんてない。むしろ彼女は「必要なら、大胆に薬を盛るしかないでしょ」と割り切った様子だ。護身用かもしれないし、真犯人を黙らせるためかもしれない。どのみち、血生臭い陰謀とは真っ向勝負になりそうな気配が濃厚だ。


 


 遠巻きにその姿を見つめる侍女たちも、どこか熱に浮かされたように囁く。「セシリア様がいると、ほんの少し安心……いや正直めっちゃ怖いかも?」と。文句なく優秀でクール、しかし恋愛には全力で背を向け、むしろ少し危険な香りすら漂わせる。そんな彼女に、胸をきゅんと刺される人が出るのも無理はないが――セシリア本人は毒を扱う方が百倍楽しそうだ。


 


 こうして、亡霊騒ぎから始まった騒動は、ついに宮廷の真っ黒な裏側を照らし始めた。果たしてこの毒盛り大作戦の黒幕は誰なのか。そして禁断の花を扱うセシリアに、さらなる試練が降りかかるのは必至だろう。恋の薬なんぞより、純度の高い毒の方がずっと“燃える”とばかりに、彼女は走り続ける。その先で何が待ち受けるかなど、誰も知る由はない。もっとも、一歩間違えれば本当に血生臭い興奮が待っているのだから、日常回帰への道はまだまだ遠い。


 夜の王宮には今日も、子どもの泣き声と亡霊の噂が絶えない。けれどセシリアは一瞬でも立ち止まる気配を見せない。いつだって“薬師”としての信念が彼女を突き動かすのだ――例えそれが、仮にも王宮を揺るがす禁忌の薬草を使う決断だとしても。今はただ、子どもたちの救いのため、危険な花に指を伸ばす彼女の後ろ姿が、不思議なほど頼もしく見えるばかりである。

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