23 廃砦の疑念と果実酒の影
朝からずっと神経が張り詰めているせいか、思わず肩がこわばっている。
薬の調合器具から顔を上げると、勢いよく扉が開き、若い侍医が飛び込んできた。エドワード殿下の看病にあたってくれとせかすのだが、正直、こちらだって休む暇なんてない。
「わかった、今から行く。…じゃあ、誰か代わりに果実酒の成分分析をやってくれる?」
そう言っても侍医は目をそらすだけ。最近あちこちで兵士が錯乱する異常事態が続いていて、その原因に例の果実酒が絡んでいる可能性が高い。私が真っ先に検討を始めた途端、なぜか周囲は素知らぬ顔。残された時間は限られてるのに、この腰の重さにはイライラする。
だけど、騒いでも仕方ない。私は道具を抱えて部屋を出る。せめて見張りの兵士たちくらい、不審な酒を飲まないよう注意してほしいのだけれど。妙に浮足立っている兵が増えているのは、公爵がらみの緊張なのか、それとも単に脳がアルコールでふやけてるだけか。
廊下を曲がったところで、ドレスの裾を揺らしながらイザベル妃が現れた。湯上りのように上気した頬で、私を見下ろすように視線を走らせる。
「エドワード殿下の御容態、いかがかしら。私も一目散に駆けつけたいところなのだけど……ほら、わたくしにはやらねばならないことが多くて。ね、セシリア?」
涼しい笑みを浮かべて、そのまま通り過ぎていく。あれで“病弱な殿下を支える献身的な妃”という評判を手に入れたいのだろうか。おや、そんな様子じゃないかもしれない。背後からかすかに聞こえた「公爵さまが…」という声。なるほど、裏でこそこそ相談してるのはわかってたけど、ますます香ばしい展開になってきた。
さらに進むと、今度はマリアンヌが待ち構えている。いっそ曲がり角にトラップでも仕掛けたい気分だが、彼女は口元だけ笑って私を“観察”する。
「またお忙しそうですね、セシリア様。お仲間の薬師さんもまだ見つからないとか…何か困ることがありまして?」
行方不明になった助手のことだ。まさか内部の誰かが関与してるんじゃないかと疑っているが、やっぱりマリアンヌが怪しい。もちろん証拠はない。だが、彼女なら人を消すくらい朝飯前だろう。おまけに果実酒の情報を隠したり、可燃性の薬物をこっそり持ち出したり——そういう裏仕事まで請け負っていそうだし。
「困るといえば、あちこちせわしなく嗅ぎ回ってる人間が多くてね。余計な手間がかかるところかしら」
皮肉たっぷりに返すと、彼女の瞳がきらりと光る。まるで「ほう、私の暗躍に気づいたのね?」とでも言わんばかり。だが何も言わず、軽い足取りで去っていく。そのあからさまな態度が逆に不気味だ。
私はそのまま王太子の寝室へ急ぐ。扉を開けると、アレクシス宰相が書簡を握ったまま難しい顔をしていた。どうもリューゲン公爵と緊張感たっぷりのやり取りを続けているらしい。いつもの淡々とした雰囲気を装ってるが、こめかみに浮かんだ青筋はごまかせないようだ。
彼は横目で私を見て、ガクリと首を振る。
「公爵が“後継者問題”をあちこちで囁き始めた。殿下が寝込んでいるのをいいことに、妙な噂を広めようとしている節がある。困るのは、噂の真偽に関係なく王宮がかき回されることだ」
うわあ、本当に迷惑な話だ。エドワード殿下の熱が引かず、宮廷が弱っている今こそ叩き時とでも思ってるのか。どこまで胃を痛めさせれば気が済むのかしら、あの公爵は。
「あいにく私も果実酒絡みの分析や、行方不明の助手の捜索で手いっぱい。子どもじみた政治ごっこにまで力を割きたくはないんだけど」
そう嘆けば、アレクシスが鋭い声でかぶせる。
「そちらの果実酒の問題、兵士の錯乱との関連は?」
「まだ断定はできない。けど、重点的に調べれば何か出る可能性はあるわ。正直、普通の醸造酒ならこんな症状は起こらないはず。怪しい薬物を混ぜてるなら大問題よ」
言っているそばから殿下が小さくうめき声を上げる。脈を確認して、熱の具合を確かめると、少しだけ下がっているようだ。ただし油断できない。ここで悪化でもすれば、イザベル妃が恩を売るチャンスを狙うし、公爵はさらに騒ぎを起こすだろう。大げさな愛の囁きより、こういう根回しのほうがずっとエグい。陰謀劇ってこういうところぞ“エロ”よりずっと生々しくてタチが悪いと思う。
アレクシスがメモを残して去り、私は殿下の看病を続ける。少し薬を飲ませたところで、書庫へ走って果実酒の文献を漁る。すると古い巻物の端が不自然に破り取られているのを見つけてしまった。ああ、まさかマリアンヌが手を回した? もしくは彼女の裏にいる者の仕業かもしれない。
こうなったら、失踪した仲間の消息も含めて一網打尽にしてやりたい。幸いにも私はそれなりに“現代的”な目で秘密を追えるわけだし、ほんのちょっとだけ医学知識がある。他の連中が拾えないヒントを見抜いてやれば、ドヤ顔でざまぁみろと言い返せるはずだ。
研究室へ戻ると、雑多な書類のすみに妙な走り書きがあった。「軍備庫とは別の隠し倉庫が廃砦に存在する。主成分は…」と途切れている。この紙、きっと私の助手が残そうとした痕跡に違いない。何者かが回収しそこねたのだろう。そこには「毒性強」の文字まで。やっぱり行方不明の件、果実酒とつながってるじゃないの。
静かに息を整えてから、胸を張る。雲行きはますます怪しいが、逆に燃えてきた。陰謀がなんだって? 私は遊び半分で薬を作ってるわけじゃない。兵士たちをこんな妙な酒で操ろうなんて誰が考えたか知らないけど、一泡吹かせてやろうじゃない。
「ああもう、恋愛ドラマもいいけど、こういう邪道な策略シーンにはゾクゾクするわ」
思わず含み笑いがこぼれる。やる気が湧く度に、変な快感さえ覚えるから自分に呆れる。それでもいい。このモヤモヤと興奮を利用して、真相にたどり着いてやる。
誰が黒幕だろうと遠慮はしない。リューゲン公爵の動きや、マリアンヌの情報操作を暴いていけば、必ず何かが引っかかるはず。それに、アレクシスのあの疲れ果てた表情をこれ以上見たくないし。なんだかんだで一応、同じ苦労人同士だもの。
そう、まだ決定打はない。だけどここからが本番。もう誰にも止められない勢いで、廃砦の疑念と果実酒の黒い影を払いのける。最終的にスカッと風穴を空けて、やるべきこと全部終わったら少しは眠らせてほしい…なんて甘い期待をこっそり抱きながら、私は凍りついた王宮の空気をまた一歩掻き分けるのだった。




