22 暗雲漂う王宮
アレクシス宰相のもとから戻ってきた私は、あいかわらず仕事の山に囲まれている。処方が必要な薬瓶はどっさり、エドワード殿下の容態は一向に安定しないし、そのうえリューゲン公爵が王宮をうろつきはじめたせいで、不穏な噂が加速していた。
とはいえ、公爵との因縁を持つ派閥は少なくない。あっちこっちで「また満面の笑みで国をひっかき回す気らしい」なんて怖い話を耳にするたび、ちょっと胸がムカムカする。でも私が背負うべき問題じゃない…はず。そう思ってても、なぜか仕事は雪だるま式に膨れあがっていくのだから面白くない。
昼下がり、ようやく一息つこうと廊下に出れば、見慣れた姿がする。イザベル妃の侍女マリアンヌが目ざとく私を見つけて、一礼もそこそこに言い放った。
「セシリア様、そろそろ“新薬”の進捗を教えていただけるところでしょうか」
あの上品ぶった口調が苦手で仕方ない。私が王太子殿下のために作る薬について、なぜかイザベル陣営のほうが必死になってるのだ。見返りでも期待しているのか、それとも何か探っているのか…。
「まあ、こちらは粛々と調合中。まったく問題ありませんよ」
わざとにっこり笑って返したら、マリアンヌは涼しげな目を細めた。「さようですか。その旨、リューゲン公爵様にもお伝えしても?」と言うやいなや、スカートを翻して去っていく。
……何だろう、あれ。最近公爵周辺とのつながりを見え隠れさせてきているような。ひょっとして薬に興味があるのか…それとも別の企みか。嫌な予感しかない。
いずれにせよ、イザベル妃と公爵の動きがこの宮廷をさらに刺激しているのは間違いない。宰相のアレクシスも警戒を強めてるが、あの人はあの人で超多忙。私に向かって「君の観察眼に期待している」なんて、さりげなく丸投げしてくる。さすがに毒見役と新薬担当と情報収集の三つを抱えた挙句、公爵を監視までしろと言われちゃ、頭を抱えたくもなるってものだ。
「まったく、私が何か妙なスパイでもあると思ってるのかしら」
うんざりと呟き、私は研究室の扉を開ける。だがそこにいるはずの助手たちが、今日はやけに少ない。聞けば、公爵への根回しを手伝う名目でどこかへ借り出されたとか。これじゃ調合作業がまた遅れそう。思わずため息が漏れる。
そんな私を見て、残っていた若い助手が目を泳がせて言った。
「セシリア様のお手際は常人離れしてるから、大丈夫だと皆…」
ああ、もう、それを言うな。褒めても何も出ないし、こっちは無自覚とはいえ結構プレッシャーなのだ。しかも褒められてる気がしないのはどういうわけ? 私なんてしょせん肉体労働型薬師、少し早く薬を作れても余計な業務が回ってくるだけなのに。
そのうえ公爵来訪の日から、王太子殿下まわりの仕事が妙にやりにくくなっている。誰かがあえて情報を絞っているようで、診察記録を確認しようにもあちこち回らなくちゃいけない。何も手伝わないくせに水面下でゴソゴソしてる連中ばかりが増えた気がする。
「くそ忙しい日に限って、よけいな嫌がらせを思いつくのはどういう魂胆?」
ペンを握る手に力がこもる。こういうときこそ淡々と仕事を片付けるのが一番。怠け者の不意打ちに構うほど暇じゃない。……でも、イラッとくるものはイラッとくる。
そこへ、エドワード殿下付きの従者が息せき切ってやってきた。殿下がまた熱を出し、ぐったりされているという。ああ、やっぱりか。床に伏せていては外交日程にも影響大だろう。もともと病弱なのを奇跡的に支えてる状態なのに、この緊張感ある時期に悪化するなんて、もうタイミングが最悪。
「急いで薬と注射を準備します。食欲が戻るまで点滴も検討を…って言ってもここにはそんな高度な器具がないのよね、もう」
ブツブツ言いつつ、私は棚をあさり必要最低限の薬草と道具を取りまとめる。西洋風の宮廷だけど医療設備はまだまだ原始的、現代薬学の知識なんてほとんど秘密裏に生かすしかない。だけど文句を言っても仕方ない。こんな古い世界観に転生してしまった自分の運命を呪うしかないが、アレクシスあたりは平然と「ありがたい限りだ」とかほざくんだろうな。やれやれ。
そのまま殿下の部屋へ急行すると、緊張した侍医たちがドアの前を行き来している。私を見つけるとホッとした顔をしたから、そこそこ頼りにされてはいるらしい。殿下の寝台に近づき、軽く脈を測れば思っていたより具合がよろしくない。
「解熱剤の調合は急ぎます。あと、補助薬を定期的に飲んでもらって…」
言葉を切ったところで、脇に見えたマリアンヌが私を見据えて薄く笑う。あれは…妙な期待をしている顔。イザベル妃も公爵も、このまま殿下が寝込めば何を仕掛けやすくなるのか。それとも逆に、殿下の看病を買って出て“とびきりの恩”を稼ぐ算段か。面倒な思惑が渦巻いてそうで、頭痛がしそうだ。
だが、私だってされるがままじゃない。こうなったら、私の最速調合スキルを発揮して、殿下をスピード回復させて見返してやろうじゃないか。公爵の陰謀がなんだっての。邪魔するなら一気に蹴飛ばすまで。まったく、恋愛イベントなんか挟む余地なしに突っ走りたいくらいだ。
そう決意してさっさと下がろうとした矢先——
「君がいるだけで、心強い」
不意に聞こえたアレクシスの声に、私は思わずびくりと肩をすくめた。いつのまに後ろに立っていたのやら。彼は首筋に深いクマを抱えながらも、私を見つめている。その瞳はひどく疲れているのに、静かな熱を帯びているようでちょっとドキッとする。
だが、このまま妙な空気になんてさせない。
「…私には心強くなんて言わないでください。仕事がさらに増える暗示にしか聞こえません」
ツンケンと返すと、アレクシスは苦笑を浮かべて一瞬黙った。なんだかんだで彼も疲労の限界だろうに、頬が少し赤いのは熱でもあるのか、それとも単に怒りかもしれない。ま、意外と乙女心を隠し持っている可能性はゼロじゃない。けれど、私からかまう気はない。お互い、今は煩悩より仕事だ。
王太子の病を軽んじるわけにはいかない。公爵がこの混乱を利用して宮廷を牛耳ろうと企んでるなら、なおさら急いで立て直さなくちゃならない。誰がどんな密約をしていようが、私の手元の薬草と知識は誰にも渡さないんだから。
さあ、いよいよ王宮の暗雲が本気で降りてきた気がする。トラブルは山積み、陰謀の火種はじわじわと熱をもって広がり続けている。やることはいっぱいあるけど——むしろ燃えてくるじゃない。毒も政治も、まとめてぶっ倒してやろうじゃないの。
ピリピリした空気を味わいながら、私は振り返りもせず執務室へ向かった。ああ、今夜もろくに眠れないだろう。ただ、そのぶん快感を覚えるほどの達成感を得られるはず。どいつもこいつも私の能力をあまりナメてくれるなって話だ。
変に色恋沙汰を期待されるよりは、こっちのほうがずっと気がラク。エロい夢でモヤモヤする暇なんて与えないでください、って感じ。どうせ恋愛なんぞまっぴらごめんだし。
そう、私が飽きる前に誰かが脱落しそうだけど……ま、ついてこれるものなら、ご勝手にどうぞ。暗雲なんて吹き飛ばして、王宮を根こそぎ浄化してみせましょうか。期せずして笑いがこみ上げるのを感じながら、今日も私は“役得ゼロ”の超多忙な転生薬師であることを再認識するのだった。




