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20 解放される工房と仄暗い影

馬車の車輪が石畳を鳴らしている間、私は軽く目を閉じて頭痛をなだめることに専念した。さっきまでのあれこれで全身ダル重、特にお腹まわりがアルコールの熱気を引きずり回している気配がある。まったく、自分の酒耐性をあてにする羽目になるとはね。ああ、もうさっさと城へ帰ってベッドにダイブしたい。


しかし世の中そう甘くないらしく、馬車が王宮の中庭に滑り込んだと同時に宰相アレクシスの従者がテキパキと近づいてきた。曰く「早急に執務室へお越しくださいますよう」とのこと。まさかの即オーダーですか? しかも彼の声はとことん冷静で、私が酒くさい女だとバレているようにも感じない。こういうときだけ面子を守られてるっぽいのが、嬉しいような腹立たしいような……。


渋々ながらアレクシスの部屋へ向かうと、当の本人は机のそばで書類を見下ろしながら待ち構えていた。いつも通り整えられた髪、ひややかに透き通る瞳。その姿を見ると、なんだか私のほうが場違い感満載で恥ずかしくなる。ま、彼は好きでこんな完璧宰相をやってるんでしょうしね。


「お帰りなさい、セシリア。早速だが、工房の件は一応片づいたとか」

落ち着いた声で切り出される。一応どころか、あっちまでこっちまでゴリゴリ解決してきたんだけど、と言い返したい気持ちをぐっとこらえつつ、私は頷いた。

「そちらへの納品も滞りなく用意できるはずです。それより……もう次の話題ですか?」

私は鼻をひくつかせながら彼を睨んだ。絶対そうだろうと覚悟してるけど。一瞬、アレクシスの目尻がわずかに上がったように見えたのは気のせいじゃないはずだ。「次のお題は『行方不明の幻術師ブランシュ』について。それと富商連続死の疑惑だ。私としては原因をできるだけ早く突き止めてほしい」

……やっぱりね。


「連続死なんて物騒な響き、聞いただけで胃が痛いんですけど」

こう毒づいてみせても、アレクシスは微動だにせずクールな表情。むしろ「胃薬の処方は本人の専門だろう?」なんて返されそうだし、地味に腹が立つ。いっそう彼は私の雰囲気などお構いなしに、机の上の公文書をさらりと差し出してきた。

「目撃情報をざっとまとめた。ブランシュは華やかな公演の後、不審なタイミングで富商に接触しているらしい。水銀で鍍金する危険な術を使うといっては、多額の金を巻き上げて消える。死んだ商人たちも何らかの毒に冒されていた可能性があるが、詳細が不明だ」

私は書類を手に取って流し読みしながら、思わずむせそうになった。なるほど、実に香ばしい事件じゃないの。水銀とか毒とか、やばい連中にはウケがよさそう。まったく厄介だわ。


「それで、私に何をしろと? 私がブランシュを捕まえに行くんですか?」

「ああ。……無論、危険は承知の上だが、君の分析力を買っている。あらゆる毒への知見も助けになるだろう」

さらっと言われるが、じゃあ私が袋詰めにされるリスクは? なんてツッコミは野暮か。私はため息を吐きつつ机に戻した書類を指先でとんとん整えた。そんな姿を見ていたアレクシスが、ほんのわずかに口元をほころばせたように思える。でもそれを“ほほ笑み”と呼んでいいかは微妙。


「王太子殿下も最近、体の具合が上向きらしくてね。恥ずかしながら彼も『セシリアを頼む』としきりに言っている。毒見役として、王宮側もきみには引き続き期待している」

「………光栄ですが、ほんと勘弁してほしいです」

私がぼやくと、アレクシスは仏頂面に戻りつつ「今から嫌がっていては先が思いやられるぞ」と一刀両断。もはや言い訳も受けつけない空気。それにしても、毒やら陰謀やらに巻き込まれるたびに私が使われるこの図式……もうほんとにお腹いっぱいなんですけど。


ほどよく頭痛がぶり返してきたので、私は一度深呼吸し、気を取り直して口を開く。

「了解です。別に逃げはしませんから、案内や手がかりをもっと増やしてくださいね。ブランシュが姿を見せる場所とか、商人たちのつながりとか」

スムーズに仕事を進めるためには、もはやジタバタするのが無駄だと身に染みているから仕方ない。こうなりゃ逆にサクッと解明して、さっさと自由を謳歌してみせるまで。……まあ、その“自由”なんて概念が本当に手に入るのかわからないのが悲しいとこだけど。


アレクシスはほそく頷き、「文書管理官のヴィクトールにも協力させる」と言い足した。ヴィクトールか。あの物静かな書類オタク、妙に察しがよくてこっそりサポートしてくれるから嫌いじゃない。宮廷の記録引っかき回すのが趣味な人が一人いると、これまた捜査がはかどるし。


そうして話がまとまると、さすがに私もクラクラで限界だ。執務室を辞して自室へ戻ったものの、着替えの最中にふと鏡を見て、顔の火照り具合に驚かされる。疲れなのか酒の residual(しつこいアルコールの殴り返し)なのか、心当たりがありすぎて笑えない。しかも首筋にうっすら汗が光っているのを見つけてしまい、なんだかヒヤリとした。……こんな姿、誰かに見られたらいらん誤解受けそう。


私は慌てて窓を開け放ち、夜風を体に浴びる。すうっと冷たい空気が肌を撫でていくのが気持ちいい。なんだろう、ちょっとした背徳感があるのはおかしいんだけど、ほてった体にはいささか刺激的。そのまま胸元に手を当てたら何だか心拍が早くて、自分で自分に吹き出しそうになった。別に誰かと絡み合ったわけじゃあるまいし、ただの飲みすぎだっての。


それでも、少しだけ胸がざわつくのは、また新しい厄介事に突っ込む予感のせい……と思いたい。水銀モドキの危険な幻術師トラブルなんて、面倒の極みに違いない。そして何より富商の死が積み上がっているとなると、笑い話では済まされない。でもそういう陰謀劇って、ちょっと怖いけどゾクゾクするところがあるのも事実。自分で言うのも変だけど、私の勘は嫌になるほど当たるから、どう転んでも来週あたり胃痛確定なんじゃないかと思うと心が折れそうだ。


……かといって、関わらずにいられないのが私らしさだろう。ちょっとだけ惚れ惚れするレベルの皮肉である。まあ、せいぜい全力でやっつけてやる。あわよくば今回も上手に立ち回って、一刻も早く自由時間を取り戻すんだから。


ともあれ今夜は、体力温存が最優先。私は窓を閉めてカーテンを引き、軽くマッサージしながらベッドへ倒れ込む。安酒まみれの過酷な一日を乗り越えた自分に、自主的に拍手してあげたい気分だ。おやすみなさい、セシリアさん。今夜だけは悪夢をできる限りお断りでいきたいところ。


ただ、枕に顔を埋める寸前、ふと脳裏にブランシュの公演映像みたいなものがよぎる。きらきら輝く衣裳、ひらひらと立ちのぼる怪しげな煙——そして、笑みを湛えた夜の魔女みたいな面差し。あの派手な女と、ご遺体の姿が被って見える気がして、妙に胸がざわりと震えた。……やはり気を抜く暇など最初からなかったってことね。自分へのご褒美は、もう少し遠そうだ。


そう苦く思いながら、私は目を閉じる。

今宵くらいは悪夢じゃなく、ほんのり色気のある夢の一つや二つ、見られるといいのだけど。なにせ、ここ最近まともなロマンスからは程遠い生活ばかりなんだから。ちょっとぐらい甘い妄想に浸っても罰は当たるまい——そう自分に言い聞かせつつ、明日から待ち受ける激動を考えて、ラスト一回大きなため息をついておいた。

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