19 工房に迫る脅威と飲み比べ勝負
翌朝。私が工房の中庭で職人たちと話していると、いかにも乱暴そうな足音が響き渡った。見ると、地主のコルネリウスが屈強な用心棒を十名以上も引き連れ、どかどかとやってきたではないか。職人たちは一気に青ざめ、誰もが口をつぐむ。私は「やっぱり来ちゃったか」と内心ため息をつきながら、その行列を冷ややかに見つめた。
コルネリウスはここぞとばかりに腕を組み、大声で宣言する。
「古い契約書なんざ、もう無効だ! 本日をもって工房の権利はすべて俺のもんだ。応じられぬなら……わかってるよな?」
さも愉快そうに言い放ち、指で合図を送ると、用心棒たちが職人たちへじりじりと迫る。彼らが無理やり下働きに連行しようとしているのは明白だ。周囲の緊張感はマックス。けれど私は、その土壇場でつい胡散臭い酒樽の山が気になった。工房の奥に積まれたあの大量の樽は、どう見ても普通の在庫量じゃない。
ふと、私はコルネリウスにわざと無邪気な声をかける。
「ところで、コルネリウスさん。そちらの酒樽、ずいぶんいっぱいあるのね。飲むのが趣味?」
彼は露骨に顔をしかめる。
「勝手に見るな。これは、工房の者どもが味わってるだけだ」
どう考えても不自然だがまあいい。ここで大切なのは、彼を鼻っ柱ごと崩すキラーパスを放つタイミング。私はまわりの職人にちらりと目配せした。すると彼らも、そわそわと私の動きを注視する。イザベルや宰相アレクシスがいてくれたら話も早いのに、あいにく私だけでやるしかないのだ。いささか面倒な役回りだけど、やるとなったら徹底してやる。それが私の流儀だ。
「ま、とにかく。あれだけ酒が揃ってるなら、いっそ飲み比べで決着なんてどう? 私とあなたで勝負して、勝ったほうが契約の主導権を握るっていうルールはどうかしら」
わざと明るい調子で挑発すると、その場の空気がぴりりと引き締まる。コルネリウスは最初こそ嘲笑に近い表情を浮かべたが、
「女ごときが勝負だと? そんなの茶番に決まってる」
と鼻で笑った。そして私の後ろに佇む用心棒たちへ視線を走らせる。ご丁寧に筋肉アピールでもしてるのか、みな腕を組んでニヤついている。
誰もが「そんなもん成立するわけない」と馬鹿にしているのがありありと伝わってきて、私はさらに口元を歪めた。いや、私は意外と酒がイケる口でしてね——なんて自慢する気はないけれど、現代人の嗜みをなめるなと、心の中で舌打ちする。ここはあえて“利用できるものは全部利用”が基本戦術だ。
「ではこうしましょう。もし私が負けたら、工房の職人たちはあなたの言うとおりに従う。逆に私が勝ったら……不当契約は今すぐ破棄、借金は帳消し。それでどう?」
周囲がどよめく。ルイーゼやエミールは目を丸くして私を見つめるし、ベルトランは「ちょ、ちょっと待って! あなたがそんな無茶を……」と慌てふためく。けれど、ここで反対されても手はない。コルネリウスが「その賭け、面白いじゃねぇか」と口をほくそ笑ませている今こそ絶好のチャンスだ。
こうして簡易の長テーブルが闇市の博打場みたく設えられ、その上に濁り酒が次々と並べられた。匂いだけでも強烈だが、私は平然と鼻先をくすぐるアルコールの刺激に耐えながら、杯をひとつ手に取る。コルネリウス側は「先に潰してやるか」と悪趣味な囁き声を立ててニヤニヤ。彼の取り巻きまで加勢しにくるというなら、こっちはまとめて相手になるとしよう。
「じゃ、いきますね。そちらさん、からっぽになるまで一気にどうぞ?」
私が杯をぐいと煽ると、強烈な喉焼け感が全身に走る。だけど思ったほど苦しくない。フフッ、これはいけそう。案の定、まだ数杯重ねたあたりで、飲み慣れているはずのコルネリウスのほうが顔を赤くし始め、その鋭かった目つきがしだいにとろんとしてくるのがわかる。周りの用心棒たちも対抗意識丸出しで参加してきたせいか、次々とへべれけに陥落していった。
「お、おい、おまえら情けない……ぐへっ……」
コルネリウス自身もやがて限界が来たのか、大柄な身体を揺らしながら膝をつき、口から息を荒げた。はい、ざまぁ。こちらは若干クラクラしつつも、いつもの毒の強さで鍛えてるから何とか立っていられる。酒と毒は違えど、私の“実験精神”はダテじゃないのだ。
「まだいけるの? もう諦めるなら契約書、破りましょ? それとも酒と一緒にあなたの隠し資金ルートもベラベラ喋ってくれる?」
そう言ってにっこり微笑むと、コルネリウスの顔がさっと青ざめる。どうやら密造酒で税金逃れをしている事実が工房の地下にゴロゴロあるのを私に薄々見破られたと悟ったのだろう。もう負けを認めるしかないと判断したのか、しどろもどろになりながら、
「くっ……わかった……この勝負、おまえの勝ちだ……」
と降参を宣言。その瞬間、職人たちの間から安堵の声が漏れた。
こうして不当な契約書は目の前で断ち切られ、職人たちを縛っていた多額の借金請求もすぐに取り下げられた。ルイーゼとエミールは大粒の涙を浮かべて抱き合い、周りから「よかったな!」と祝福の声があがる。私は自分の頬に熱がこもっているのを感じながらも、悪酔いのダメージを引きずらないよう頭を冷まそうと深呼吸した。酒量には自信あるけど、さすがにこんな短時間で大量に飲むのはキツい。
コルネリウスは用心棒たちとともにしぶしぶ退散していった。その背中に声をかける気力はもうない。ひとまずこれで羊皮紙工房は一息つける。王宮御用達の納品に支障も出なければ、宰相アレクシスにも文句を言われずに済むはずだ。私は軽く眩暈を感じながら、むちゃくちゃになった体をなんとか支える。
「セシリア様、本当にありがとうございました……!」
エミールが深々と頭を下げる。ルイーゼの目も真っ赤で、でもその笑顔は輝いていた。ちょっとした恋愛劇に立ち会ったというか、絡んでしまったというか……まあ本人たちが幸せならいいか、と内心思う。
「ええ、良かったですね。無理矢理引き裂かれる恋ほど面倒なものはありませんし」
つい本音が口をつくと、彼らは何故か顔を赤らめて互いを見つめ合う。ごちそうさまです。私はどうも“そっちの甘い展開”に免疫ないし、なんか見てるだけで胃がもたれそう。贅沢な砂糖菓子を無理やり食べてる感じだ。
ともかく一件落着。そう思い、私が工房を後にしようとしたとき、ベルトランが「お疲れさまでした」と朗らかに声をかけてきた。そのあとグッと小声になり、
「ところで、ブランシュって幻術師を見たことありますか? 最近、彼女の公演後に富商が急死する例がまた出ているそうで……」
と教えてくる。正直、私はまだその真相に首を突っ込む余裕はない。けれど一度気になったら放置できないのが私の性分だ。飲み比べ勝利の達成感をじっくり味わう間もなく、また次の火種がくすぶっているのを感じた。
「幻術と毒殺……おかしな組み合わせね。ま、そんな厄介な噂にも気を付けておくわ」
そう返しながら、私は腰に手を当てて苦笑した。どうせまた、宰相あたりが私を便利にこき使うんだろうな。めんどくさいったらありゃしない。
そう考えながら馬車に乗り込む直前、工房の奥から職人たちが心配そうに見送ってくるのが視界に入り、少し胸がほっと温かくなった。恋愛だろうが契約だろうが、何かを守ろうとする姿はきらめいて見えるものだ。私のほうは陰謀に巻き込まれる未来しか待ってない気がするけど、いいかげん慣れたしね。
——こうして羊皮紙工房の騒動は一応の解決を見た。
が、ブランシュの行方不明と続く富商の不審死という暗い影を振り払うには、もう少し時間がかかりそうだ。アレクシスに報告するだけで、また忙殺の日々がはじまると思うと、正直ウワアア!と叫びたい気持ちでいっぱい。だけど私、無駄に有能らしいし、いつものごとく流されるまま巻き込まれてやろう。どうせ後宮も城下町も、どこにいても厄介事には事欠かない女の運命なんだから。
そう自分に言い聞かせながら、私は馬車に身を預ける。重くのしかかる酒気を振り払いつつ、これから訪れる新たな嵐をうっすら感じながら、胃痛でも起こしそうな不安と興奮を抱えて、王宮への帰路を急いだのだった。




