17 揺れる噂と消えた幻術師
"ブランシュが公演を終えて忽然と消えた翌朝、私は王宮へ戻る馬車の中でひどく落ち着かない気分になっていた。生温い風が頬をかすめるたびに、あのきらびやかな金粉の乱舞と不吉な水銀の記憶がよみがえる。しかも、立て続けに死んだ富商の噂は今や街中を駆け巡り、誰もが「ブランシュはまやかしの悪魔かもしれない」と囁いているらしい。正直、そんな大げさな話かと思いつつも、私の胸には言いようのない不安がしこりのように残っていた。
王宮へ到着すると、早速宰相アレクシスに呼びつけられた。応接室の中で彼は書簡を読み流しながら、いつものように涼しい表情だ。「ブランシュの所在がつかめない以上、富商が亡くなった原因を究明すべきだろう。おまえ、医学やら毒やらに詳しいんだろう?」と、まるで他人事のように言ってくる。ま、事実だから反論できないけど、もうちょっとオブラートに包んでほしい。
「水銀が直接の原因ってわけでもないのでは? 簡単に死ぬというより、じわじわ——」
私がつぶやくと、アレクシスの目がきらりと細められた。
「ああ、だが事態はそれだけとは思えん。そもそも彼女みたいな輝かしい見世物師が、わずか一夜で消えるのも異様だ。裏で糸を引いている連中を焙り出せ」
「焙り出す方法があれば苦労しないわよ」
密かに毒づくと、彼は悪戯っぽく口端をゆがめた。
「そんなおまえこそ、違和感を嗅ぎ分けるのが抜群に上手いじゃないか。自覚がないようだが、そこが面白い」
……どうせ“面白い駒”って意味の面白いだろうと内心で睨んでいると、控えめにノックする音が聞こえる。入ってきたのは文書管理官ヴィクトール。朗らかな顔つきで私をちらりと見やり、「セシリア様、例の富商たちについて古い死亡記録や裁判記録を調べてみました。気になる名前が何度か出てきます」と手渡してくれた書類は、読み進めるほどに眉がひそまる。どうやら過去にも類似した急死例があったらしい。しかも、背景には得体の知れない催し——“線香をたく奇妙な舞踏劇”という記述が。おまけに最後の方には小瓶の痕跡を示す断片的な報告が挟まれている。まさかブランシュの芸と同じ仕組みじゃないわよね、と背筋がざわついた。
情報を小出しにするヴィクトールの穏やかな調子が、逆に不気味なほど胸を騒がせる。彼は私の反応をそれとなく観察しているようで、けれども「困った時は申し付けて」と優雅に微笑んでくれるから嫌いじゃない。でも周囲は「あの文書管理官、セシリア様にやたら構うよな」なんて茶化してくるからうんざり。べつにモテたいわけでもないし、むしろ面倒ばかり増えて困るだけなんだけど。
とりあえず、ブランシュの公演時に使われた煙や線香に何か仕掛けがあった可能性が濃厚だと睨み、私は城下の衛兵詰所へ足を運ぶ。すると、衛兵たちは「ブランシュの舞台裏では、妙な香りが立ち込めていた」と証言し、さらに「青黒い小瓶を見かけた」という話まで出る始末。まるで裏方が毒をばらまいてでもいたような言い草だが、実際に誰かが死んでいる以上、そう軽々に否定もできない。
一方、そんな私の動きを探るように、王の側妃イザベルの侍女マリアンヌがちょろちょろと姿を見せる。大っぴらに話しかけてはこないくせに、陰でこそこそ嗅ぎ回っているのが丸わかり。あの人、表向きは優美な笑顔なのに、実際は情報操作のプロだと聞く。私の持つ“毒の知識”だか“王宮の裏事情”だか知らないけど、監視されるのは気分が悪い。もう鬱陶しいったらない。
さらなる厄介事は、王太子エドワードの病状がまたしても悪化しているという報せだ。急死した富商の一人がエドワードの主治医を支援していたらしいから、その関係で薬の供給も途絶えそうだという。宰相がすぐに別のルートを確保しそうではあるけれど、それにしても不穏なタイミングである。何だってこんなに波乱要素が絶えないのか、私は頭を抱えたくなる。
部屋へ戻る廊下の途中、今度は見覚えのある下衆な侍従が道を塞ぐ。「セシリア様、今日はお疲れでしょう。マッサージなどいかがで——」なんて鼻の下を伸ばして近づいてきたから、反射的にヒールで足の甲を踏みつけてやった。ぐえっと叫ぶ彼を横目に「触らぬ神に祟りなしよねえ」と華麗にスルー。ちょっと痛めつけるくらいなら許されるでしょ。若年層の皆様も、こういう輩は容赦なく撃退しましょう。私、別に格闘術が得意なわけじゃないけど、こういうシーンでは“ざまぁ”とご堪能いただきたい。
とはいえ、こんなセクハラ撃退にいちいちエネルギーを費やさなきゃいけないなんて、世知辛いわね。そもそも私に恋愛願望なんて皆無で、色気を振りまいた覚えもない。むしろ面倒ばかり増えて憂鬱なのに。そんな鬱屈を抱えたまま自室に駆け込み、雑然と並べられた書物や薬瓶の山へ突っ伏す。とにかく、今はブランシュの行方と、続発する不審死を結びつける糸口を探るほうが最優先事項だ。あと、王太子の病気にも対策を急がないと——。
窓の外を見上げると、月が冴えわたる夜空にぽっかりと浮かんでいる。こんなときほど心臓が高鳴って、嫌なゾクゾクと興味が混ざりあう。生易しい推測じゃ到底片づけられない厄介な謎……けれど、意地でも真っ向勝負するしかない。このまま黙っていれば、全てが闇に埋もれてしまうから。
大きく息を吸い込み、意を決して椅子から立ち上がる。アレクシスは次があったらまたとびきりの策略を打ち込んでくるだろうし、ヴィクトールはさらなる文献を持ってくるはず。死んだ富商たちの真相をえぐり出すうちに、ブランシュという幻術師の正体がきっと暴かれる——そう信じたい。エドワード様を救うためにも、ここで私が止まるわけにはいかない。
嵐の予感はまだまだ続く。だけど、これが心のどこかでわくわくするのは、一体なぜだろう。リスクだらけと知りつつも、どうしようもなく踏み込みたくなる自分がいる。仕方ない、やるしかない。それこそが私の性分であり、この宮廷陰謀劇のスリルそのものなのだから。"




