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16 幻術師の危険な水銀

ブランシュの公演当日、劇場に飛び交う狂熱的な喝采を耳にするだけで、私は胃がきゅっと締め上げられそうになる。まさか幻術師が真昼からこんな派手に“金属を変える”なんて——もっと小ぢんまりした演出かと思っていたのに、思いきり度肝を抜かれた。しかも、嫌な予感が的中するスパイス付き。いやだったら帰れと言われそうだけど、仕事だから仕方ない。


  

舞台ではブランシュが輝かしい金粉をばらまき、観客は目をキラキラさせてアホみたいに手を叩いている。噂によると、彼女は水銀すら飲み込むそうだ。そこまでやる理由はわからないが、観衆の期待を煽るためだろうか。医療の立場から言うと、毒としか形容できない液体を堂々と使うなんて正気の沙汰じゃない。それでもああやって、華麗に踊るように盃を傾ける姿は絵になるというか、何というか……。


  

「この盛り上がり、ちょっと不吉だわ」

私が舞台袖でつぶやくと、いつの間にか隣に立っていたのは宰相アレクシスだ。彼は一見涼しい顔で拍手を送っているが、その実、目だけは冷め切っている。

「同感だ。まるで祭りのクライマックスだが、どこか血なまぐさい空気も混じっている」

彼がそんな皮肉を漏らすのは珍しい。どうやら嫌になるほど、ただならぬ匂いを感じているらしい。


  

そして、奇術が頂点に達したところで、ブランシュは盃を高く掲げ、水銀をひらひらと舌の上へ……。観客からは割れんばかりの歓声が上がる。私は内心「あーあ」と思いながらも、あのぎらつく液体を使った演出に寒気を覚えずにいられない。いや、もう好きにしてくれって感じ。下手に駆け寄って止めるわけにもいかないし、あの人だって覚悟の上だろう。


  

結末は、ブランシュが満面の笑みを浮かべて舞台を後にした——それだけ。拍子抜けといえば拍子抜けだが、やたらきらびやかな幕引きだったわりに、彼女は楽屋に姿を見せなかった。観客は二幕目を待ちわびて騒然となるが、一向に現れない。結局、その晩には完全に所在不明になっていた。


  

なんだか嫌な胸騒ぎが増幅していく。せっかく一瞬だけ平和を感じたのに、次の朝には富商の突然死が数件立て続けに報じられた。これまた騒がしいことこの上ない。しかも、いずれも王宮へ納品していた商人ばかりだ。飲食の毒見役も兼ねる私としては、他人事じゃすまされない。


  

「まさか、あの水銀が原因?」

私が口走ると、アレクシスは小さく鼻で笑う。

「浅いな。確かに水銀は人体に良いわけがないが、摂取してすぐ死ぬとも限らん。もっと別の仕掛けがあるはずだ」

「……宰相殿、意外に物騒なことをスラスラ言うわね」

「誰に向かって言っている?」


  

まったくもってそうだ。彼の頭の中は常に蜘蛛の巣みたいに情報が張り巡らされていて、そこを軽々と渡り歩く。逆に言えば、この混乱の裏でどんな暗躍が行われようとも、アレクシスならしれっと追跡していそう。そんな彼に「自分はまるで有能じゃない」と思いながらも頼らざるを得ない私の立場は、何やら居心地が悪い。どうせ私なんて単なる薬師で——と思っていたら、彼の目が私を値踏みするように光る。「おまえの嗅覚は貴重だ。頼りにしているよ」って、さらっと爆弾投げるんじゃない。一応礼を言うべきなのかもしれないけど、素直に喜べるわけもない。


  

しぶしぶ王宮の古文書室に赴くと、そこにいたのは文書管理官ヴィクトール。温和な彼は私を見るなり、軽く目を丸くした。

「セシリア様……お疲れの様子ですね。何かお役に立てる文献があれば」

思わず深々と頭を下げてしまう。ありがたいけど、モテるとかそういうんじゃなくて、単に彼が優しいからだと信じたい。後ろでアレクシスが噴き出している気配がする。何笑ってんの?


  

散々探し回るうちに、水銀にまつわる怪しげな錬金術やら毒殺事件の記録がぞろぞろと出てくる。ページをめくる指先が汗ばんで、喉がカラカラになるほど嫌な予感が湧くのだが、止められない。やっぱりブランシュはただの曲芸師じゃない。富商が立て続けに死んだなんて妙すぎる。もし彼女が消えた裏で誰かが暗躍しているなら、いったいどんな陰謀が転がっているのか。


  

「おまえが夜な夜な資料を漁る姿、ちょっと妖艶でいいな」

そんな唐突なアレクシスの言葉に、私は勢いよく本を閉じる。意味わからない。夜中に書庫で色っぽいことなんて、欠片もしていないのに。頭の中で“ざまぁ”と毒づきたくなるが、ここでは我慢だ。目をワナワナさせていると、彼は窓の外に目をやっておどけるように言った。

「まあ、興醒めするなら適当に受け流せ。まだまだこの先、嵐は続く」


  

嫌な宣言だけど、その通りだろう。ブランシュは行方不明、富商は原因不明の死——そして水銀というキーワード。王太子への影響も懸念されるし、イザベル側の動向が厄介事を増幅させるのは必至だ。落ち込みそうになる私をよそに、どこか楽しげな宰相殿は「さあ、次の一手を考えるとしようか」と悪魔じみた笑みを浮かべる。こういうときだけ息ぴったりなのが癪に障るけれど、今は共同戦線。嫌でも手を組むしかない。


  

その晩、廊下を歩いていると、突然和やかな空気をぶち壊すように下衆な侍従が手を伸ばしてきた。「手慰みにもう一杯どう?」なんて口説き文句を投げつけられたから、迷わずハイキック一発。おかげで私の脚を見たがる無粋な変質者が転げ回るという、お約束のざまぁ展開である。ああ、少しは気が晴れた。こういうセクハラ上等のやつらは痛い目に遭うべきだし、若年層観客にウケるなら、まあよしとしよう。


  

ふと視線を上げると、廊下の先にアレクシスが引率してきた書庫係の一団が待っている。私の方にウインクする彼を睨みつけながら、足早にそちらへ向かった。妙なときめきなんて皆無なのが、自分でも拍子抜けだけど仕方ない。今は恋愛なんて片手間にしてる場合じゃない。富商連続急死の謎解きこそが急務だ。


  

気がつくと、胸の奥に奇妙な熱が宿り始めている。何でもいいから原因を突きとめて、今のうちに王宮の混乱を収束させたい。そして、行方を晦ませたブランシュを探し出さなくちゃ。あの危険な水銀の“飲み芸”という悪趣味の裏に、何が隠れているのか知りたいんだから。


  

そう思った瞬間、背筋にゾクゾクとした期待が駆け上がる。戦々恐々とワクワクがないまぜになって、どうしようもなく突き進みたくなる。この危ない嫌な感じこそ、私が徹底的に暴いてやるべき闇の本質かもしれない。さあ、必要な資料をかき集めて、次のページへ。やめられない止まらない、まさに問答無用のジェットコースター——とんでもない夜になりそうだ。

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