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13 囁かれる不穏の兆し

 城内の回廊を抜け、私はひっそりとした控室に滑り込む。


顔を上げれば、そこにはアレクシスが外套を脱ぎかけのまま、心底迷惑そうにため息をついていた。

「…やっぱり、水面下で何か動いてるね。先代の研究記録と、ブランシュの奇術が無関係だとは到底思えない」

「やめてよ、陰謀と毒の匂いばっかり漂わせないで。こっちはまともに眠れないんだから」


返事をしながら、先代医師のノートの一節を思い返す。

“飛蝗が大発生すれば、作物が根こそぎ食い荒らされ、国中が大混乱に陥る”…なんて書かれていた。

いや、普通に考えればただの農業災害かもしれない。でもあのノートには他にも“目くらましの煙”だの“狂気を呼ぶ香”だの、意味深な用語がごろごろ転がっている。

「まるっきり呪いの書よね。こんな黒い予言の山盛り、誰かの実験ノートじゃなくて?」

私の皮肉に、アレクシスは苦笑を漏らす。言い返す暇もなく、ノックの音が響いた。


ドアの隙間から顔を覗かせたのは、ヴィクトール。いつもの穏やかな表情だが、その目はどこか焦っている。

「セシリア様、急ぎで見ていただきたい資料があって…森林伐採と鳥の減少が加速しているそうです。それがもし、飛蝗の発生と重なれば…」

「最悪の場合、飢饉が起こるってわけ? 毒だの不老不死だの言ってる場合じゃないわね」

しかし同時に頭の片隅には、ブランシュを取り巻く騒ぎがちらつく。夜ごと華やかに繰り広げられるショーに貴族が熱狂し、熱狂するほど思考は麻痺しがち。そこを狙う誰かがいる――そんな気がしてならない。


「宰相閣下、今宵のブランシュ公演のリハーサルを覗いてきましたが…妙な香りが漂っていましたよ」

ヴィクトールの報告にアレクシスが眉をひそめる。私もそれに便乗して深くうなずいた。

(本番前から香料を? まさか、観客を惑わす仕掛けでもあるのかしら)


そんな疑念を抱いていると、背後からいきなり囁くような声がした。

「セシリア様、少し落ち着かれたら? 顔が怖いですよ」

振り返れば、マリアンヌの笑みが凍てつくほど妖しい。彼女は相変わらず私の行動を監視しているらしい。

「落ち着いてるわよ。あなたに顔色を指摘されるなんて、人生最悪の屈辱かもしれないけど」

「まあ、私としては、セシリア様がどこで転ぶか見届けられるなら楽しいのですけど」

「うわ、性格悪。ちょっとは隠してくれない?」

二人のやり取りに、アレクシスが「おまえら表面上だけでも協力しろ」と頭を抱える。まったく、醜い女同士の戦いなんて見たくもないかもしれないけど、性格ブスと呼ばれようがこちらは譲る気ゼロだ。


そこへ、エドワード王太子が顔を出した。いつもながら優雅だが、今日は少し唇が青ざめている。

「ブランシュのショー、また盛況のようですね。取り巻きの方々もそわそわしていました。でも…本当に何も起こらないのでしょうか」

芯のある声だけど、不安が滲んでいる。彼は体調の起伏も激しいし、周囲のざわめきに敏感だ。

「大丈夫よ、殿下。私だってタダでさえ眠いのに、みすみす悪党の思う壺になりたくないわ。あなたも無理せずお休みを」

そう言うと、エドワードは頬をうっすら赤らめて「ありがとう」と呟いて去っていく。見送りながら、私は胸の奥で小さくため息をついた。

ああもう、下手に礼を言われると私が浮ついてるように思われるじゃない。恋愛に興味ないのに。まったく、こっちも可哀想なモテ要素だ。


ほどなくして、マリアンヌが不思議な紙片を渡してきた。

「こういう寵愛重視の宮廷では、派手な舞台が大歓迎なんですよね。ブランシュ殿はそこをうまく突いてるだけかもしれませんよ?」

「……さあ、どうかしらね」

紙片には、この国の各地から運ばれてくる薬草や香料の種類と、先月から急に増えた“ある植物”の名がざらざらと記されている。その品目が、私の脳裏で危険信号を点滅させた。

(これ、精神を高揚させる成分じゃない? ひょっとして、それを焚いて観客を興奮状態にさせ…)


その瞬間、廊下の向こうで派手に笑う男たちの声が聞こえた。よく見れば、イザベルの取り巻き軍団が揃いも揃って浮かれ歩いている。何やらブランシュ万歳、みたいに声を上げているじゃない。

「…完全に飼いならされてる感じね。まるで集団催眠か何かかしら」

思わず毒舌が漏れると、隣でアレクシスがニヤリとする。

「おまえなら、その毒々しいショーも見破れるだろう。まったく、頼もしいやつだ」

「勝手に褒めるな。そんなつもりはないし、私自身よくわかってないんだから」

皮肉交じりに応じながらも、その言葉が背中を軽く押してくれたのは事実だ。どうやら私の“薬師センサー”がビンビンに反応している以上、腹をくくるしかなさそう。


リハーサルをこっそり覗きに行けば、案の定、舞台裏で香の調合をしている助手らしき人物を目撃してしまった。瓶の中身はあやしい液体で、嗅ぐだけでクラクラしそうな刺激臭も漂う。

「うわ、これ絶対ヤバいやつだ…」

思わず呟くと、その場にいた楽士たちがびくりと振り返る。バレるのも時間の問題かもしれない。

だが、それでも一歩も退く気はない。このショーを裏から操る連中が何を狙おうと、私が首をつっこんでぶち壊してみせる。何なら、ほかの陰謀も根こそぎ叩き潰してやろうじゃない。


部屋に戻り、ひと息ついたところで、高揚感と急な腰砕けが同時に襲ってくる。背筋がゾクゾクして、変な汗まで出てきた。

「……まさか私まで変な成分吸っちゃったんじゃないでしょうね?」

そんな不安にも苛まれるが、今は慎重に進むしかない。下手に騒ぎ立てれば、こちらが謎の失踪を遂げかねないのが宮廷という怖い場所だ。

「何をどう仕掛けてくるのか、むしろ面白くなってきたわ。悪趣味にも程があるけど。毒か色香か、どっちをぶつけてくる?」

半分やけくそで呟いてしまう。まさか本当に凌辱に巻き込まれたら困るけど、それ以上に好奇心が抑えられない。


それから程なく、アレクシスから短い書簡が届いた。

“ブランシュの真意を突き止めてくれ。王太子の不安を晴らすためにも、おまえの判断に任せる”

と、要は丸投げ。まったく、宰相閣下は私より腹黒い癖に、こういうときだけ頼りにしてくるんだから。


その夜は寝る前に一度、先代医師のノートを手に取る。飛蝗、毒、香料…まるで点が次々と繋がっていくようだ。

「裏をかいてやるしかないわね。…変な刺激は嫌いじゃないし」

口元に浮かぶ笑みを止められない。こうしてまた、しがない宮廷薬師はちょっと危険な罠に踏み込もうとしている。

誘拐? 凌辱? どうせなら、どんと来い。こっちには適切な解毒も睡眠薬も、いざとなれば“劇薬”すらあるんだから。

覚悟なさいよ、ブランシュとその黒幕たち――全部まとめて、私の“毒見”の視界にズバッと捉えさせていただく。


胸の奥の不穏が渦を巻く一方、なぜかワクワクが止まらない。次なる舞台で何が待ち受けているのか。その日の夜は妙に眠りが浅くて、そしてやけに愉快な悪夢ばかり見ていた。


(…さて、この滑稽で底知れぬ闇をどう料理してやろうか)


そんな決意だけを抱えて、私はまた密やかに目を閉じる。

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