宮廷チェス大会と消えた長男の謎2
グレゴリーの顔からは、どこか芝居がかった苦悶が透けて見える。チェス大会が一気に中断され、私とアレクシスは一歩退いて事態の整理に入った。周囲の貴族たちは遠巻きにこちらを見守りながらも、自分の対局の行方が気になるのか、落ち着きなくざわめいている。
だけどこの空気、嫌いじゃない。医術の知識を振りかざすだけでなく、“誰が何を隠そうとしているか”を見抜く――そんな曖昧な仕事も、最近は性に合ってきたと思わなくもない。もちろん、それを周りに言いふらす気は一ミリもないのだけれど。
「セシリア、その指、何か気づきはあるか?」
そう声をかけてきたのは、相変わらず要領が良さそうなヴィクトール。王宮の文書管理官だけあって、情報収集に目がない人だ。私が指を包む布をそっと広げて見せると、彼の視線が一瞬きらりと細くなった。
「ほう…意外と手入れされた指ですね。まるで、すぐ腐らないよう処理されているみたいだ」
「同感。どうにも“切りたて”って感じがしないのよね。あ、言っておくけど、グロいとか言わないでよ」
ふと視線を感じて振り向くと、イザベル妃が獲物を狙う猫のような目をしてこちらを覗いていた。その隣で侍女のマリアンヌが「お茶でもいかがですか?」なんて場違いな調子。私が少し顎をしゃくってみせると、マリアンヌは笑顔を崩さず「まあ失礼」とだけ言って距離を取った。あのペア、絶対何かたくらんでるに決まってる。
「肝心のグレゴリー卿は、すっかり茹で蛸みたいな顔してるな」
アレクシスが低く嘲笑すると、当のグレゴリーは耳をそばかす色に染めながら吠えかけた。
「何を笑っている! 息子が危ないって時に!」
「いや、あなたが息子を本当に心配してるのか、それとも別の理由で焦っているのか――そこが気になってるだけだよ」
さらりと返しながら、彼は私の背中を手で促す。どうやら指の詳しい鑑定を手短に頼みたいらしい。その場でちょっとだけ脈や血痕の状態を確認するが、やはり妙な防腐処理の痕跡は気になる。これ、誰かがちゃんと手順を踏んで保存しているとしか思えない。
「ねえグレゴリー卿、次男ジュリアン殿と長男ハロルド殿、最近体格が似てきたとかある? この指、けっこう太い。」
「うっ…! そんなこと知るか! どっちでもいいから、ともかく早く助けてくれ!」
周囲からは「どっちでもいいってなんだ」「息子をそんな風に?」と小声の呆れが飛んでくる。さすがにこれには私もカチンときて、わざとらしくため息をついた。
「どっちでも良いっていうのは極論じゃないかしら。あなたが本当に“ジュリアンが誘拐された”と信じてるのなら、この指が誰のものか知るのは大事でしょ」
「ぐ…うるさい、黙れ! くそ…!」
グレゴリーは声を荒らげ、横で悲しそうに首を振るオットーや他の貴族を睨みつけた。対局途中だった者たちは「巻き込まないでくれよ」という顔でそそくさと離れていく。おいおい、これじゃ何のための華やかな大会だかわからない。
そうこうしているうちに、王太子エドワードがフラリと立ち上がろうとする。しかし貧血気味なのか、その場に膝をつきかけた。慌てて私が駆け寄ると、彼は「すまない、ちょっと目眩がしただけだ」と申し訳なさそうに微笑む。その顔色は真っ青で、どう見ても安静が必要に思える。
「エドワード様、念のため椅子にお戻りください。あまり無理をされると、余計に毒――あ、ごほん、体調が悪化しますよ」
「わかっている。セシリア、多方面に苦労をかけるね」
こんな場面でも私を気遣うなんて、王太子の人柄には頭が下がる。けど、その優しさを利用しようと狙う輩がまたこの宮廷にはうじゃうじゃいるわけで。ふとイザベル妃が視線をそらしたように見えたのは、気のせいじゃないはず。
「さて、チェス大会に戻るどころか、まさに指先から騒動が始まったな」
アレクシスの呟きに、私は指をそっと布で包み直す。混乱の最中、私たちが得た情報といえば、“これは誰かの巧妙な偽装かもしれない”という予感だけ。ジュリアンが本当に行方不明なのかどうか、真相にたどりつくにはもう少し時間が必要だろう。
だが、周囲を見る限り、すでに別の思惑が渦を巻いているのが感じられる。チェスの大会を利用して、誰かが何かを隠すか、あるいは焙り出そうとしている――そんな気がしてならない。私の視線を受けて、アレクシスがわずかに笑う。まるで「君ならわかるだろう?」と言わんばかりだ。
胸の奥がずくりと疼く。ここから先、どんな陰謀の歯車が噛み合っているのか。イザベル妃が不敵に微笑む意味。グレゴリーの隠し切れない狼狽。マリアンヌの粛然とした態度。きっと、あの無表情なヴィクトールすらも何かを察しているに違いない。
「…試合どころじゃないわね。いつになったら平穏に薬草研究とかできるんだか」
ぼやきつつも、心のどこかでわくわくしている自分がいる。この事件を解いてしまえば、またひとつ宮廷の闇に斬り込めるだろう。私の有能さ? 別に自覚はないけど、眼前の謎を解きほぐすのは案外嫌いじゃない。
「さあ、皆さん、一度落ち着いて。それからグレゴリー卿、少々お話をさせてもらいましょう」
静かながらもはっきりした口調の私に、周囲の目が集まる。エドワードが自分の席で息を整え、イザベル妃はまるで面白い舞台を見物するような唇の端を上げる。チェス盤の上の駒が動かされるのは、少し先のことになりそう。けれど今は、この指先に込められた暗号を解き明かすのが最優先だ。
もしかすると、この指は長男ハロルドのものかもしれない。だとすれば、なぜこんな形で送りつけられたのか。何が嘘で、何が本当なのか。グレゴリーとその息子たちの内情は、想像をはるかに越えて複雑そうだ。それを知れば、きっと更なる波紋が広がるに違いない。
チェス盤だけでなく、ここにいる全員が裏表を抱えている。読みがいのある対局だ。落ち着いたらまた大会を再開するというアレクシスの宣言に、私は苦笑しながら指のひんやりした感触を確かめた。
「さあ、行こう。答えはきっと、この指先にすべて封じ込められているはずだから」
静かな熱気が私たちを取り巻く。割れた応援と小さな悲鳴が入り混じる王宮の大広間で、物語はどこへ向かうのか。ひりひりとした興奮と不安を胸に、私たちは次の一手を探し始める――。




