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宮廷チェス大会と消えた長男の謎1

王宮の大広間に煌びやかなチェス盤がずらりと並び、貴族や名士たちが勝ち誇った笑みと緊張の面持ちを入り混ぜている。宰相アレクシスが席を立ち、開幕の合図を告げると、万雷の拍手が渦を巻いた。その華やかな光景に、私は思わず「うわ、さすが王宮の大イベントね」と心の中で呟いてしまう。


 


 しかし、拍手がまだ耳から離れないうちに、場違いな怒号が飛び込んできた。


 


 「うちの息子、ジュリアンが誘拐されたんだ! これを見ろ!」


 


 私たちのいる壇上に駆け込んできたのは、中年の小領主グレゴリー。身なりはそこそこ整っているが、表情はまるで荒野をさまよう野盗のように切羽詰まっている。彼が振りかざした包みを、アレクシスが冷静な目つきで受け取った。そこから覗くのは、なんと人間の指らしきもの――。


 


 「これは……ずいぶんと物騒な贈り物だな」


 


 アレクシスが皮肉めいた口調で呟くと、グレゴリーは憤怒で顔を赤くしながら叫ぶ。


 


 「ふざけてる場合か! おまえら、王宮は気高いだの守りが完璧だの偉そうに言ってるくせに、息子ひとり守れんのか!」


 


 その剣幕に周囲がぎょっとするなか、私はそっとアレクシスの脇に近づいた。指を包む布の隙間からは微かな金属臭が漂ってくる。傷口の殺気立った色合いがどうにも気になる。毒か、それとも単なる防腐剤か……。


 


 「セシリア、少し鑑定してくれないか。ほら、君は抜け目ないから」


 


 さらりと投げられた一言に、私は「別に抜け目なくないけど……」と口ごもりつつ、布に包まれた指を観察する。ざっと見た感じ、指の色が妙にくすんでいる。まさか栄養不良か病死か――? 咄嗟に視線でアレクシスに合図すると、彼は短くうなずいた。


 


 「さて、正体を確かめるにはもう少し時間が要りそうだ。ところでグレゴリー卿、本当に誘拐されたのは“次男”ジュリアン殿なのか?」


 


 アレクシスが言葉にわずかな棘を潜ませると、グレゴリーは一瞬言葉を呑みこんだように見えた。周囲の貴族たちも気づいているのか、どこか腑に落ちない様子で口をつぐんでいる。


 


 それもそのはず、指らしきものは一本だけ、しかもやけに節が太く、骨格がごついような……。ジュリアンって確かまだ若いはずなのに。


 


 「だ、だって実際、あいつは姿が見えないんだぞ! 昨日までは確かにいたんだ、今朝になって突然ベッドが空っぽで!」

 

 「へー? その割には、ほかに何か手がかりは?」


 


 私がつい、嫌味っぽい調子で問いかけると、グレゴリーはムッと眉を吊り上げた。とはいえ言い返せないらしく、喉の奥で「うぐぐ」と唸っている。周りの兵士が「あなたが落ち着いて説明できないなら、騎士団に正式に捜索願を出すべきでは」と助言するのだが、グレゴリーは取り乱したままだ。


 


 ふと、背後から貴族らしき若者が大股で近づいてきて、声を上げた。


 


 「ジュリアン様ではなく、もしや長男ハロルド様では? 最近見かけておりませんし、体調不良と聞いておりましたが……」


 

 その場にいた人々が、まるで稲妻を浴びたようにぎくりとする。グレゴリーが「なにを言い出すんだ!」と声を張り上げるが、すでに空気は一変した。チェス大会を見物していた者たちの視線が、一気にグレゴリーに集中する――その居心地の悪そうな様子が、なんとも言えず芝居じみている。


 


 「ねえ、アレクシス。どうやら指の持ち主は、真っ先に調べるべき相手が変わりそうだけど」

 「そこだ。一度、大会を中断して証拠を集めたほうがいいな」


 


 アレクシスが毅然と宣言すると、周囲からは戸惑う声と安堵の声が同時に上がった。華やかな対局は盛り上がっている最中だったが、指を見せられて黙ってられるほど王宮は平和ボケしていない。ガチャガチャと駒を動かす音に混じって、小さな動揺が広がっていく。


 


 「待ってくれ、頼む……。わたしは本当に、息子が心配で……!」


 


 グレゴリーの訴えは痛々しいほど必死だ。それも本音だろうけれど、何か隠し事があるのは明白。王宮にいる誰もがそう感じ取っているようで、気まずい空気が辺りに充満する。チェス盤の上よりも、ここで起きている“読み合い”のほうが手強いんじゃないのかと思うほどに。


 


 そんな中、イザベル妃の侍女マリアンヌがつかつかと前に出て、優雅に腰を折りながら笑みを浮かべた。


 


 「騒ぎが大きくなっては困りますわ。指の真贋を調べるためにも、医術に長けた者を召しましょう。セシリア殿、あなたもその一人でしょ?」


 


 明るい調子ながら、目には微かな嘲りが混じっている。私はただ黙って視線を返すだけだが、相手はまるで「忠実な下僕になりなさい」と言いたげだ。でも、ここで引くほどお人好しでもない。


 


 「喜んで拝見させていただきます。まあ、私に分かるのは医学的所見だけですが」

 

 「ふふ、期待しているわ」


 


 毒舌に慣れていない人なら、その一挙手一投足に怯むだろう。けれど、いまさら宮廷の人間に怯えるほど私もやわじゃない。隣を見ると、アレクシスが何か企み顔でこちらを見やってくる。


 


 「セシリア、あとで詳しく情報を交換しよう。おまえさんの直観は鋭いからな」


 


 いつも通り無遠慮に褒め言葉をぶつけられて、少し面映い。私自身は大したことしていないはずなのに、こうも期待されると逆に息が詰まる。ただ、褒めてくれる相手が宰相となれば、周囲からの視線はますます増すばかり。頼むから余計な注目を集めさせないでほしいのに。


 


 ともあれ、大会は一旦中断。王宮の大広間は、先ほどまでの喝采が嘘のように静まり返った。


 


 妙な事件の幕開けとともに、周囲の思惑がぞろりと動き出したのを肌で感じる。このままチェスが再開されれば、盤上だけでなく宮廷中の陰謀合戦まで一層激化していくに違いない。


 


 ざわつく心を抑えながら、私は布にくるまれた指をじっと見つめる。これがどの息子の手から離れたものなのか――その真実が明らかになったとき、誰が勝者で誰が敗者になるのか。


 


 私に言えるのは一つだけ。陰謀なら、すべて洗いざらい暴いてやる。指にしがみつく亡霊があるなら、きっとここで成仏してもらうしかない。


 


 チェス盤に注がれた熱狂が、今度は事件の解明へと向かうだろう。私はひとまずアレクシスに手を貸しつつ、イザベルやマリアンヌの動きにも目を光らせるつもりだ。


 


 誰が仕組んだのか分からない罠と、その先にある歪んだ愛の行方。騒ぎが始まったばかりの大広間は、一瞬の静寂のあと、再び不穏の空気に包まれた。


 


 ――そして、この不穏が一度火を噴けば、もう誰にも止められないかもしれない。


 


 私は不意に、王太子エドワードの体調がひどく悪化する光景を想像して、嫌な予感に胸を押さえた。もし事件と彼の病が絡むようなことになれば、こんな騒ぎじゃ済まないはず。


 


 「さあ、見せてもらおうかな。この王宮を覆う闇の正体を」


 


 小さく呟いて、指先を再び注視する。闘いはチェスの盤上に限らず、すでに幕を開けているのだと痛感させられた。


 


 読者が知らないであろう光景が、チェスの駒の隙間から今にも飛び出しそうだ。誰が嘘をつき、誰が真実を握るのか。


 


 鼓動が高鳴り始めるのを感じながら、私はもう一度、指の持ち主に思いを馳せた――。

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