怪しき薬酒と宮廷遊戯の幕開け5
犯人があらかた炙り出され、チェス大会の会場には一瞬だけ安堵が漂った。ごちゃごちゃとした叫びや怒号も幾分静まり、まるで大嵐がさっと通り過ぎたあとのよう――とはいえ、私はまだ心を休める気になれない。むしろ背筋がひやりとするほど、胸の奥で不穏な予感が燻っている。
「セシリア様、皆さま表では安心して口をそろえておりますが、どうにも裏では怪しい文書が見つかっております」
文書管理官のヴィクトールが、ささやき声で私に耳打ちする。その手には古びた羊皮紙の切れ端。薬酒の仕入れルートを示す図面らしいけれど、道筋が二重三重に改ざんされている形跡があるという。
「つまり、あの薬酒に絡む陰謀はまだ続いてる…と」
「やけに淡白ですね。もっと驚かれてもよろしいのでは」
「普段から騙され慣れてるので。驚くより先に対策を考えちゃう性分です。ごめんなさいね」
苦笑する私を、ヴィクトールは「おや、これは有能すぎる毒舌ですね」と楽しそうにからかう。自覚はないけど、ここ最近そう言われる場面が多い気がする。まったく、噂ってやつは勝手に一人歩きするから厄介だ。
その一方で、まだ大会は続行中。王への進言権を求めて、一部の参加者たちは血走った目でチェス盤を睨んでいる。解決劇をさらりと横目で見ておきながら、次の勝負に全力投球というわけだ。まさに“おいしいところだけつまみ食い”している連中に見えてしまうけれど。
「セシリア、そろそろ次の策に移るとしようか」
宰相アレクシスの低い声。それを合図に私は思わず気を引き締める。どうやら彼も表では「イザベル殿下の関与は部下の独断」とうまく取り繕いながら、裏で警戒態勢を整えているようだ。王妃候補としてのイザベルは、あくまで華やかな仮面を装っているけれど、
「ふふ、まったく。私のかわいい部下が勝手にやったことですわ。私、気が気じゃなくて…」
なんて嫌味たっぷりに皆の前で朗らかに語りつつ、平然とアレクシスへ歩み寄ってきた。権力が離れるのが怖いのか、本人は必死でとり入ろうという構えが見え見えだ。あー、でも宰相サマの冷徹な瞳はまったく緩まない。内心「その手には乗らん」と毒づいていそうで面白い。
一方、王太子エドワードが遠巻きに様子を見ていた。体調のせいか頰がまだ少し青白いが、以前よりずいぶんと表情が穏やかだ。私が目を合わせるやいなや、彼は控えめに笑いかける。
「セシリア、先日の件は本当にありがとう。君がいなければ、僕は…いえ、王宮全体が危ないところだった」
「いえ、私なんて大したことをしておりません。むしろ、殿下のお姿が見られてホッとしました」
「そんな謙遜はやめて。君が何気なく出した一言に皆が助けられたんだ。そういったささやかな行動が大きな成果を生むんだって僕は知ってる」
やめてくれ、そんな真っ直ぐな言葉、慣れないんだから。けれど、それ以上は言葉にできず、私は軽く頭を下げるにとどめた。そんなやり取りを横目で見ていたイザベルが、ちらっと鼻で笑うように視線をそらしたのを見逃さない。彼女にしてみれば、“自分より平民出身の薬師を殿下が頼りにしている”のが気に食わないだろう。ほんと、目が怖い。
そんなとき、カトリーヌが駆け寄ってきた。彼女の妹を騙した張本人は押さえられ、今は落ち着いている。とはいえ、何度思い返してもあの悪質な詐欺行為には腹が立つ。カトリーヌは複雑そうに口を開いた。
「セシリア様、本当にありがとうございました。妹の件、解決に導いてくださって…私、もうこの宮廷の闇とか怖くて…。でも、せめてセシリア様のお力になりたいんです。何でもおっしゃってください」
「お気持ちだけでも十分うれしいです。今後もっと厄介なことが起きそうですから、そのときはよろしくお願いしますね」
そう微笑むと、カトリーヌは安心したのか小さく息をついて笑顔になった。まるで張り詰めていた糸が少し緩んだように見える。実際、彼女をはじめ、被害に遭った人々は少なくない。こうして協力体制が築けるのは心強い限りだ。
とはいえ、薬酒の成分や販売網の疑惑はまだ晴れていない。過去に不審な毒性が指摘された記録もあるとかで、そんなものを宮廷の誰かが大量に扱っているとなれば、穏やかじゃすまない。私はアレクシスとも顔を合わせ、ほぼ同時に頷きあう。
(このままじゃ終われない。絶対に真の黒幕を突き止めてやる)
チェス大会も佳境に入り、ついに決勝戦が進行中。駒が動くごとにざわめきが広がり、応援の熱気で会場は蒸し暑いほど。でも、私は気づいている。空気が異様に軽くなったのは、一部の人間が“下手人はみつかった、もう一件落着”と勝手に安心しているから。甘いね。まだ真っ黒い影が潜んでいる。あれを暴かなければ、本当に平和は訪れない。
「さ、お仕事ですよ、セシリア」とアレクシスがばさりと肩に手を乗せてくる。「表ではごく平然と振る舞って、裏を嗅ぎ回る。得意だろう?」
「ええ、お安い御用です。誰よりもうまくやってみせる自信があります。それで、中途半端に終わるのは御免ですし」
彼の声は低く響き、けれど薄く口元に笑みが宿っているように見えた。忍び寄る陰謀の匂いを嗅ぎつけると喜々として動き出す私を、“有能すぎる毒舌”などと呼ぶ声もあると聞くけれど。自分じゃそんなこと、まったく自覚なんてない。
決勝戦が今まさに最終手を迎えようとしている。誰かが歓声を上げ、誰かが悔しそうにテーブルを叩く。それに呼応するかのように、私も胸の奥にある決意がさらに熱く燃え始める。大会は終わっても、王宮の空へ不気味な曇天が忍び寄る気配は濃厚だ。きっと、ここからが本当の勝負だろう。
全てを憎たらしい嘘ごとまとめて倒し、毒を抜き去ってみせる――そのためなら、ちょっとぐらいクールを装ったっていい。欺く者にはきっちり“ざまぁ”と言ってあげようじゃないか。シャンパンみたいに爽快な一撃をお見舞いしたあと、彼らがどんな面になるか楽しみで仕方ない。
(さて、次なる一手をどう繰り出すか…)
まるでチェスの駒を睨むように、私は王宮の広い廊下を見渡す。暗幕に隠された真実をこそぎ取る算段はすでに脳内で組み立て中だ。アレクシスの足取りも軽い。これから二人でやるべきことは明確だ。湿った空気を裂くように、私たちは静かな足音を響かせて歩き出す。
(絶対に、最後まで勝ち切る。どんな手段を使ってでも)
そんな私たちの背後で、パチンと小さな火花のような音が聞こえたような気がした。張り巡らされた陰謀の糸が今にも切れそうなのか、それともまったく逆の兆しなのか。いずれにせよ、終幕はまだ遠い。むしろここからが本番――ジェットコースターの落下地点が目前に迫っているのを感じながら、私は微笑みを浮かべるのだった。




