10 砦から還る余波
王宮に戻るなり、私はマーク・バレスターを連れ込んだ部屋で一通りの報告を終えた。
砦に残されていた“不老の秘薬”研究の痕跡や、想像以上に深刻な飛蝗被害。
すべてを聞かされた宰相アレクシスは、つい先ほどまでの余裕ある態度を少しだけ改め、低く舌打ちする。
「案の定だけど、あちこち面倒くさいことになりそうだな…まあ、お得意の解毒薬でも飲めば胃は壊さず済みそうだけど?」
「冗談顔に聞こえないんだけど? これ以上私の仕事を増やすと、あなたの靴に変な粉を仕込むわよ?」
軽口を叩き合っている場合じゃない、とわかってはいるけれど、この程度の毒舌で気力を保たないと思考が暴走する。
なにしろ、マークの口から飛び出したフィリップの猛毒実験の実態は常軌を逸していた。
◇
「これが、フィリップの実験に繋がる断片…?」
調査に加わっている文書管理官ヴィクトールが差し出した資料には、人間の体を強制的に改造しかねないレシピが箇条書きされている。
私がぱらぱらと目を通すたびに眉間の皺が深くなり、ヴィクトールはおろおろと落ち着かない。
「猛毒を適度に与えれば身体に“変質”が起こる、ですか…もし本当なら魔術よりタチが悪いわ」
私が苦々しく呟くと、そばでアレクシスが面白がるように小さく笑う。
「おいおい、貴女が怖がるなんて珍しい。まだ足りない毒があるなら俺が舐めてやろうか?」
「勝手にどうぞ。むしろ大歓迎よ。体ごと溶けたら儲けものだわ」
私の適当な返しにヴィクトールが吹き出す。穏やかな彼が苦笑いを浮かべる姿は、妙に和む。
◇
和んでいる場合じゃないのは重々承知。
噂を巧妙に広め始めたのは、王の側妃イザベルと侍女マリアンヌ。
砦の騒ぎを利用して何を企んでいるのか、あの二人は水面下でごそごそ動き始めているらしい。
特にヤバいのは、エドワード殿下の病と毒耐性についてのデマ。
「次期王を支配下に置くチャンス」と思われているのがミエミエで、私の名まで引き合いに出していると聞く。
「はあ…何で私がモテるだけに飽き足らず、こんな政争まで巻き込まれなきゃいけないの」
「貴女が推理と調合の腕を隠さずに見せびらかすからだろう? 目立つ天才は狙われやすいんだよ」
アレクシスの皮肉は一理ある。ああもう、才能って損することばかり。
◇
そこへ、ガチャリと扉を開けて入ってきたのは王太子エドワード。
重い息をつきながら、私の顔を見て申し訳なさそうに小さく頭を下げる。
「セシリア殿…こんなときにすみません。飛蝗の被害も重大ですが、僕の体のことも放置できません。
もし毒への耐性が本当にあるのなら、その原因を解明してほしいんです…」
真面目なその横顔を見ていると、こっちまで胸が重くなる。
本当は私、こういう“献身”は性分じゃない。
でも、殿下が私を信頼して頼ってくる姿を見たら断れない。
「わかりました。…ただ、あまり期待しないで。原因不明の病が相手なんだから」
そう言いながらも、すでに脳内では治療手順や調査方法の組み立てが始まっている。
自分で言うのもなんだけど、優秀なのは間違いないらしい。面倒だわ。
◇
飛蝗騒ぎも厄介だ。
アンナという少女の新しいイナゴ絵が届いたのだが、今度は赤黒い色が一層濃い。
災厄を象徴するような色合いに、思わず息が詰まる。
これが現実になるなら、次の年の畑はごっそり食い尽くされるかもしれない。
「アレクシス、どうするの? このまま放置すれば飢饉まっしぐらだわ」
「わかってる。だが、兵を動かすにもまずは王の勅令がいる。
今はイザベル妃の動きも封じたいし、あれこれ抑え込むのに神経すり減るんだ」
宰相が額を押さえる姿なんて滅多に見られない。
私がくすっと笑うと、彼は私の肩を指先で軽く突いてくる。
「貴女こそ余裕だな。…まあ、そんな胆力を買って王宮に呼んだんだが」
「フフ、今さら私を便利道具扱いしないでよ。 まあ、報酬次第でなんでも手伝ってあげなくもないけど」
「どうせまた倍額とか言うんだろう? へいへい、要検討ってやつだ」
◇
そして問題の第三巻。
砦での調査で二巻までは見つかったものの、肝心の三巻だけが行方不明。
もしそこに“不老の秘薬”の最終手順が記載されているのだとしたら、誰かの手に渡った時点で王国は大混乱間違いなし。
「一番嫌なタイミングで、お膳立てされるように消えてるのよね。疑いたくなるわ」
「フィリップ本人が持ち逃げしている可能性もあるが、どっちにせよ厄介だろう」
「フィリップめ、王宮にしれっと潜り込んでたりして…」
最大級の悪寒が走る。彼は危険な研究を推し進める狂気の人間。
王宮で再び何かをやらかすなら、私は今度こそ止めなくては。
◇
深夜、私は膨大な書類に囲まれ、自室の机に頬杖をつきながらうんざりしていた。
けれど不思議と眠気はこない。まるで、嵐の前の興奮に尋常じゃない快感を覚えているみたい。
「嫌になるほど次から次へと問題ばっかり。…でも、まあいいわ。片っ端から踏み込みまくって、全部ぶっ壊すまでよ」
その独り言を遮るように、外の廊下を歩く硬い靴音が近づく。
もしかして深夜に潜む不審者かと思い、少しだけ胸が高鳴った。
だが、扉を叩いたのはアレクシスだった。
彼は私を見下ろして、小さく溜息をつく。まるで私があえて危険に飛び込むのを分かっているような顔だ。
「…寝ろ。あまり無理をすると、知恵が冴えた頭が鈍るぞ」
「ふん、心配されるほど柔じゃないわ。誰かさんのせいで忙しいけど、私はタフなんだから」
そこへ、アレクシスが不意に私の髪先を指先で梳き、挑発めいた微笑を浮かべる。
「タフでも眠るときは眠れ。…でないと、手荒な手段で休ませるぞ?」
「やれるもんなら…どうぞ?」
すれ違う一瞬の火花に、胸は微妙に高鳴る。
でも私には恋愛のトキメキなんて興味ない。むしろウザい。
ただこの張り詰めた空気だけが、次の激闘に向けた拍車を掛けてくれそうで心地いいのだ。
◇
不老の秘薬、飛蝗、王位継承をめぐる黒い思惑。
何もかもが渦巻いて、王宮は一夜ごとに熱を帯びている。
さて、次はどんな毒と策略が私を歓迎してくれるのか。
そう思うだけで、笑いがこみあげる。
さあ行こう、ここからが本番。
嵐のど真ん中へ飛び込めるのは、私とアレクシスだけの特権かもしれないから。




