第1話 あたしの不幸
注意・・・この物語は、現代を舞台にした『ロミオとジュリエット』のような話です。ストレス耐性の無い方、バッドエンド耐性の無い方は遠慮してください。よろしくお願いします。
あたしは不幸でした。
物心ついた頃には、お母さんが死んでいました。
あたしが住んでいる白金台の屋敷には、おじい様しか家族はいません。
そのおじい様も、仕事でほとんど屋敷には帰ってきません。
あたしの父親は、別の家に引きこもって酒を飲んでいるロクデナシです。
一度だけ会いに行ったことがありますが、無精ひげにボサボサの髪、ひどい臭いの男の人でした。
あたしは挨拶だけして、すぐに退散しました。
二度と会いたくありません。
あたしは学校に行って、習い事をこなすだけのつまらない日常を送っていました。
この灰色の生活がいつまでも続くような気がして、心まで荒んでしまいそうでした。
そんな時に、彼に会ったのです。
世界が初めて色づいて見えました。
太陽が輝いて、世界はこんなにも美しかったのです。
あたしは、彼と会う前の自分に戻りたくありません。
彼を絶対に逃がしたくないのです。
彼を『前世のお父さん』だと思った理由は単純です。
あたしは、前世の記憶を持っているからです。
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あれは、今から数百年ぐらい前の時代だと思います。
あたしは海沿いの漁村で、お父さんと二人で暮らしていました。
あたしが6歳くらいの女の子で、お父さんは24歳くらい。
お母さんは死んでしまって、いませんでした。
お父さんとの二人暮らし。
お父さんが漁に出ている日は、あたし一人でしたけど、隣の家のおばさんが面倒をみてくれました。
お父さんはたくましくて、優しくて、大好きでした。
食べ物がなくてひもじい時もあったけど、お父さんと2人で何とか生きていました。
お父さんはあまり話をする方でありませんでしたが、二人で過ごす静かな時間がとても幸せに感じていました。
漁師というのは危険な仕事です。
お父さんが漁に出ている時は、ずっと海の方角に向かって、無事を祈っていました。
漁から無事に帰ってくるたびに、あたしは嬉しくて、お父さんに抱きついたりしたものです。
こんな生活がずっと続けばいいと、思っていました。
あの日、午前の間は晴れていたのです。
ですから、お父さんたち漁師は漁に出かけていました。
でも、午後になって急に大雨と強風に襲われたのです。
あたしは家の中で、大人しくお父さんの無事を祈っていました。
きっとお父さんは、いつもの様にあたしの所に帰ってきてくれる。
そう信じていました。
次の日、嵐が過ぎ去って、快晴になりました。
あたしは海岸の浜辺に行って、お父さんを探しました。
お父さんは見つかりません。
命からがら生きて帰った漁師が何人かいました。
船が沈んだので、泳いで帰ってきたみたいです。
生きて帰ってきた人の中に・・・お父さんはいませんでした。
「お父さんは?」
あたしは生き残った人に聞きました。
その人は目をそらして、何も答えてくれませんでした。
あたしにできることは、ほとんど何もありません。
ただ浜辺に座って、お父さんを待つことぐらいです。
あたしは待ち続けました。
何日も何日も。
ある時、あたしは我慢できなくなって、海に向かって叫びました。
「お父さん!どうして、戻ってきてくれないの?あたしはここにいるよ!」
波打つ海は何も答えてくれません。
「お願いだから、帰ってきてよ!お父さんを・・・誰か助けてよ!」
海は静かなままです。
「神様、お願い・・・ぐす・・・だから、お父さんを・・・ぐす」
あたしは、いつの間にか泣いていました。
悲しさに、つらさに、切なさに耐えきれませんでした。
しばらく、浜辺で泣きじゃくっていました。
あたしは泣き止んだ後に、気づいてしまいました。
お父さんは、海の底に沈んで死んでしまったのだと。
もう帰ってくることはないのだと。
その事に気付いた時、あたしの視界は白黒になりました。
あたしには、もう何も残っていないのです。
全てを失いました。
失ってしまったのです。
お父さんの所に行かなくちゃ。
そう思いました。
あたしは立ち上がり、色を失った海に向かって歩き出しました。
止まることなく、真っ直ぐに。
お父さんのいる海底に向かって。
ただ、ひたすらに歩きました。
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そこで、あたしの前世の記憶は途切れていました。
おそらく、入水自殺をしたのでしょう。
よくある漁村の悲劇です。
あたしはその後、この時代に生まれ変わったのです。
そして、幸運にも『前世のお父さん』に再会することができました。
彼といると、お話をすると、幸せな気持ちになるのです。
この気持ちが父性への渇望なのか、失った親からの愛を求める気持ちなのか、それはわかりません。
この気持ちは、恋と呼べるものではないのかもしれません。
それでも、あたしは彼と一緒にいたいのです。
あたしは、白馬に乗った王子様をただ待っているようなことはしない。
追いかけて、絶対に逃がさない。
どんな手段を使っても。
そう心に決めて、あたしは屋敷を出て、彼の家に向かいました。