【第8話】 落ち着きたい時は素数を数えよう
「それじゃ、荷物取ってくるから二人は昇降口で待ってて」
なーちゃんはそう言って、生徒会室まで荷物を取りに戻った。
今私達は、言われた通りに昇降口まで向かっている。
靴が見つかったことと、そして桃里さんと仲が深まった気がするからか、先程までと比べて足取りが数倍軽く感じる。
今なら桃里さんと、会話を弾ませることができるかもしれない。
そうだ。
靴を一緒に探して見つけてくれたことのお礼をしないとね。
一般的な友達同士は、何かのお礼に飲み物を奢ったりするらしい。
友達同士で奢ったりとか、一緒に買い食いしたりとか……羨ましい!
これを機に、お礼という口実で私もそういう、普通の友達っぽいことをしてみたい!
「えっと、一緒に靴を探してくれて、本当にありがとうございました」
私は突然、営業マンすらもこれでもか、と言うくらい見事な九十度のお辞儀を桃里さんに向けた。
すると桃里さんはそれに少し驚いた様子で、一歩下がってしまった。
「そんなの、見ず知らずの私に学校案内をしてくれたお礼だよ! 何ならまだ返し切れてないから、感謝なんてしなくていいからね!」
「いえいえ、私こそ返し切れてません! 沢山お話してくれたり、連絡先も交換できましたし。だから……その、お礼をさせてください!」
「え、お礼……? そんな、友達なんだから畏まらないでよ。気持ちだけ受け取っとくね、ありがと!」
友達! 桃里さんから、友達って言ってもらえた! 嬉しい!
でも、お礼の件については華麗にスルーされてしまった。
私がお願いしても、桃里さんはあっけらかんとした様子で流してしまう。
うーん。
ここで引き下がってしまうと、私の夢……もとい、一緒に買い食い大作戦は叶わぬものになってしまう。
「お礼をさせて下さい! お願いします! 何でもしますから!」
「え、えぇ……? そんなにお礼したいの……?」
なんか若干桃里さんに引かれてしまった気がしたけど……気の所為だと信じよう。
「はい! お礼をしないと気が済まないんです!」
「あ、そうなの……。それなら、何かお礼して貰った方がいいか……」
桃里さんは困った様な表情を浮かべ、右斜め上に視線を固定して考え込んだ。
きっと、適切なお礼を考えているのだろう。
私は何でもいいんだけど、優しい桃里さんは私が困らないような簡単なお礼を要求してきそうだ。
「んー、それじゃあ、これからは敬語をやめて、タメ口で話してもらおうかな」
すると、予想外の答えが来た。
「え、タメ口、ですか?」
タメ口……そんなのがお礼になるのだろうか。
「うん、その敬語をやめてタメ口で話す! 敬語は距離感じちゃって、ちょっとイヤだったから! お願いね!」
「あ、はい……じゃなくて、うん、わかった。こんなのでいいなら」
夢の買い食いじゃなかったのは少し残念だが、これはこれでいいかもしれない。
確かに敬語だったら壁を感じちゃうからね。
ありがとう、桃里さん。ナイスアイディア過ぎるよ。
そんなやり取りをしているうちに昇降口に着いたため、上履きから発見した靴に履き替える。
ここでなーちゃんと合流予定なのだけど、まだ来ていないみたいだ。
なーちゃんが来るまでの間、せっかくだしこのまま桃里さんと会話を弾ませようか。
そこで、少し前から気になっていた疑問をぶつけてみることにした。
「そういえば、桃里さんはどうして」
「果凛」
「……え?」
私が話題を振ろうとした瞬間、桃里さんに遮られた。
「名字だと距離感じるから、果凛って呼んで!」
どうやら、タメ口で話すという注文の中には、名前の呼び方の変更も含まれていたようだ。
そういえば桃里さんのフルネームは、桃里果凛だったか。とてもフルーティな名前で可愛らしい。
「果凛……さん?」
「さん?」
「か、果凛……ちゃん?」
「うむ、よろしい」
「えっと、果凛ちゃんはどうして、こんなに私に優しくしてくれるの?」
突然の質問に、果凛ちゃんは少しキョトンとした顔をしていた。
その後すぐに表情を戻し、当たり前だと言うように質問に答える。
「ただのお礼だよ。学校案内の」
「でも、その前から私だけに話しかけてくれたりしてたよね。偶然?」
私がそう言うと、果凛ちゃんは少し渋る様な表情を浮かべた。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。
果凛ちゃんは今朝、周りに沢山クラスメイトがいるにも関わらず、私だけに声をかけてきた。
これはたまたま私を選んだだけなのだろうか。
それとも、何か私を選んだ理由があるのだろうか。
自意識過剰な質問かもしれないけど、今日一日ずっと疑問に思っていた。
数秒間返事を待っていると、果凛ちゃんは決心したような表情で、口を開いた。
「似てるから。私と、恵梨香ちゃん」
「え?」
似てる?
果凛ちゃんと私が?
一体どこをどう見たら、似ているだなんて感想が出てくるんだろう。
性格も見た目も、似ているどころか正反対だと思う。
全体的に明るい果凛ちゃんと、暗い私。
普通に考えたら、似ているなんて思うわけが無い。
果凛ちゃんが不思議な感性を持っているのか、それとも何か根拠があるのか。
「えっと、なんで――」
「ごめんごめん! お待たせ!」
思い浮かんだ疑問を言いかけたところで、言葉を遮られた。
声がした方へ振り返ると、なーちゃんがこちらに向かって走って来ていた。
「ごめんね、待たせちゃったよね?」
駆け足のままなーちゃんは私達と合流した。
別にそんなに待っていなかったけど、優しいなーちゃんは人を待たせたくなかったんだろうな。
「全然待ってないから大丈夫だよ。でも、生徒会の人が廊下走っちゃっていいのかな?」
「廊下を走っちゃダメなのは、転倒とか衝突を防ぐため。今は他に生徒がいないから良いんでーす」
そんな心持ちでいいのかとは思ったけど、なーちゃんが良いと言うなら良いのだろう。
全員揃ったので、皆で昇降口を出て校門を目指す。
三人横に並んで歩いていて、私が真ん中にいる状態だ。
美人に挟まれて、とても幸せである。
そう言えば、私となーちゃんは家が凄く近いから帰り道が同じだけど、果凛ちゃんの家はどの方向なんだろう。
蕾ヶ丘学園の最寄り駅は二つある。
鈴蘭駅か、西木蔦駅。
私達の家は、西木蔦駅を跨いで徒歩三十分くらいの場所にある。
果凛ちゃんが西木蔦駅方面だと三人で一緒に帰れるし、駅周辺で遊ぶこともできるかもしれない。
どうか西木蔦駅方面であってくれ。
「ねえねえ。西木蔦駅か鈴蘭駅、果凛ちゃんの家はどっ」
「え? 果凛ちゃん?」
私が果凛ちゃんに質問を飛ばそうとした瞬間、逆側にいるなーちゃんが答えた。
それにしてもすごい反応速度だった。
質問を言い切る前に、なーちゃんの目はもう私を捉えていた。
「いつの間に果凛ちゃんって呼ぶようになったの?」
「え、あ、うん。さっき、敬語だと距離感じるから、タメ口にしようって話になって」
「ふーん」
何か、圧のようなものを感じる。
もしかして、私と果凛ちゃんの仲が予想以上に良さそうだから嫉妬しちゃったとか?
いやいや、そんなまさか。
あの全校生徒の憧れのなーちゃんが、私なんかに嫉妬するわけがない。
右隣から感じるこのプレッシャーは、ただの気の所為だろう。
「それで、果凛ちゃんの家はどっち方面?」
気を取り直して、再度左隣の果凛ちゃんに質問を投げかける。
「私は西木蔦駅から電車に乗って帰るよ!」
「おー! じゃあ途中まで一緒に帰れるね!」
「え、本当!? やった!」
「ヨカタネー」
なんと! 一緒に帰れる!
ということは、西木蔦駅に寄って一緒に買い食いとかもできる。
これはこれは、遂に星の巡りが私にやってきたかもしれない。
早速今日、念願が叶うかも。
それと、なぜかなーちゃんの声に感情がこもってないと感じるのは、気のせいだろうか。
「じゃあ今日、西木蔦駅で一緒にお昼ご飯とかどう?」
「あ、今日は私、家の家事とかやらなきゃいけないから厳しいや。お昼ご飯も家にあるし。ごめんね」
私が昼食に誘うと、果凛ちゃんに断られてしまった。
「あぁそっか、それなら仕方ないね」
「ショウガナイネ」
やっぱり、なーちゃんの声に感情が乗っていない。気のせいじゃなかった。
あとさすがに、今日買い食いやら何やらをするのは強欲過ぎたかもしれない。
今日はLIMEの友だちが増えたんだ。それ以上を望まなくたって良い。
このままこの三人で、明日から一緒に行動していけたら、どれだけ学校が楽しくなることか。
今朝まであんなに不安やら落胆やらの感情が入り乱れていたのに、今はもう未来への希望しか見えてこない。
未来への期待が高まる胸のまま、三人で西木蔦駅までの帰り道を歩く。
カタコトだったなーちゃんも、段々といつも通りに戻っていき、最後は皆で仲良く話せていたと思う。
家に帰り、お風呂に入っている間も、ベッドに入っている間も、にやけ顔が止まらなかった。
こんなに次の日の学校が楽しみだったのは、多分生まれて初めてだ。
ベッドの中で、LIMEを開く。
そこには、『友だち8人』と表示されていた。
それを確認すると、益々にやけ顔が止まらず、しばらくの間は口角が上がりっぱなしだった。
高まる胸の中。
なかなか寝付けない夜を越え、待ち遠しかった朝を迎えた。