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【第36話】馬酔木の花言葉は「犠牲」


馬酔木あせび様ですね。 ようこそお待ちしておりました。奥で雪下様がお待ちです」


 エレベーターが到着するとすぐさまウェイターに招かれ、高級感溢れるレストランの奥へ入っていく。


 高層ビルの51階。

 そこが、このレストランがある場所だった。


 高級そうなカーペットや天井の装飾品。

 物腰が低く気品のあるウェイター。

 窓はこれでもかというほど大きく、東京都心に広がるビル街の景色が上から一望できた。

 今はまだ日が出ているけど、日が落ちたら夜景がとても綺麗なことを安易に想像できる。



 そんなことを考えながらレストランを進むと、窓際突き当たりのテーブル席で座っている男の人が立ち上がった。

 そして私たちの正面に立ち、軽くお辞儀をしながら口を開いた。


「わざわざ御足労ありがとうございます、馬酔木さん」

「いえいえ。こちらこそこの度はお招きいただき、誠にありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」


 お母さんが大袈裟に頭を下げたので、私も慌てて頭を下げた。


 温和そうな白い髪の男の人。

 この人が多分、雪下さんとやらだろう。


 けど、来ると言っていた雪下さんの娘の姿が見えない。

 お手洗いか何かなのかな。



「すみません。奈津菜……娘も本当は来る予定でしたが、卒業式後に学友との卒業パーティなるものに行きたいとせがまれまして。連れて来ようとはしたのですが、あまりに頑なに拒まれてしまい……急で申し訳ないのですが、本日娘は欠席ということでよろしいでしょうか」


「は、はい。問題ありません。今日は雪下さんに愛娘の顔だけでも覚えてもらえれば。ご息女には後日、よろしく申し上げたいと思います」


 完全に事後承諾である確認を、お母さんは腰を低くして受け入れた。

 内心ではお母さんはどう思っているのか、気になるけど……。


 雪下さんの娘が今日来ないなら、私がわざわざ来た意味は全く無いよね。

 今日は両家の娘同士の、顔合わせの意味合いが強いみたいだったし。


 卒業式後の写真撮影会を途中で抜け出してまで来たのに、あまりの無駄足感にうんざりする。

 早く帰りたい。

 もし帰ってもいいのなら、今からでもサヤちゃんの所に行きたいな。

 こんな無意味な会食、今すぐ終わって欲しい。



 そんな私の胸中とは裏腹に、会食は長く続いた。

 まずはお互いの子育てで苦労したことや、娘との思い出話に花を咲かせ、それが終わるとすぐにビジネスの話となった。

 ビジネスの話にはお母さんから持っていっていたと思う。

 市場の動向や経営指針、グローバル展開……私にはよく分からない単語が連発し、会食ではただただ蚊帳の外だった。

 話を振られて、二言くらい喋っただけだった。



「本日はありがとうございました。またご一緒に食事会でもできたらいいですね」

「ぜ、ぜひ! よろしくお願いいたします!」


 そんな2人の会話で会食はお開きとなり、雪下さんは帰って行った。

 その頃にはもう日は完全に沈み、レストランからは東京都心から地平線まで続く夜景が見えた。

 そんな夜景を遠い目で見ながら、エレベーターの方に向かうお母さんの背中を追って歩く。


 結局、連れて来させられた意味は何一つ無かった。

 早く明日になって、サヤちゃんに会いに行きたい。

 今はそんな願いでいっぱいだった。



***



 車の窓の外に映る、日が暮れたのにまだ明るい街並みを、ぼーっと眺める。


 地元の船橋と比べて、この辺りの車はタクシーが多い。

 普通の乗用車よりも、タクシーの方が多いんじゃないかと思うほど。

 駐車場の料金が高かったり、そもそも駐車場が全然無かったりするから、みんなタクシーを使うのかな。



 そんなことを考えながら、あまり見慣れない道を進むこと15分弱。

 車は東京の街中にある、広い道路の路肩に止まった。


 なんだろう、と思い、窓の外にあるものに意識を向ける。

 そこには見知らぬマンションと、その中に続くエントランスがあった。

 それを発見したのと同時に、お母さんが口を開く。


「着いたわよ」


 ……着いた?

 どこに着いたと言うのだろう。

 また何か、食事会のようなことをするのかな。

 お腹は別に空いてないから、もうご飯はいいんだけど。


「家に帰るんじゃなかったの?」


 私がそう聞くと、お母さんは「ああ、まだ言ってなかったわね」と言いながら、バックミラー越しに目を合わせた。



「今日からここが私達の家よ」



 そう、聞こえた。


 聞き間違えかと思った。

 だって、そんなはずがないから。

 私の家は船橋にある、サヤちゃんの家の近くのマンションだ。

 こんな知らない所が家のはずない。

 それに私は今朝、普通にあの家から卒業式に向かった。

 それなのに帰りの家が別だなんて、考えられなかった。


「な、なに、言ってるの? 早く帰ろうよ」

「だから今日からここに住むんだって。蕾ヶ丘学園の近くだし、吹乃も家から学校が遠いと嫌でしょ?」


 言っている意味がわからない。

 ここが私の家?

 あの家は?

 私のあの家はどうなるの?


「荷物は吹乃が卒業式に行ってる間にあらかた送ったし、要らなさそうなやつは捨てといたわよ」


 その言葉に酷く悪寒を覚えた。


 以前玄関で見た、大量のダンボール。

 つまりあれは、引越し用のダンボールということだった。

 最近家にいることが多いと思っていたのも、引越しの準備をしていたということ。

 私に隠れて引越しの準備を進めていたなんて、思ってもいなかった。気付けなかった。

 なんで。なんでそんなことをするんだろう。


「サヤちゃんと……中学になったら、サヤちゃんと毎日会う約束してるの……」

「ん?」

「ここからでも……会いに行けるよね……?」

「ここからあの家まで電車で2時間くらいかかるし、往復2000円はかかるから、会うのは諦めなさい。あなたのためよ吹乃。将来何の役にも立たない人との交友関係より、将来的に必要になる人との交友の場をわざわざ作ってあげたんだから」


 凄く、耳障りな声だった。


 だからそんな煩わしい声よりも、サヤちゃんの声が聞きたくなって――。



 ――走り出した。


「あ、ちょっと待ちなさい!」


 そんな声は後ろに置いて、私はひたすらに走った。


 家の方向もわからないし、実際どれくらいの距離かもわからないけど、走るしかなかった。

 じゃないともう心がぐちゃぐちゃになって、どうにかなってしまいそうだった。

 それにただ、サヤちゃん家の近くにある、あの家に帰りたかった。

 

 街灯に照らされる舗装された歩道を、懸命に走る。

 息が苦しくなって、足に力が入らなくなってきたけど、足を無理矢理前に出す。


 でも、走っても走っても、高層ビルが建ち並ぶ街の姿は変わらず、車道もタクシーが多いまま。

 どんなに頑張って走っても、家に帰れない。


「きゃっ」


 足がもつれて勢いよく転んだ。


 大した怪我はしなかったけど、コンクリートの地面についた手がジンジンと痛む。


 それでも立ち上がろうとすると、目の前に街灯から伸びる影があった。


「もう満足した?」


 お母さんはそう言うと、私の手を掴んで立ち上がらせる。

 そしてそのまま、路肩に停めてある車まで引っ張った。

 私が歩道を走るのと並走して、お母さんは車でついて来ていたみたいだ。


 強引に乗らされて、車はUターンして走り出した。

 息を切らしながらあんなに走った道は、車で戻るのに5分もかからなかった。


 

***



 新しい家に連れて来られた私は、真っ先にある物を探し始めた。


 さっきお母さんが言った、『要らなさそうなやつは捨てといたわよ』という言葉が、脳裏から離れなかったから。


 けれど、それが入っているはずの入れ物がまず見つからない。


「お母さん……私の机は?」

「机……ああ、あの勉強机? あんな子供っぽいの、もういらないかと思って捨てちゃったわよ」

「……っ! 机の中身は!?」

「中身って何よ」

「ストラップ! イルカのストラップがあったでしょ!?」

「知らないわよそんなの。多分捨てたんじゃない?」

「ぁ……あぁ……」


 頭から血の気が引く。

 そんなの嘘だと、否定して泣き叫ぶ声が胸の底から聞こえる。


 私はすぐに新しい自分の部屋に行って、ダンボールを全て引っくり返す。


 どこかに、どこかにあるはず。

 サヤちゃんから貰った、あのハート型になるイルカのストラップが、絶対あるはず。

 なくなったなんて、考えられない。

 なくなったら、どうしたらいいのかわからない。


 でも、いくら探しても探しても出てこなくて。

 家中のダンボールの中身を探しても、見つからなくて。


 どこにもない、って言葉が出てきかけた時に、涙が出てきた。

 ボロボロと、サヤちゃんを思い出しては嗚咽を漏らして泣いた。


 泣きながら、探し続けた。

 大切な宝物を、ずっと、ずっと探した。

 

 外が明るくなっても、ずっと。

 気を失うまで、探していた。


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