【第33話】今に響く出会い
2月1日土曜日。
結局サヤちゃんには何も言い出せないまま、あっという間に蕾ヶ丘学園中等部の受験日になってしまった。
朝の電車に揺られること約1時間半。
乗り換えも2回したため、家から出て2時間は経った。
そうしてようやく、蕾ヶ丘学園の最寄駅の西木蔦駅に着いた。
駅のホームに下りると、親子連れの小学生くらいの女の子がたくさんいた。
多分、私と同じ目的の人達だろう。
皆も遠くから来ているのかな。
この受験に合格してしまうと、私はこんな遠くまで毎日通わなくてはいけないことになる。
でも受験に落ちたら、近くの公立中学にサヤちゃんと通える。
「……」
ドス黒い感情が芽生え始めたところで思考を中断し、人の流れに沿って歩く。
改札を出ても親子連れのまばらな列が一方向に向かっていたので、私もその中に混じった。
すると、背後から駆ける足音が近付く音がした。
「こら、碧依! 危ないから走らないの!」
「だって走りたいんだもん! ママも一緒に走って行こ――わぶっ!?」
「きゃっ!?」
明るい声が聞こえたと同時に、後ろから強い衝撃を受けた。
前に倒れそうになった体をギリギリで持ち直し、後ろを振り返る。
するとそこには私よりも小柄な女の子が、仰向けで大の字に倒れていた。
何が起こったのかよくわかっていないけど、おそらくこの女の子が後ろから私にぶつかって倒れたのだと思われる。
「えっ……だ、大丈夫……?」
「いった〜〜〜〜くないっ!」
手を差し出して尋ねると、女の子はそう言いながら体をバネのようにジャンプして立ち上がった。
「ぶつかっちゃってごめんね!」
そして、満面の笑みで私に謝ってきた。
「ううん、全然大丈夫だよ。そっちは勢いよく倒れてたけど、怪我してない?」
「うん! あたし、がんじょーだから!」
女の子は両腕に力こぶを作るようにしてまた笑った。
「ぎゃっ」
すると突然、後ろから大人の女性が駆け寄って来て女の子の頭を鷲掴みにした。
女の子は反射的に悲鳴を上げたが、大人の女性は無視して口を開いた。
「すみませんうちの子が! 怪我してませんか? 大丈夫ですか?」
女性はそう言いながら女の子の頭を強引に下げ、一緒に謝る。
おそらくこの女の子の母親だろう。
「あ、私は全然大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「えっ……すごいできた子……うちの子とは大違い……」
「ちょっとママ! それは私にしつれーなんじゃないかな! っていうかママが育てた結果があたしなんだからね!」
強引に下げられた頭を無理矢理上げて、元気な子はそう抗議した。
しかし母親の方は何も聞こえていないかのように会話を続ける。
「お名前はなんて言うの?」
「馬酔木吹乃です。馬に酔うに植物の木で馬酔木と書きます」
「あら難しい漢字。うちの子には絶対読めないわ」
「ちょっと! ママ!」
「この騒がしい子の名前は紅葉碧依で、私は紅葉茜。この子のことは碧依って呼び捨てにしてもいいから、これからよろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
何がよろしくなのかよくわからなかったけど、とりあえず返しておいた。
「吹乃ちゃんも蕾ヶ丘の受験に?」
「そうです」
「え! あたしとお揃いだね! 一緒に頑張ろー!」
この女の子も私と同じく蕾ヶ丘の試験を受けに来たらしい。
「吹乃ちゃん、お母さんとははぐれちゃったの?」
「いえ、お母さんは忙しいので、1人で受けに来ました」
「まあ。電車に乗って1人で来るなんて、なんて偉い子なの……碧依も見習って欲しいわ……」
茜さんがそう言うと、碧依ちゃんは犬のように唸りながら茜さんを睨んでいた。
「どこから来たの?」
「船橋から来ました」
「船橋!? そんなとこから1人で来たの!?」
「え……はい」
来た場所を答えたら、想像以上に驚かれたのでこっちがびっくりした。
皆もそのくらい遠くから来ているものだと思っていたけど、どうやら違うのかもしれない。
「船橋ってどこ?」
「ディ〇ニーの奥」
「えっすごい遠いね!」
碧依ちゃんが質問すると茜さんが即答して、一瞬で遠いという感覚が共有できていた。
こういう親子の会話が少し羨ましかった。
そんなことを思っていると、急に人通りが多くなってきた。
さっき降りた電車の次の電車から人が降りてきたようだ。
「あら。いつまでもここで話してる訳にはいかないし、私達も向かいましょうか」
そう促されたので、紅葉親子と共に人の流れに沿って蕾ヶ丘学園へと歩いた。
約15分間の道のりの中、紅葉親子は延々と話していた。
お互いにコントをしているみたいに話して、私を笑わせてくれた。
面白い親子だなと思っていると、碧依ちゃんにサヤちゃんの面影が重なって見えた。
何か、性格か雰囲気が似ていたのかもしれない。
そして、あっという間に蕾ヶ丘学園に着いてしまった。
***
学校に着いて碧依ちゃんと一緒に大きい校舎に驚きつつ、校舎前で茜さんと別れた。
碧依ちゃんと共に案内に従っていたが、受験番号が遠かったため別々の教室に入る。
碧依ちゃんと別れる直前、お互いにエールを送った。
「絶対受かろうね!」
「碧依ちゃんも頑張ってね」
そんなことを言ったけど、別に私は特別受かりたい訳ではなかった。
受かりたい理由が、お母さんに怒られないためくらいしか思いつかない。
そう言えば、碧依ちゃんが蕾ヶ丘学園に入りたい理由を聞くのを忘れてしまっていた。
何か特別な理由とかあったんだろうか。
教室内に入ると、ピンと張り詰めた空気に気圧された。
教室内の子のほとんどが座って勉強していて、先程までの緩んだ気持ちを締め直された気分だった。
少し緊張しながら、受験票と同じ番号が書かれている席に座る。
ちょうど教室の真ん中らへんの席だった。
教室内にほとんど会話は無く、静かだった。
しかし、誰もが静かにノートや教科書を読んでいる中、会話している2人組がいた。
私の斜め前の席に座る赤い髪の女の子と、その傍に立つ白い髪の女の子だ。
教室で唯一の会話はよく目立ち、よく響く。
会話の内容ははっきりと私の耳まで聞こえてきた。
「えりちゃん、緊張してる?」
「あ、当たり前でしょ! これに落ちたらなーちゃんと離れ離れになっちゃうんだもん……!」
「ふふっ、大丈夫だよ。えりちゃんが落ちたら私も受験取りやめるから」
離れ離れにならないために受験を取りやめる……か。
そんな選択肢もあるんだなと思いながら、私も周りの人達と同じようにノートを開く。
とりあえず今は、目の前の試験に集中しようと思った。
***
試験は自分でも驚くほど解けた。
解けてしまった。
その時は目の前の試験に集中して、今までの知識を総動員して解いてしまったけど。
今になって後悔した。
2日後。
私の元に、蕾ヶ丘学園の合格通知が届いた。