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【第32話】滲み出る殺意を押し込めて


「おはよ、ふーちゃん! うぅ〜今日も寒いね!」


 教室に着いたサヤちゃんはそう言いながら、自分の席に荷物を置くよりも先に私の元に駆け寄って来た。


 サヤちゃんのランドセルには、私とお揃いのイルカのストラップが飾られている。

 一方の私はと言うと、イルカのストラップをどこにも付けていない。

 今頃は学習机の引き出しに眠っているはずだ。

 失くすのが怖過ぎた結果、家に保管しておくという結論に至った。

 今でも時々ストラップを取り出して眺めては、また机の引き出しに仕舞うということを繰り返している。



「おはよう。今日の最低気温1℃らしいよ」

「やっぱり!? そんなの血まで凍っちゃうよぉ! 早く暖かくなって欲しいー!」


 私が家のテレビで見た天気予報の情報を教えると、サヤちゃんは少しオーバーリアクション気味に驚いた。


 そんなサヤちゃんを見て頬を緩ませてから、窓の外に目を向ける。

 校庭に植えてある木からは葉が落ち、この前まで雑草で覆われていた場所も土色の地面がむき出しになっていた。

 もうすっかり冬らしい景色だ。



 サヤちゃん達が家に来たあの件から、4ヶ月が経った。


 今日の日付は1月20日。

 蕾ヶ丘学園中等部の受験日まで、残り2週間を切った。

 その試験に合格すると、私は遠い学校に通わなくてはいけないことになる。


 先程サヤちゃんは寒くて暖かくなって欲しいと言っていたけれど、私はそう思えなかった。

 春なんかにならずに、季節が止まって欲しい。

 凍える毎日でもいいから、このままでいたかった。



「……ふーちゃん、最近元気ない?」

「へっ?」


 暗い未来のことを少しだけ考えていると、突然サヤちゃんに虚をつかれるようなことを聞かれた。

 なので自分でもびっくりするくらい素っ頓狂な声が出てしまった。


 最近憂鬱なのは事実だけど、サヤちゃんの前では隠せてると思っていた。

 でも、長いこと一緒にいるサヤちゃんには隠し切れていなかったみたい。


「全然元気だ……よ?」

「本当に元気な人はそんな返事しないんじゃない!?」

「本当に元気だから大丈夫だよ」

「ふーちゃんがそう言うならいいんだけど……でも、何かあったらすぐ言ってね!」


 この『何かあったら』は多分、1週間学校を休んだ時のことだろう。

 あれから事ある毎に、サヤちゃんは私の心配をしてくれるようになった。


 でももう目立つ場所に怪我をすることはなくなったから、心配させるような要因はあまり無いはずだ。


 にも関わらず聞いてくるのは、無意識下で私の何かが変わっているのかもしれない。

 私の小さな変化を、サヤちゃんも無意識に感じ取っているのかも。


「…………ありがとね、サヤちゃん」

「うんっ!」


 サヤちゃんの眩しい笑顔を正面から受け止めると、胸が痛くなった。


 痛くなったのはきっと、私がまだ中学受験のことをサヤちゃんに伝えていないからだ。

 罪悪感で、苦しい。


 だけど……言えなかった。


「あとちょっとで中学生だね! 制服着るの楽しみだなー!」

「うん……そうだね」


 こんなに楽しみにしてるサヤちゃんの笑顔を曇らせたくないから、言い出せない。

 受験に落ちるかもしれないなんて淡い期待をしているから、言い出せない。


 私は、臆病だ。



「あ、そうだそうだ! 中学生と言えば、あたし中学生になったらスマホ買ってもらえるんだ!」

「スマホ?」

「うん、スマホ! 中学校に入学するまでは買って貰えないけど、ふーちゃんもスマホ買ったら連絡先交換しよ!」

「う、うんっ。交換したいっ」


 そっか。

 スマホがあれば、ふーちゃんといつでも話せるんだ。

 もし離れ離れになっちゃっても、それなら大丈夫かもしれない。


 お母さんに相談して、卒業までには買ってもらわないと。



***



 学校が終わり家に帰ると、廊下の先にあるリビングの電気がついているのが見えた。

 今日も珍しくお母さんが家にいるようだ。


 最近、お母さんは家にいることが多い。

 朝はいつも通り家を出ているから、半休?というものを使って午後から会社をお休みしているらしい。


 何でそんなことをしているのかそれとなく聞いてみたけど、はぐらかされて何も教えてくれなかった。

 まあ、仕事人間のお母さんでも休みたくなることくらいはあるのかな。


 そんなことを考えながら玄関で靴を脱いでいると、ある物が目に入った。


 玄関にあるクローゼットの隣。

 そこに、折り畳まれたダンボールのような物が大量に積まれていた。



「ただいま。お母さん……あれ、何?」


 普段見慣れないものを不思議に思いながらリビングに入り、ダンボールの方向を指さしながら聞いてみた。


「ん? ああ。吹乃は気にしなくていいのよ。それより勉強は順調?」


 やはりお母さんは何も教えてくれない。

 それが何か秘密にされているようで嫌だった。

 正確には、嫌というより、嫌な予感がした。



「順調だと思う」

「そう、良かった。最後まで気を抜かず頑張るのよ」


 お母さんは穏やかにそう言って会話を切り上げた。


 しかし私にはまだ話があったので、その場に留まる。


「お母さん……あのさ、私、スマホが欲しいんだけど……」

「は?」


 先程までの穏やかな口調は途端になくなり、声が鋭くなった。


「ねえ。本気で言ってる?」


 そう言いながらお母さんは椅子からゆっくりと立ち上がった。



 あ、また失敗した。



 そう思った時にはもう、お母さんの拳が私の脇腹を振り抜いていた。


 衝撃と痛みで床に倒れ込むと、次はお腹を蹴られた。


「あんたは! 受験の! ことだけ! 考えてればいいのよ!」


 お母さんは声を荒らげながら、うずくまる私のお腹を執拗に蹴り続ける。


 前の反省を活かし、お母さんは顔や腕、脚など他人に見られるような場所を攻撃しなくなった。

 そうして選ばれたのがお腹だった。

 背中も見られないけど、殴ったり蹴ったりしやすいのがお腹なんだと思う。


 そのせいで、今度はお腹に青アザや腫れが目立つようになった。

 もう学校の体育の前は誰かと一緒に着替えられない。

 醜い傷を誰にも見られたくないから、トイレで一人で着替えている。

 トイレで隠れて着替える時間は、とても虚しかった。



「余計なこと考えてる暇があったら! 勉強しなさい!」


 お腹に広がる重い痛みと、リビングに響く鈍い音を感じながら、私は腕でお腹を守って耐える。



 この頃からだろうか。

 包丁を握ってお母さんに抵抗するシーンを、頭の中でイメージし始めたのは。

 


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