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【第31話】黒い薔薇を送りたい


 頭から真っ逆さまに落ちていく感覚があった。

 どこまでもどこまでも、暗闇の穴に落ちていく錯覚。

 そしていつか、地面に激突してしまう幻覚。

 

 そんな夢を見たからか、びっくりして目が覚めた。


 すると眼前には、なぜかサヤちゃんの顔があった。


「あ! ふーちゃん起きた!」


 その言葉と共に、サヤちゃんは満面の笑みを浮かべる。


「なんで……サヤちゃんが……?」

「吹乃が突然倒れたのよ。だからもうこの人達に構う余裕がなくなって、家に上げたの」


 疑問を口にすると、近くに立っていたお母さんがサヤちゃんの代わりに質問に答えた。


 突然倒れたって、気絶してたってことかな。

 そんな自覚は全然無いんだけど。


「吹乃ちゃんはおそらく過呼吸が原因の酸欠状態になったから失神したんだと思う。でももう呼吸は安定してるし、過度なストレスとかがかからない限りは大丈夫だよ」


 そう補足してくれたのは、元看護師らしいサヤちゃんのお母さんだ。


「そうなんですか……ありがとうございます」


 過呼吸。

 言われてみれば、上手く息が吸えなくて苦しかった記憶がある。

 それにまだ、頭がぼーっとする感覚が残っている。



「吹乃ちゃんの目が覚めたので本題に入りたいのですが、いいですか?」


 サヤちゃんのお母さんはそう言いながら、お母さんの方に向き直る。

 その眼差しは真剣だった。


「吹乃ちゃんのこの顔の怪我、どう見ても普通じゃありません。何度も何度も強い衝撃を受けないと、これほどまで酷い傷は残らないです」

「……それで?」

「お母さん、あなたが殴ってできたものですよね?」

「証拠は? 吹乃がそう言ったの?」


 お母さんは苛立ちを隠さずに短く返す。

 一方、サヤちゃんのお母さんは淡々と言葉を繋げる。

 普段はサヤちゃんと一緒にふざけるサヤちゃんのお母さんばかり見ていたから、何だか珍しいものを見る感じがした。


「いいえ。証拠はありませんし、吹乃ちゃんは何も言ってくれませんでした。でも、そうとしか考えられません」

「つまりあなたは憶測だけで私がやったと決めつけている訳ね。心外だわ」

「先程の過呼吸は過度なストレスや強い恐怖心による可能性が高いです。そして相当なストレスか恐怖心がかからないと失神なんて起こらないんです」


 目の前で行われる大人2人の言い合いに、少しだけ呼吸が早くなる。


 そして無意識に、近くにいるサヤちゃんの手を握った。

 サヤちゃんは驚いた顔を見せた後、笑顔を見せてから強く握り返してくれた。


 サヤちゃんの手の温もりを感じると、早くなっていた呼吸も段々と落ち着いた。


「家には吹乃ちゃんと吹乃ちゃんのお母さんしかいませんでした。つまりあなたに強い恐怖心を抱いたのが原因で過呼吸になったのではないでしょうか」

「……つまり何が言いたいの?」

「吹乃ちゃんへの虐待を今すぐやめてください」


 虐待という単語を聞いて、少し身構える。

 テレビのニュースとかでしか聞かない言葉に自分が遭っている自覚があまりなかった。


「本当は今すぐにでも警察に突き出したいですが、吹乃ちゃんは普段お母さんに懐いています。それを引き離して、吹乃ちゃんを一人ぼっちにさせてしまうのは本意じゃありません」


 お母さん以外に頼れる親戚などがいない私にとって、お母さんが捕まってしまったら他に行く宛ても何も無い。

 たった一人しかいない家族を失うのは嫌だし、私はまだお母さんのことが嫌いではない。

 だから、離れ離れにはなりたくない。


「それに吹乃ちゃんには新しい傷しかなく古い傷が無いことから、虐待は常習的なものではないと思うので、まだ間に合うはずです。もう手遅れ、なんてことにはしたくないですよね?」


 お母さんはその言葉を受け止め、諦めたように大きいため息をついた。


「わかったわ……もう、しないわ」


 それを聞いたサヤちゃんのお母さんは頬を緩ませ安堵の息を漏らす。

 その後にもう一度真剣な顔をしてから口を開いた。


「でも次も同じような虐待の跡が見つかったら、今度こそ警察に突き出します。その時は私が吹乃ちゃんを引き取るので、忘れないでくださいね」


 そう言葉を締めくくり、母2人の話し合いは終わった。



***



 終始置いてけぼりだった私とサヤちゃんは、その後2人で公園に行った。


「顔、まだ痛いの?」

「ううん、触らなければもうあんまり痛くないよ」


 私の顔を心配そうに覗き込むサヤちゃんから、少し距離を取る。

 近過ぎて恥ずかしかったから。


「あのさ、ありがとね。サヤちゃん」


 夕焼けを見ながらそう切り出した。

 色々な意味を込めて、ありがとうと言った。


「あたしは……何もできなかったよ。ママと相談して、ただ家に来ただけ。何もしてない」

「そんなことない! サヤちゃんのおかげで、今私はここにいるんだと思う」


 リビングでまた震え出した時に、サヤちゃんが手を握ってくれたおかげで落ち着けた。

 サヤちゃんがいてくれたおかげで、私は頑張れた。

 私はサヤちゃんに助けられてばっかりだ。



「あ、そうだ!」


 会話が途切れてしばらくすると、サヤちゃんは何かを思い出したように立ち上がった。


「これ! 今週の学校で渡そうと思ってたの!」


 そう言いながらポケットから出てきたのは、イルカのストラップだった。

 シンプルで可愛らしいストラップだ。


「イルカ……?」

「うんイルカ! この前家族で行った時に、ふーちゃんにお土産で買ったの!」

「えっ、ありがとう。すごく嬉しい」


 ストラップを受け取って、手の中のそれをまじまじと見つめる。


「それでね! このストラップすごいんだよ!」


 そう言いながらサヤちゃんはもう片方のポケットから、ある物を取り出した。


「……色違い?」


 サヤちゃんが手に持つのは、私が今持っているのと同じイルカのストラップだった。

 私が青色のイルカで、サヤちゃんが赤色のイルカ。


「うん! それでね……見て!」


 サヤちゃんはおもむろに私のストラップとサヤちゃんのストラップを近付けた。

 そしてくっ付けると、イルカとイルカの曲線で綺麗なハート型が出来上がった。


「ハートになるの! かわいいでしょ!」

「え……すごいっ。ハートの片方を私が貰っちゃっていいの?」

「ふーちゃんだから渡したの! 他の人じゃ意味無いんだから!」

「あ……ありがとうっ……!」

「うんっ! また何かあったら言ってね! 次こそは、すぐにあたしが助けてあげるから!」



 ハート型になるストラップと、サヤちゃんが元気よく放ったその言葉が嬉しくて、少し泣きそうになりながら頷いた。

 そして、その言葉を何度も何度も頭の中で繰り返した。




 家に帰ってからお母さんにお腹を殴られている間も、イルカのストラップを握り締めながら、サヤちゃんの言葉を何度も何度も繰り返した。


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