【第2話】 「視線を感じる」はただの勘違い
(終わった……)
今、私は一人だ。
一人ぼっち改め、独りぼっちだ。
絶望顔を浮かべながら、後方にある席で独り縮こまっている。
先程の昇降口で馬酔木さんに皮肉を言われた後も、しばらくなーちゃんと攻防を繰り広げたのだが、結局退学できずに教室まで連行されてしまった。
なーちゃんに上手いこと言いくるめられたのと、言い争っているうちに私が冷静になってしまったことが敗因だ。
そして私を教室まで連行したなーちゃんは、生徒会の仕事やら何やらでどこかに行ってしまった。
なーちゃんは中等部では生徒会長を務めてたし、高等部でも引き続き生徒会に所属するらしい。
だから入学式の準備とか、色々あるのだろう。
新入生代表の言葉も多分なーちゃんが言うことになっているだろうし。
やっぱりなーちゃんはすごいなあと感心する一方、私を教室まで連行したんだから独りにしないで欲しかったと思う気持ちもある。
おかげで――。
「花咲さんが昇降口前で騒いでたの、見た?」
「見た見た。離せ〜とかやってたやつでしょ」
「そう、それそれ。アレに付き合わされてる雪下さんが可哀想だよね」
……おかげで、私の悪評が言いたい放題になっている。
なーちゃんがいないからなのか、遠慮というものがない。
チラチラと私を盗み見る視線と共に、プププ、と嘲笑するような会話が聞こえてくる。
もうダメだ、おしまいだ。
死のう。
何であんなことしちゃったんだろう。
普段の私なら絶対にしない……はずなのに。
きっと感情の振れ幅が大きくて、おかしくなっちゃったんだ。
嬉しさの後に絶望を味わったから、脳がバグっただけに違いない。
幻覚まで見えたし。
だから私は悪くない。
自業自得なんかじゃない。
悪いのは世界だ。
この世の不条理は全て世界の責任にある。
そんな感じで不貞腐れていた時、ガラガラと後ろの扉が開く音がした。
なーちゃんかな、と思い扉の方に視線を向ける。
するとそこには、見知らぬ美少女がいた。
肩まで伸びた薄桃色の髪。
淡いピンクのパッチリとした大きな目。
幼くもあり、大人っぽさも兼ね備えた可愛いらしい顔。
こんな紛れもない美少女、中等部では見たことがない。
そう確信できるほど、一度見たら忘れられない美少女だった。
「あの子知ってる?」
「知らない。編入生かな」
近くのクラスメイトの会話が耳に入る。
うちは中高一貫校で、ほとんどが内部生だ。
しかし内部生の高等部進学に合わせて、編入試験を受けて外部から編入してくる生徒が毎年数人いるそうだ。
彼女もそのうちの一人なのだろう。
教室中から視線を集める編入生は、黒板に貼ってある座席表を確認し席に着いた。
……私の隣に。
あ、まずい、と直感が告げる。
もし編入生に話しかけられたらどうするんだ、と。
もちろん私なんかにまともな対応ができるはずがない。
ただでさえ人見知りなんだ。
こんなに気分が落ち込んでいる時に話しかけられたら、きっと変な挙動をしてしまう。
そしてまた私の悪評がクラスに広まるんだ。
『花咲さんが気持ち悪くて、編入生の子に気味悪がられていた』って……。
そんなの嫌過ぎる。
いやでも、他にも沢山生徒いるし、私今凄い負のオーラ纏ってるし、そんな都合良く話しかけられるはず――。
「初めまして☆」
「ぅわぁっ!?」
「そんな驚く!?」
編入生の美少女は、身を乗り出して私に声をかけてきた。
それもウインクで星を飛ばしながら、キラキラした笑顔で。
あまりにいきなりのことだったから、思わず大きな声を出してしまった。
「す、すみません。急に話しかけられて、少しビックリしちゃいました」
「ああ、こちらこそごめんなさい。ビックリさせちゃって」
遠巻きに編入生のことを見ていたクラスメイトは、私の驚いた声のせいで、より一層こちらに注目している。
しかしそんなのお構い無しと言わんばかりに、編入生は私に話しかけ続ける。
「私も高等部からこの学校に来た編入生なんだ! だから、良かったら編入生同士仲良くしよ☆」
……ん? 編入生同士?
この子、何か勘違いしてる?
「いや私、普通に内部生ですけど……」
「あれ!? うそごめん! 間違えた!」
そう言いながら、編入生はあたふたと焦ったような動きをしている。
まあ間違えることは誰にでもあるし別にいいんだけど、少し気になることがある。
「えっと、何で私が編入生って思ったんですか?」
「あー。な、何でだろうね。なんとなくかな? あはは」
編入生は愛想笑いを浮かべながら私から視線を外し、右斜め上の方を見ている。
人が聞かれたくないことを聞かれて、はぐらかしている時にする顔だろう。
もしかして失礼なこと考えたりしてた?
私が一人ぼっちだから編入生かと思ったとか……そんな訳ないか。
でも、何だか新鮮な感じがする。
なーちゃん以外の人で、学校の人とこんな普通の会話をしたのは、久しぶりだと思う。
――あぁ、そっか。
この人は編入生だから、私に抵抗なく話しかけられたのか。
私がいじめられていることなんて知らないから、話しかけてくれたんだ。
「そ、それはそうと、私は桃里果凛! よろしく☆」
「……花咲恵梨香です。よろしくお願いします」
一応、名乗っておく。
この人と仲良くできるか、他の人達みたいに離れて行くのかはわからないけど。
「うん! 隣の席のよしみで仲良くしようね☆」
編入生が元気よくウインクをした時、視界の端に馬酔木さんが映った。
……何だか、とても怖い顔をしているのは、気の所為でしょうか。
蛇に睨まれた蛙のように、私の体がピクリとも動けなくなっているのは、気の所為でしょうか。
え、な、何で私、馬酔木さんに怖い顔で睨まれているの?
何かした?
いやいや、何もしてないはず。
昇降口で対面したあの時から、馬酔木さんに関わるようなことは何一つしていない。
じゃあ何であんなに怖い顔をしているんだ。
もしかして、私達の話し声が耳障りだったとか?
いやでも、迷惑になるほど大きな声では――。
「もしもーし? 聞こえてる?」
頭がぐるぐる回りながら考え事をしていると、唐突に話しかけられた。
咄嗟に正面を見ると、編入生が身を乗り出して私の視界に入ってきていた。
この様子を見るに、何回も私に話しかけてきていたみたいだ。
私が恐怖に包まれてたせいで気づかなかっただけで。
「……」
編入生の方を見た後、もう一度馬酔木さんの方を見る。
すると、別に私のことなんて見ていなかった。
さっきまでの殺気溢れる視線は本当に気の所為だったのかな。
「恵梨香ちゃん? 大丈夫?」
「あ、はい。大丈夫です…………ん?」
恵梨香ちゃん?
「え、あの、今、私のこと恵梨香って言いました?」
「うん。何かおかしかった?」
「おかしくはないですけど、急に名前呼びでビックリしちゃって……」
「あ、うん大丈夫だよ! 恵梨香ちゃんも私のこと、果凛って呼んでね!」
何が大丈夫なんだろうか。
コミュ力高い人ってみんなこんなものなのか?
「桃里さんって呼びますね」
「果凛でいいのにー」
こんな私に距離を詰めて来てくれるのは嬉しいけど、初対面で相手を名前呼びできるほど私はコミュニケーション能力が高くない。
それに、私がいじめられていることが桃里さんにバレて、桃里さんが私と距離を置いた後、私が気安く名前呼びなんてしたら桃里さんに嫌がられてしまうかもしれない。
桃里さんから名前呼びしてと言われて、いざ名前呼びしたら嫌がられた時の精神的ショックは計り知れない。
馬酔木さんと同じクラスになったと知った時以上のダメージを受けることになるかもしれない。
だから名前呼びは辞退させていただこう。
「あ、そうだ恵梨香ちゃん! 今日の放課後にこの学校を案内してよ!」
私が割りとブルーなことを考えている時に、桃里さんはすごいグイグイ来る。
なんでそんなに私に構ってくれるんだろう。
他にクラスメイトは沢山いるのに。
「え、私が案内ですか? 私なんかより他に頼もしそうな人は沢山いますけど」
こんなコミュ障の私より、他のもっとキラキラした子に案内してもらった方が良いだろうに。
「恵梨香ちゃんがいいの! ……だめ?」
「い、いいですけど……」
「わーやったー! ありがとう!」
うっ。
コミュ強&美少女の破壊力に負けて承諾してしまった……。
でも、両手を広げてこんなに大袈裟に喜んでくれるような美少女の頼み事を誰が断れようか。否、いない。
初対面なのにこれほど距離を詰めて、フランクに話しかけてくれる人もなかなかいない。
今はこの貴重な瞬間を噛み締めないと……。
そんなことを考えている時、ガラガラと前の扉が開いた。
見ると、入ってきたのはなーちゃんだった。
ようやく生徒会の仕事が終わったみたいだ。
教室に入ったなーちゃんはそのまま黒板に貼ってある座席表を確認して、自分の席に向かう。
その姿を遠巻きに眺めている最中も、桃里さんは絶えず私に話しかけていた。
「恵梨香ちゃんはLIMEかインタスやってる?」
気付かないうちに、話題はSNSの話になっていたらしい。
「あ、はい。LIMEならやってますよ」
「じゃあ連絡先交換しようよ! せっかくだしインタスも始め――」
「ねえ、もうホームルーム始まるわよ」
「え?」
桃里さんが話している時、突然馬酔木さんが私達の会話を遮った。
いつの間にか席を立ち、どこか冷たい目をこちらに向けていた。
一体どうしたんだろう、と思い周りを見てみる。
すると、あれほど騒がしかった教室も今は静かになっており、みんな着席していた。
気付かないうちにホームルームの時間が迫っていて、まだ談笑しているのは私達だけだったようだ。
「あ、もうそんな時間だったんだ! 教えてくれてありがとう☆」
馬酔木さんの睨むような視線に怯むことなく、桃里さんが明るい声音で答えた。
「わかったのなら、もう少し弁えなさい」
桃里さんの返事を突っぱねる形で、馬酔木さんが冷たい態度を取った。
すると。
「ん?弁える?」
一瞬で、桃里さんの声が少し低くなった。
そして笑顔を貼り付けたまま、私に小声で話しかけてくる。
「ねえねえ恵梨香ちゃん。あの人って偉い人なのかな? 弁えろって言われたけど何に対して弁えたらいいのかな? というか何様なのかな?」
「えっと、あの人は馬酔木さんです。中等部の頃からクラスのまとめ役みたいなことをやってたから、偉いっちゃ偉いかもです」
クラスのまとめ役……というか、一軍のリーダーだな。
別にクラス委員とかをしてる訳ではないけど、馬酔木さんの意向は極力汲まれる。
階級社会の賜物だね。
「ふーん」
私の説明を聞くと、桃里さんはつまらなさそうな目で馬酔木さんを眺める。
そんな視線もお構いなしに、馬酔木さんは自分の席に座った。
そしてしばらくすると。
「今日って入学式以外に何やるのかな?」
こんな風に、さっきの指摘を完全に無視するような形で、桃里さんはまた私に話しかけてきた。
しかし意外にも、馬酔木さんはこれ以上注意してくることはなかった。
他のクラスメイト達も談笑しているようだし、先生がなかなか来ないから見逃すことにしたのかもしれない。
そうして、桃里さんと私のお喋りは先生が教室に到着するまで続いた。
――この時、自分を睨む二つの鋭い眼光があったことなど、当時の私は知る由もなかった。