【第21話】悪口と陰口の違いは本人がいるかどうか
そんな他愛も無い話を長々としているうちに、チャイムが鳴ってしまった。
昼休みの終わりを告げるのと同時に、五時限目開始の十分前を知らせる合図だ。
「じゃあ教室戻ろっか」
「うん、そうだね」
そう言って、三人で並んで教室へと歩を進める。
すると、高等部校舎に入った所で突然呼び止められた。
「おーい雪下!」
声がした方を見ると、そこには担任の浅賀先生がいた。
「なんでしょうか?」
声をかけられた奈津菜ちゃんは、抑揚のない声でそう返事をする。
「これから教室戻るなら、職員室に寄って、私と一緒に教材を運んでくれないか?」
おお。
新入生代表のスピーチまで任せられた奈津菜ちゃんともなると、こんな面倒事まで頼まれてしまうのか。
これも優等生税ってやつかね。可哀想に。
「わかりました。すぐ済ませましょう」
奈津菜ちゃんは面倒事に嫌味の一つも言わず、すぐに職員室の方へと向かって行った。
こういうことを頼まれるの、慣れているのかな。
「奈津菜ちゃんって、よくこういう先生の手伝いとかさせられてるの?」
「うん、そうだね。中等部で生徒会に入ってから、色んな人に手伝いを頼まれることが増えたかなあ」
「へえ。愚痴も言わずにすごいね」
「そう! なーちゃんってすごいんだよ!」
私が軽い気持ちで相槌を打つと、恵梨香ちゃんはキラキラした目で奈津菜ちゃんの魅力を語り始めた。
「まず、頭が良いでしょ」
「確かに」
恵梨香ちゃんから、奈津菜ちゃんの成績は学年トップだと聞いている。
「運動神経も抜群だし」
「うんうん。さっきの体力テストでも全部好成績だったし」
「そして、かわいい」
それは恵梨香ちゃんもだね。二人とも、とんでもない美少女だよ。
「あと優しいところ!」
「ほうほう」
「あとあと、私をすごい気遣ってくれるところ!」
「それは私にも伝わってくるよ」
「私が寝坊しそうになった時は、何も言ってないのに早く家に来てくれて、遅刻するのを防いでくれるの!」
「それは、すごいね……」
「でしょ!」
ふふん、となぜか恵梨香ちゃんが得意げに鼻を鳴らしながら廊下を歩いていると、あっという間に教室に着いた。
そして、恵梨香ちゃんが教室の前方の扉に手をかけて、開こうとする。
すると。
「花咲さんってさあー」
と、話す声が聞こえて来た。
その言葉を聞いた瞬間、恵梨香ちゃんの体が硬直する。
私もつられて動きが止まり、二人とも声を出さずに、その言葉の続きを待った。
「50m走の走り方、めっちゃキモくなかった? 私、笑い堪えるの必死だったわ」
「わかるー。なんかエリマキトカゲみたいだったわ」
「なんか生理的に受け付けられないよね。昨日も校舎前で、雪下さんにキモムーブで絡んでたし」
「うわ、それウチも見た。ガチでキショかったわ」
そう、ゲラゲラと汚い笑い声と共に、恵梨香ちゃんを侮蔑する言葉が聞こえた。
そっと恵梨香ちゃんの方を見ると、扉の取っ手に添えられた恵梨香ちゃんの手が震えていた。
そして目も、みるみるうちに潤んだものへと変わっていっていた。
「あ、えっと、ちょっと唐突な尿意に襲われたので、トイレ行ってきますね!」
私が呆気に取られていると、恵梨香ちゃんはそう言って走ってトイレに駆け込んでしまった。
追いかけるのは野暮だろうと思い、私は教室内に意識を向ける。
声のする方向と聞こえるボリューム的に、この陰口を言っているのは教室の廊下側前方だろう。
今の出席番号順の席で考えると、馬酔木さんの席の近くで話している可能性が高い。
つまり、馬酔木さん主導でこの会話をしているのかな。
でもそれにしては、馬酔木さんの声らしきものは聞こえてこない。
……まあいいか。
相手が誰だとしても、陰口を叩く奴なんてクソ喰らえだ。
少しお灸を据えてやろうか。
あまり悪目立ちはしたくなかったんだけど、仕方がない。
このまま見逃して、またこういった状況に陥ってしまうよりかは、ずっといい。
そう考え、勢いよく扉を開こうとした時だった。
「盛り上がっているところ申し訳ないのだけれど、その話って何が面白いのかしら? 聞いていてもつまらないから止めてくれる?」
と、笑いながら陰口を叩く奴らを制す声が聞こえた。
この声はもしかして……馬酔木さん?
「え、きゅ、急に何? ウチら普通に話してただけじゃん」
「その話題が不愉快だから止めてって言っただけよ。理解できない?」
「なに。馬酔木さんが率先して花咲さんをいじめてるのに、何でウチらがそんなことを言われなきゃいけないの?」
やはりこの声は馬酔木さんだったのか。
でもなんでいじめっ子の馬酔木さんが、恵梨香ちゃんを庇うようなことをしているんだろう。
陰口を言う側でしょ、あなた。
「私がこれまでに、誰かの陰口を言ったことがあったかしら。もし本当にあったのなら、あなたにも私に抗議する資格があるのでしょうね」
……え?
「は、はあ? 意味分かんないし」
「もういいよ、行こ」
陰口を言っていた二人は最後にそう吐き捨てて、馬酔木さんの近くから離れたようだ。
もう教室に入っても問題無さそうだが、私は扉の前から動けずに考え込んでいた。
「……どういうこと?」
私もあの二人のように、今の状況を上手く飲み込めていない。
馬酔木さんの言っていた意味がよく分からないからだ。
今の馬酔木さんは、明らかに恵梨香ちゃんの味方のような振舞いをしていた。
いじめの主犯なのに、だ。
急に善なる心が沸いて、恵梨香ちゃんへのいじめをやめた?
いや、その可能性は低いか。
さっきの馬酔木さんはまるで、これまで一度も恵梨香ちゃんの陰口を言ったことが無いような言いぶりをしていた。
それじゃあまるで、今までのいじめが嘘の演技みたいになってしまう。
でも、恵梨香ちゃんは実際、馬酔木さんにいじめられている。
中等部の頃からずっと、いじめられているはずなんだ。
そして昨日も、靴を隠されたばかりだ。
なのに、今の会話は不可解過ぎる。
言葉と行動が一致していない。
何なんだ、どういうことなんだ。
馬酔木さんは、本当は何を思っているんだ。
聞きたい。すごく聞きたい。
そして、いじめなんかやめて皆で楽しく過ごそう! とか言いたい。
でも私がいきなり馬酔木さんに聞いても、聞く耳も持たずに答えてくれないだろうな。
いかにも訳ありって感じなのに、ぽっと出の編入生に事情を説明してくれるとは、到底思えない。
うーん、どうしたものか……。
いじめの事情に詳しくなくても、馬酔木さんと親しい位置にいる人さえいれば、色々と有益なことを聞けそうなんだけど……。
……あ。
そういえば、馬酔木さんと仲が良さそうで、私の頼み事を何でも聞いてくれそうな人。
そんなぴったりな人、一人だけ心当たりがあるな。