【第20話】インナーマッスルを鍛えると痩せやすくなる
「次、桃里さんの番だよ」
「うん、ありがと」
そう言われ、地面に書かれた白い線に沿って、両手を合わせる。
腰を高く突き上げ、右足を左足より後ろに伸ばし、重心はやや前方に。
息を深く吐いてから視界をゆっくりと上げ、目線の中心を目標に定める。
今はもう、50m先のゴールしか見えない。
耳を研ぎ澄ませ、来たる瞬間を待つ。
「――……」
パンッ!
と乾いた銃声が響くと同時に、地面から勢いよく飛び立つ。
上体を起こし、地面を蹴り上げ続ける。
すると世界はグングンと後ろに過ぎ去っていき、ゴールがみるみるうちに近付いて来た。
全身を躍動させること以外に何も考えず、ひたすらに走る。
するとあっという間に、先程まで見ていた目標に辿り着く。
一瞬だった。
良いタイムが出たと思う。
隣のレーンを見ると、少し遅れてヘトヘトになったクラスメイトがゴールしていた。
そう。今、私のクラスは体力測定をしている。
そして、私は50m走を走り終わったところだ。
「桃里さん、6.5秒です!」
「おおー!」
「え、すごすぎない!?」
「速くね!?」
測定係の人が声を大にして私の記録を言うと、周りからざわめきが起こった。
「桃里さん、足速いね」
「運動は好きだからね!」
遅れて近付いて来た奈津菜ちゃんにも褒められて、照れちゃいそうだ。
我ながら、足が速いことは自覚している。
そして、足の速さに比例して、脚が太くなっていることも……自覚している。
『足 細くする方法』と、何回調べたか分からないくらい、色々試した。
結果は、この50m走のタイムが物語っているだろう……。
トホホ……奈津菜ちゃんみたいな美脚が羨ましいよ……。
「足、すっごいんだね!」
感傷に浸っていると突然、背後から声をかけられた。
お? すごい?
すごいってぇなんだい。太いってぇ言いたいのかい?
場合によっては、その発言を後悔させることも辞さないぞ?
そう思いながら、声がした方を振り返る。
するとそこには、可愛らしい子が興奮した表情で立っていた。
「ねえ! 桃里さん……いや果凛ちゃん……いや、りんりん!」
「……りんりん?」
いきなり私を変な呼び方で呼んだこの子は確か、クラスメイトの紅葉碧依ちゃんだ。
紅葉のような濃い赤色の髪をツーサイドアップで結び、それに愛くるしいパッチリお目々がとても似合っている。
身長も小さくて、愛嬌がある子だ。
「えっと、紅葉ちゃんだよね? どうしたの、急に……」
「陸上部に入りませんか!」
「へ? 陸上部?」
『足、すごい』について言及しようとしたら、突然部活勧誘された。
いや、50m走の直後だから、突然ではないか。
陸上部に勧誘ってことは……ああ、なるほど。
『足、すごい』の意味は『すごく太い』じゃなくて『すごく速い』の意味だったようだ。
危ない。勘違いで問い詰めてしまうところだった。
そう思っていると、紅葉ちゃんが一歩、私に詰め寄って来た。
「りんりんの脚は、陸上競技のために生まれてきたと言っても過言ではないよ!」
「過言だと思うよ」
「だから陸上部に入って、陸上のために人生を捧げるべきだよ!」
「それも過言だよ」
それにしても、さっきから紅葉ちゃんの熱量がすごい。
陸上がどれほど好きなのかが、よく伝わってくる。
「はい! これ入部届け!」
「どこから出したの……」
「りんりんのハンコもあるよ!」
「それに至ってはどうやって用意したの」
紅葉ちゃん、忙しい子……! ツッコミが追いつかないよ……!
そして水を差すようで申し訳ないけど、私ははなからどの部活にも入部するつもりは無い。
家事で早めに家に帰らなきゃいけないし、高校では勉学に力を入れたいからだ。
可哀想だけど、このお誘いは辞退させて貰おう。
「すごい誘ってもらってるところ申し訳ないんだけど、陸上部に入ることはできないかな。ごめんね」
「そ、そんなあ! 陸上部入ろうよ! 何でもするから!」
「んー、私以外にも足速い人はいるから、その人を誘ってみたらいいんじゃない? 奈津菜ちゃんとか」
「その手があったか! ゆっきーお願い!」
そう言って、紅葉ちゃんは目を輝かせて奈津菜ちゃんの方を向いた。
「私は生徒会とかで色々忙しいから無理かな」
「救いはないんですか!」
膝から崩れ落ちる紅葉ちゃんを見ながら、私はごめん、と心の中で謝った。
「やっぱり無理矢理にでも、ふきのんに入部してもらうしかないか……」
紅葉ちゃんは項垂れながら、そう呟いた。
「ふきのん……?」
そんな人いたっけ。
あ、紅葉ちゃんは私をりんりんと呼ぶみたいに、色んな人をあだ名で呼ぶみたいだから、これもあだ名か。
うーん、ふきのんって誰だろう。
ふきのん……ふきの……吹乃……。
あ、分かった。
ふきのんって、あの人のことか。
***
体力テストが終わり、昼休みになった。
今は恵梨香ちゃんと奈津菜ちゃんと一緒に、お昼ご飯を食べている。
「桃里さんって何かスポーツやってるの?」
二人から物珍しそうな目で見られつつ、冷やし中華を食べていると、奈津菜ちゃんが唐突にそう聞いてきた。
「特に何もやってないよ!」
昔は色々習ったりしていたけど、今はもう全て辞めてしまった。
高校では部活に入るつもりは無いから、体力テストで目立ったのは失敗だったかな。
これから先、紅葉ちゃんみたいに熱烈な歓迎とか受けちゃうかもだし。
これ以上陸上とかの他のスポーツで筋肉付けたら、足とかが丸太のようになってしまうかもしれない……。
それは絶対に避けたい。
そういえば奈津菜ちゃんも相当体力テストの成績が良かった。
それなのに、何でこんなに綺麗でスラっとした手足なんだ?
何か秘訣とかあるのかな。ちょっと聞いてみるか。
「でも奈津菜ちゃんも、手足細いのに凄まじい記録出てたからびっくりしたよ」
「そうそう。なーちゃんって筋肉があるようには見えないのに、力が凄く強いんだよね。何で?」
恵梨香ちゃんの援護射撃も入り、奈津菜ちゃんは答えざるを得なくなった。
さあ……何が聞けるのか……。
「い、インナーマッスルってやつじゃないかな……多分」
い、インナーマッスル!? それでこんな美ボディになれるのか!
よし、じゃあ今日からこっそり、インナーマッスルも鍛えてみるか。
「二人とも、運動もできて頭も良くて可愛くていいなぁ。私には何も無いのに」
私が新たな決意を胸に秘めていると、恵梨香ちゃんが何か言い出した。
何が、何も無いだ!
その大きい胸に詰まっているのは、筋肉よりも決意よりも詰めるのが大変な代物なんだぞ!
「そんなことないよ! 恵梨香ちゃんには凄い魅力が詰まってるよ!」
「うんうん。えりちゃんには、えりちゃんにしかない物を持ってるから」
心の中で抗議しつつ率直な感想を述べると、奈津菜ちゃんも恵梨香ちゃんの胸を見ながら、似たようなことを言っていた。
考えてることは同じなんだな。