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【第12話】 怖い人が優しくすると良い人に見えるアレはゲインロス効果と言う


 ホコリっぽくて薄暗く、少しカビの臭いがする体育倉庫。


 そんな場所に、私は閉じ込められていた。


 固く重い扉には、鍵が掛けられている。

 その扉を開くことは許されなかった。


 鍵を開けられない訳ではない。

 内側からも鍵を開けられるから、閉じ込められるなんてことにはならないはずだった。


 ではなぜか。

 なぜ、私は体育倉庫の扉を開けることができないのだろうか。


 理由は単純だ。


 扉まで辿り着けない。ただそれだけ。

 たったそれだけのことなのに、私はもう諦めかけている。


 マットの上に押し倒され、両手を押さえつけられているこの状況。

 非力な私じゃ、押さえつける手を振り切れない。


 大きな声を出せば、誰かが気付くかもしれない。

 でも、やろうと思っても声が出ない。

 あまりの恐怖に、本能が声を出すのを拒んでいた。


 一体どうして、こんなことになってしまったのか。


 事の発端は、少し前に遡る。


***


 高等部に進学してから、一週間半くらい経った。


 今のところ、楽しく学校生活を過ごせている。

 未だになーちゃんと果凛ちゃん以外に友達は作れていないけど、それでも大満足だ。


 三人で休み時間に駄弁り、三人で昼食を食べ、三人一緒に下校する。

 最近果凛ちゃんは陸上部に入部したから、二日に一回くらいしか一緒に帰れないけど。

 ささやかだが、とても幸せな日々だ。


 入学初日以来、物を隠されたりはしていない。

 中等部の頃はあんなに活発に嫌がらせをしてきた馬酔木さんも、今ではすっかりと鳴りを潜めている。

 少し不気味なくらい。


 でもまあ、きっと私に飽きたんだろう。

 実際にはどうかわからないが、そう思い込んでいるうちは、私は幸せでいられる。


 いつまでもこれが続きますように、と心で願いながら、今日も教室の扉を開けた。



「うげ、今日の日直……」


 登校して最初に目に入ったのは、黒板の端にある文字。

 そこにはいつも、その日の日直の当番が二人書かれている。


 その名前を書かれた二人が今日一日、一緒に日直として仕事をこなさなければならない。


 そして今日書かれているのが、


・馬酔木吹乃

・花咲恵梨香


 この二人となっていた。


 つまり今日一日、馬酔木さんと一緒に日直を務めなければならない。


 あまりの絶望に目眩がする。

 いくら最近は手を出して来ないからと言ったって、苦手なものは苦手だし、嫌なものは嫌だ。


「あらま……えりちゃん、大丈夫?」

「がっ、が、ががが頑張るよ……」


 隣で日直当番を一緒に見たなーちゃんが、私の心情を察して心配の声をかけてくれた。


 私が困っていたらどんな時もなーちゃんは助けてくれる。

 だからきっと、今回も何かあればなーちゃんが助けに来てくれる。

 そう思うと、今日のこの地獄のような日直も頑張れる気がした。


 日直と言っても、やることは授業の号令をしたり、日誌を書いたりするくらいだ。

 それくらいなら、馬酔木さんとの接触は最小限で済むだろう。




 ……と、思っていたのだが。


「それじゃ今日日直の人達、これ体育倉庫に片付けてきて」


 体育の授業の終わり。

 体育教師にそう告げられ渡されたのは、大縄跳び用の大きな縄だ。


 体育の授業では、各々が設置された種目を選択して、バラバラになって授業を受ける。

 そのため、6月に開催される体育祭の競技説明が一度にできない。


 ということで、まだ種目ごとに別れていない今のうちに説明してしまおうと、4月中に体育祭の競技説明がされている。

 今日は大縄跳びの説明の日で、体育の授業丸々ひとつ使って大縄跳びをしていた。


 そして今、使った縄を日直が片付けろと体育教師に言われたところだ。


 今日の日直というと……誰だったっけ?

 え? 私と、馬酔木さん……?

 何、だと……。


 まずい。このままだと、二人きりで片付けをすることになってしまう。

 どうにかして、この非常事態を回避できないだろうか。


 使った縄を片付けるくらいなら私一人でもできるだろうけど、先生が差し出した道具には、明らかに今日使っていない物もある。

 先生、自分の仕事をついでに押し付けたな。


 目の前にあるのは、カゴいっぱいに入った大縄と玉入れ用の玉のカゴが二つ。

 私一人では運べないし、馬酔木さん一人でも無理だろう。


 これはアレか、回避不能ってやつか。

 いやでも諦めるのは早い。

 私一人で往復して運んだりとか、きっと他に方法が……。


「何をしているの。さっさとあなたも運びなさいよ」


 気が付くと、馬酔木さんが両手にカゴ二つを持って私を睨んでいた。

 馬酔木さんの足元には、これを持てと言わんばかりの、大縄のカゴがある。


 ここでカゴを持たずにうだうだしていたら、叱責どころじゃ済まないだろう。きっと馬酔木さんのいじめが再開してしまう。


 仕方ない、やるしかないか。

 体育倉庫に運ぶだけ。

 大丈夫、2分で終わる。


「よいしょ──えっ重っ」


 覚悟を決め、大縄が入ったカゴを持とうとした瞬間、あまりのカゴの重さで前へ転びそうになってしまった。


「おっとと」

「あっ大丈──……こほん。遊んでないで早く運びなさい」


 つんのめかけた私を前に、馬酔木さんはそう言った。


 ん? あれ?

 もしかしなくても今、馬酔木さんが私のことを心配した?

 大丈夫? って言いかけた……?


 いやいやまさか。有り得ない有り得ない。そんなことあるわけないでしょ。

 馬酔木さんが? 私のことを心配?

 笑っちゃうね。天地がひっくり返ってもそんなことは起きないよ。


 馬酔木さんは私のことをいじめてきた人で、私のことが大嫌い。

 そんな人が、嫌いな人に大丈夫か、なんて思うわけがない。


「よいしょっ」


 頭の中でぐるぐると回る、有り得ない聞き間違いを無視して、重いカゴを持ち上げる。

 とりあえず、今はこれを体育倉庫まで運ばないと。

 幸いにも体育倉庫はそう遠くないから、さっさと終わらせてしまおう。



 駆け足で体育倉庫の中に入り、縄類が置かれている場所の近くにカゴを置いた。


「いてて。手に取っ手の痕付いちゃった」


 自分の手のひらを見ると、カゴの取っ手部分の痕が付いてしまっていた。

 あまり長い時間は持っていなかったのに、それほどまでに重かったということか。


 その時――。


 ガシャン。


 手に付いた痕の凸凹を触っていると、唐突に体育倉庫の扉が閉まった。


 なんだろう、と考える前に、

 ガチャリ。


 と、鍵を閉める音がした。


「え?」


 何が起こったのか分からないまま、振り返る。

 するとそこにあったのは、馬酔木さんが後ろ手で、体育倉庫の鍵を閉めている瞬間という光景だった。


「――――」


 思考が止まる。

 私が理解できる状況を上回る行動に、体は硬直し、言葉というモノを忘れる。


 馬酔木さんの表情は、読み取れない。

 しかし、直感的に本能がヤバいと告げ、頭の中で警鐘を鳴らしている。


 何をするつもりかは分からない。

 だが、それが決して私にとって良いものではない、ということは確信している。


「……………………」


 何だ。何なんだ。

 どうしよう。どうすればいいんだ。


 馬酔木さんは扉の前から動かないし、何も言わない。


 なんで扉を閉めたの? なんで鍵閉めたの? なんで何も言わないの?

 とか、聞いてもいいのかな。

 だって馬酔木さん、私からアクションを起こさないと、永遠にそのままだと言わんばかりの沈黙具合だ。


「え、えっと、馬酔木さん? ど、どうしたんで――」

「最近の学校、楽しい?」


 私の質問は、途中で掻き消された。

 馬酔木さんが私の疑問に被せる形で、よく分からないことを聞いてきた。


 いきなり何だ、その質問。

 質問の意図が理解不能過ぎる。


 最近の学校は楽しいか。

 そりゃ、馬酔木さんの介入がほぼ無いから楽しいですよ。なんてことを言った暁には、私の首がフライアウェイしても、おかしくはないだろう。

 逆に、馬酔木さんと同じクラスになれて嬉しいですっ! なんて見え見えの嘘を言っても、詰む気がする。


 何て答えればいいんだろう。

 これは、半分くらい正直に答えるのが、良いんじゃないのかな。


「え、あ、はい……それなりに……多分……」

「ああ、そう」


 そう曖昧に答えると、馬酔木さんは少しずつ私に近付いて来た。

 一歩一歩、踏みしめるように。


 な、なななになになになに! 怖い怖い怖い怖い! こ、こ、ここ殺される!?


 そして馬酔木さんは近付きながら、ゆっくりと口を開く。


「随分と、桃里さんと仲が良いみたいだけれど、それについては?」


 それについてはって、どどどどういうこと!? これ馬酔木さん怒ってない!?

 何で怒ってんの!? 目が怖い! 声も怖い! ひぃぃぃ近い近い近い!


「果凛ちゃん、恵梨香ちゃん、って名前で呼び合っているみたいだけれど、それは許されたのかしら?」


 呟きながら、どんどん近付いて来る。

 身体が触れそうになり、後ろへ下がると、床に敷かれたマットに躓いてしまった。


 マットに倒れると、馬酔木さんが覆い被さる形で私の上に乗ってきた。

 両手首が馬酔木さんに掴まれて、身動きが取れなくなる。

 上を向くと目が合ってしまったから、顔を横に背ける。


 それでも馬酔木さんはお構い無しに顔を近付け、耳に馬酔木さんの吐息が当たる距離にまでなっている。


 そして馬酔木さんはゆっくりと息を吸うと、小さな、それでも確かな声で。


「痛い目に遭いたくなかったら、今すぐ桃里果凛とは縁を切りなさい」


 耳元で、そう囁いた。


「――え」


 その言葉で、スッと私の思考はクリアになった。

 果凛ちゃんと縁を切れ。


「なんで…………」


 なんで、そんなことを言うの?

 ……今まで私は、馬酔木さんの命令に逆らったことは無い。


 極力、馬酔木さんの言いなりになってきた。

 逆らうのが怖いからだ。

 そんなことをしたら最後、何をされるか分かったもんじゃない。


 だから、言うことに従う。

 平穏な学校生活を送るために。


 でも、この命令に従ったらどうなるだろうか。

 果凛ちゃんとは、初めて自分の力だけで友達になれた、唯一の存在だ。

 なーちゃんは物心つく前からの付き合いだから、自分の力で友達を作ってはいない。

 だから果凛ちゃんは私にとって、勇気ある一歩を踏み出せた証拠でもあるし、何よりかけがえのない友人だ。

 まだ出会って二週間も経っていないけど、それでも友達なんだ。それを手放せと言われても、素直に従える気がしない。


 ――果凛ちゃんは、私の大切な友達だから。


 そんなことを言われても、命令されても。

 絶対に、言いなりになんてならない!


「い、嫌……です……!」


 私はこの瞬間、生まれて初めて、馬酔木さんに正面から逆らった。


「っ!」


 私の初めての明確な拒絶に、馬酔木さんの目は驚愕に包まれる。


 私を抑えつける手にも力が入り、少し痛い。

 それほど意外な答えだったんだろう。

 私が反抗したのが、馬酔木さんにとってはそんなに驚くほどのことだったか。


「……どうなってもいいの?」


 馬酔木さんの振り絞ったようなその声は、少し震えていた。

 怒りもせずに、少し残念そうな顔を見せる。


 何でそんな顔をするのだろうか。そんな顔をする理由は何だ。


 もしかして、実力行使とかするつもりなの? 私と果凛ちゃんを離れさせるために、手段を選ばず。

 私だけにならまだしも、果凛ちゃんやなーちゃんに手を出したら許せる気がしない。


「果凛ちゃんかなーちゃんに何かするつもりなら、私にしてくださいっ……!」


 言っていて、自分で情けなく思える。

 許さない、ただじゃおかない、とかじゃなく、私にしろと。


 でも私に、馬酔木さんの行動を止める力は無い。

 だから、その行動は全て私に行くようにしないと。果凛ちゃんやなーちゃんに、魔の手が及ばないようにしないと。


 その言葉を受け、馬酔木さんは腕の力を少し抜いた。


「……言っておくけど、私はあなたの──」


「えりちゃん!? この中にいるの!? 大丈夫!?」


 馬酔木さんがそう言いかけたところで、体育倉庫の扉がドンドンと力強く叩かれた。


 扉の向こうからするこの声は、なーちゃんだ。

 異常を察知して、助けに来てくれたのか。


「な、なーちゃん!」

「えりちゃん! 大丈夫なの!?」


 やっぱり、なーちゃんはどんな時も助けに来てくれる。私の王子様だ。

 突然の介入に、馬酔木さんは動きが固まっていた。


「……はあ。まずいわね」


 そう呟き、馬酔木さんは私を解放した。


 立ち上がり、服を払いながら一言。


「とにかく、後悔したくないのなら、桃里果凛との関係は断ちなさい」


 そんな言葉を吐き捨ててから、体育倉庫の扉を開ける。


 開かれた扉のすぐ向こうにはなーちゃんが立っており、馬酔木さんと私を交互に見る。

 馬酔木さんを見るなーちゃんの目は、冷めきっていた。

 馬酔木さんはその目を受け止め、そのまま行ってしまう。


 入れ替わりになーちゃんが体育倉庫に入ってきて、私に駆け寄って抱き締めた。


「大丈夫? 何かされなかった?」

「う、うん。特には。大丈夫だったよ」

「本当?」

「本当だよ。助けに来てくれてありがとう、なーちゃん」

「ううん、えりちゃんが無事で良かった」


 私の無事を確認し、一緒に体育倉庫を出る。


 一体、馬酔木さんの目的は何だったのだろうか。

 果凛ちゃんと私が一緒にいることで、何か不都合があるのか。


 考えても答えが出てくる気がしない。

 でも、これだけは言える。


 果凛ちゃんとなーちゃん。

 この二人とはずっと友達のままでいよう、と。


***


 花咲と雪下が体育倉庫から去った後。


 近くの物陰から、一人の少女が出てくる。



 その少女が今のやり取りをずっと見ていたということは、誰も知らない。



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