開缶
皆さんはシガールなる菓子をご存知であろうか。私は本日30年務めた仕事を早期退職した。私が甘いもの好きであることを知ってくれていた同じ班員の仲間たち6人が、皆シガール缶をひとつずつプレゼントしてくれた。思いもよらぬお祝いに私は大声を上げて小躍りしてしまった。何ということであろうか。ここには私が非現実的と知りながらも、思わず想像してしまう、食べ切れないほどのシガールが現実として眼前に広がっている。何という贅沢、何という歓喜。恐悦至極である。頂いて当日に手をつけるのは、あまりにもったいないと思い、食べたいのを我慢して翌朝以降に食することを楽しみに、この日は眠りについた。
翌朝、どうも風邪を引いたのか、喉の痛みが気になり始めた。実は最後の出勤日でも日中若干の喉の違和感はあった。しかしながらシガールを食するという楽しみは、その程度で阻害されるものではない。積み上がったシガール缶の第1缶を開封する。素晴らしい。美味しい。嬉しい。妻に見られて恥ずかしい。などと思っているうちに10本ほど平らげてしまった。いかん、いかん。これでは折角の頂き物をあっという間に終わらせてしまう。もう少しペースを落とそうと思いつつも、まだまだ山積みの他の缶があるのだから大丈夫という気持ちが打ち勝ち、それでも一旦止めておこうと考え直して20本足らずのところで、第1日目を終えることにした。そしてここで止めたことは正解だったと知ることになる。
2日目の朝、やはり体調がおかしかった。いつも私は風邪を引くと喉から痛みを発症する。今回も同様のパターンであろうと思い2本ほど食したが、どうも食べるのは困難と感じた。いやシガールを食するのがではない、起きていること自体が相当つらく、喉の痛みもあっという間に最高潮に達してしまった。あまりのつらさに私は殆ど発狂状態になってしまった。大体この手の症状はイブプロフェンを摂取することで軽減するはずなのだが、薬の効力は一切なかった。食事も僅かながらもしていたが、夜には全て吐いてしまった。頭の痛みも尋常ではない。どうしていいか分からない。眠ることすらできない。日中少し眠ったが、夜はもはや横になるのもつらい。熱を計ると38度を超えていた。私は妻に罵詈雑言を吐き散らしていた。妻は泣きながら、私のあまりの異常さに怯えながら夜急診のため病院に連れて行ってくれた。医師は私を診てすぐさま、これはインフルかコロナに間違いないと断言した。鎮痛剤出しておくけど、朝になったらすぐ診療を受けるようにとも言われ、妻は急ではあったが仕事を休んでくれて、朝にはかかりつけ医のところに連れて行ってくれた。
かかりつけの診療所に到着してすぐに検査をしたところ、インフルエンザB型と判明した。インフルエンザは発症直後だとすぐに検査で陽性にならないことも少なくないが、このときの私は5分足らずで結果が判明した。私は過去にインフルも新型コロナも罹患を経験しているが、このときほどつらい状況はなかったと言っていい。インフルエンザだと抗生剤は効かないということをこのとき医師に言われ、昨晩飲んだ薬が一向に効かなかったのも合点がいった。処方された薬は驚くほどすぐに効力を発揮した。痛みがかなり軽減され落ち着くことができた。痛みで怒鳴り散らし、更には新しい職場を初日から休ませてしまい、妻には本当に申し訳ないことをしてしまった。本当にすまない。だが、おかげで助かった。ありがとう。この日以来10日ほど私は寝込んでしまうことになった。しかし不幸中の幸いと思ったのは、インフルエンザと発覚したのですぐに辞めた職場に報告したが、同様の症状を起こしている方は一切居らず、私が最後の最後で周囲の同僚たちに迷惑をかけずに済んだことである。
折角仕事から解放されたにもかかわらず、退職後の最初の4月は最悪のスタートを切ることになってしまった。熱はすぐに下がったが、気怠さは全く治る気配がなかった。ようやく4月半ばを過ぎる頃、家の中を歩き回ることは支障ないほどまでに回復していた。退職時に班員をはじめとした職場内の皆さんには、私の撮影した写真を使ったオリジナルのクリアファイルを自作して退職前日に配っていたのだが、退職日当日に仕事上そこまで関わりのなかったはずのチームの方々から、お世話になりましたと連名でお祝いを頂いていた。本当であれば、今頃にこのチームの方々にも新たなクリアファイルを作成してお礼として持っていこうと画策していたところであったが、この急な予想外の病気のせいで全くその計画は進んでいなかった。少なくとも4月中に元職場を訪れて、お渡しができるように今からでも頑張ろうと改めて決意をして、懸命に作業に打ち込み始めた。側から見たら私の作業などは大したものではないのかもしれないが、職場全体に配布用のものを用意するのも1か月以上は時間がかかっていたので、数は当時のそれより少ないといえども、私にとっては結構締切までが短い気の抜けない大変な作業であった。まあそうは言うものの、結構雑な仕上がりになってしまったことは否めないが、最終的に目標どおりに当月中に職場へは持ち込めそうであった。
私はこの作業に打ち込んでいた期間、体調回復をいいことに時間と胃袋が許す限り、夢中になってシガールを貪っていた。そして4月18日には、元同僚たちに向けてこんなメッセージを送っていた。
『 拝啓 シガールの神様たちへ
シガール天国も第1缶鹿野編、第2缶吉江編、第3缶東海林編、第4缶久羅編が終わり、とうとう第五缶原賀編となり、佳境に突入いたしました。第六缶、最終缶の井口編まであと少しで、食べても無くならないシガールが底を尽きると思うと淋しいです。ではまた食べ終えたら連絡します。』
缶につけた編名は、同僚たちの名前で、最後にこれらの巻ならぬ缶を渡してくださる際に、皆が私の前に一列に並んで順番に頂戴したのだが、その頂いた順番を缶名の序数としたものである。