表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

徒桜の聖女 ~「話し合えば分かり合える」だなんて、どの口が言いますか~

『皆様! これこそがこの悪女の本性です!! この罪人に罰を下すことに異議がある方はいらっしゃいませんね!?』


 私の住むキンペ村に役人さんがやってきたのが今朝の出来事。何が何だかわからぬまま馬車に詰められ、王都に連れ出された私に言い渡されたのは、身に覚えのない罪に対する処刑宣告でした。



「死ね! お前が日照りを招いたせいで俺たちの生活はめちゃくちゃだ!!」

「返してよ! 私たちの実りの秋を返してよ!」


 裸足にぼろの貫頭衣で石畳を歩く私に掛けられる、身に覚えのない罪に対する罵声の嵐。鎖で鉄球に括りつけられた両足がやけに重い。


「穢れた血め! どうせ生きる価値なんて無いんだ! せめて死んで償え!!」


 ……穢れた血。

 父親のわからない、娼婦の子供につけられる蔑称。

 ねえ、教えてよ。

 私が生まれてきたのは、そんなに悪いことなの?


「……ぁ、ぁ……」


 口を開き、声を出そうとしました。

 しかし喉を通って形になるのはかすれた声。

 王都に連れてこられるときに飲まされた液体に、喉を焼く効果でもあったのでしょう。


 逃げることも、無実を主張することもできない。


 断頭台に頭と手首をくくられる。

 顔を上げると、私を蔑む視線が降り注いでいる。


 どうして私が、こんな目に。

 歯を食いしばった時、民衆の一部が海を割るように開けて、そこから、純白のドレスを身にまとった、亜麻色の髪の女性が現れた。


 誰かが言った。「……聖女カトレア様だ」と。

 キンペ村で過ごしていた私は、聖女様の顔を知らない。だけど、人々の反応からして、彼女が聖女であるのは確信できた。


「聖女様! このような罪人に近づくのはおやめください!!」

「彼女もまた、生きとし生ける一人の命。言葉に耳を傾けない理由にはなりません」

「しかし――!」


 一縷の希望を見出した気がした。

 聖女と呼ばれる彼女なら、曇りなき眼で私を見てくれるかもしれない。

 私の無実に気づいてくれるかもしれない。


「ぁぁ……っ、ぁ……!」


 声にならない声で、無実を訴える。

 聖女は処刑執行人を押しのけて、たった一人で私に歩み寄ると、慈悲ざす眼で私に微笑みかけた。


「ええ、苦しいですよね。知っていますわ。

 ――だって、これは私が作り出した演目ですもの」

「…………ぁ?」


 モノクロの喧騒が支配する広場で、そんな声がやけに耳に残った。

 今、彼女はなんと言った?


「飢饉が起こってしまった以上、私が本物の聖女じゃないとバレてしまうのは時間の問題でしょう?」


 彼女は変わらず、優しい瞳を向けている。

 優しいまなざしを向けたまま、淡々と恐ろしい事実を打ち明けている。


「だったら、裏で暗躍していた人物を作り上げてしまえばいい。民の怒りの矛先を挿げ替えてしまえばいい。とってもいい考えでしょ?」


 とたん、その目がとても恐ろしく映る。

 私の目に映っているのは、本当に人間なの?

 口角を上げて笑みを浮かべる彼女の表情は、腐った花弁のような印象を受けた。


「どうせ死んでも悲しむ者がいない天涯孤独の身でしょう? 生きる価値の無いあなたに死ぬ理由を与えてあげるんだから、喜んで死んでくださるわよね?」


 その一言で、私の中で何かがこと切れた。


「……ぁ、あああぁぁあぁぁあぁぁぁっ!?」

「きゃあぁぁぁっ!?」

「聖女様!! くっ、暴れるな! 穢れた血め!!」

「押さえろ! この罪人に自由を与えるな!!」


 喉を張り裂いてでも声を張り上げた。

 この女を呪えるなら、声を失ってもいい。


 だけどすでに断頭台にくくりつけられた私が彼女に何か影響を及ぼせるはずもなく、聖女は猫を被り、まるで小動物かのようにふるまった。


「聖女様、ご無事ですか?」

「は、はい」

「どうしてこのようなことを!」

「私はただ、話し合えば分かり合えると、そう信じて――」

「そんなものは絵空事に過ぎません! 罪には罰を、それこそが秩序をもたらす唯一の手段なのです!!」

「……あなたの、言う通りなのかもしれませんね」


 ふざけるな。

 何が「話し合えば分かり合える」だ。

 言葉の自由さえ奪っておいて、何が対話だ!


「皆様! これこそがこの悪女の本性です!! この罪人に罰を下すことに異議がある方はいらっしゃいませんね!?」


 大仰な身振りと手振りで演説をする彼女に、観衆のボルテージが上がっていく。狂うように熱を帯びた歓声は、もはやなんと言っているか聞き分けられない。


 女がその場を離れていく。

 はるか高みから見下ろす口元はほくそ笑んでいた。


 待って、まだ、死ねない。

 死ぬわけには、いかないの。


 そう願った次の瞬間、世界が縦に輪転した。

 鮮血をばらまきながら揺れる視界。

 この目に映ったのは、振り下ろされたギロチンと、首と手の無い、私だった人体の成れの果て。


 ……ああ。

 何の意味もない、無価値な人生だったなぁ。




 ねえ、こんな「もしも」を考えたことはある?

 もし1周分の知識をもって人生をやり直せたら。

 今度こそ、うまく生きていけるのに、と。


 私は、考えたことが無かった。

 何故って――


「おお、生まれたか! 性別は……女か。ならばアイーシャと名づけよう。アイーシャ・ロウ・モノグラム。モノグラム家として恥じないように育つのじゃぞ」


 ――それが、自分自身に起こる未来だなんて、想像もしていなかったのだから。



 前世を一言で表すならば、最悪の人生だった。


 私は父の顔を知らない。

 というより、母でさえ父が誰なのかを知らない。


 母は美しい女だった。美しいだけが取り柄だった。

 そんな母が容姿を売って所得を得るようになったのは自然の流れで、そうして生まれたのが私だった。


 ――穢れた血。

 私のような境遇の人間を、そう呼ぶらしい。

 周りを見れば、ネズミを食らい、泥水をすすって生きながらえる人もいる。

 それが一般的な穢れた血という人種らしい。

 でも、母は私にひもじい思いをさせなかった。


 母だけが、辛い世界で唯一の希望だった。


 でも、母は私が12の頃に死んだ。

 流行りの病だった。

 日に日にやつれていく母が、最期に口にした言葉が、今も耳を離れない。


『……こんな私が母親で、ごめんね』


 次の日、母は首を掻っ切って死んでいた。

 手にはガラスの破片が握られていた。

 目尻には涙の痕があって、だけど口元は憑き物が落ちたように穏やかだった。


 葬儀は私一人の手で行われた。

 同じ穢れた血の子供が、陰で私をあざ笑っていた。

 父なる人物は、最後の最後まで現れなかった。


 欄干から身を乗り出し、河川をのぞきこむ。

 揺れる水面に、母譲りの整った顔が映りこむ。

 黒い髪、サファイアブルーの瞳、それから――


「お嬢様。お顔に気になる点でもございますか?」


 横から声を掛けられて、意識が現実に戻される。

 鏡に映った私の髪色は白銀の色になっていた。


「……いいえ。何も」


 今生の名前はアイーシャ・ロウ・モノグラム。

 モノグラム子爵家の長女として、私は生まれ変わっていた。


「左様でございますか。朝食はレーズンパンとバターロールのどちらになされますか?」

「いりません」

「旦那様より、お嬢様にきちんと食事していただくよう指示されております」

「……どちらでもいいわ」

「恐縮です」


 偶然手にした二度目の人生だけど、別に、生きる目的ができたわけではない。

 というのも、今は聖女の座が空位らしいからだ。

 私を陥れた女は、現時点で聖女ではないらしい。


 ドロドロに溶けた熱い鉛のような復讐心は残っているけれど、それをぶつける相手が見つからない。


 だったら、私はどうして生まれてきたんだろう。


「お嬢様、バターロールをお持ち致しました――お嬢様!? その右手は――っ」

「へ?」


 言われて、右手を見る。

 手の甲に、淡く光る紋様があった。

 なに? この紋様?


「せ、聖印……」

「せいいん?」

「聖女となる素質を持つ者にだけ与えられる印のことです! 至急旦那様にご報告を――」

「ま、待って!」


 聖女の素質?

 何を言っているの。

 私が、あの女と同類?

 そんな、そんなことのために、天は私に二度目の人生を与えたというの?


「私、聖女になんて、なりたくない!」



 二度目の人生で、初めて抱いた願望。

 聖女になりたくない。

 その願いが叶うことはありませんでした。


 ――次代の聖女が誕生した。


 教会が大々的に発表した神託は、王都のみならず、瞬く間に大陸全土に広がりました。


 侍女は黙ってくれていたけれど、今生の父や母が私を調べないはずもなく、その日のうちに私が聖印を授かったことは明るみに出てしまったのです。


 だけど。


 次期聖女として王城に向かった私を待ち受けていたのは、私ですら受け入れられない現実でした。


「……どうして、あなたが、ここに」


 私同様、謁見を待機するご令嬢。

 純白のドレス、亜麻色の髪。


「あの、申し訳ございません。私たち、どこかでお会いしましたか?」


 その女は、一見無垢で無邪気な笑みを浮かべた。

 あの時と比べればずいぶん幼い。

 だけど、見間違うはずもない。

 その奥に潜む悪意を見逃すはずがない。


「……失礼いたしました。アイーシャ・ロウ・モノグラムと申します」

「カトレア・リィン・フォトニクスですわ。アイーシャさん、少しお耳をお貸しいただいても?」


 私は小さくうなずいた。

 カトレアは満足げな笑みを浮かべると、私の耳元に口を寄せた。

 それから、他の誰にも聞こえないくらい小さな声で囁いた。


『あんたが本物の聖女なんだ。ふふっ、でも残念。その座は、私がもらうから』


 ……涙が、溢れそうだった。

 肩が震える。のどが絞まって、しゃくりが上がる。


「アイーシャ様!? どうなされたのです!?」

「カトレア様! アイーシャ様にいったい何を!!」

「ち、ちがっ、私は何も! ただ、一緒に頑張ろうねって、そ、そうよね、アイーシャさん!?」


 間違いない。私を陥れたあの女だ。

 でも、この女と同じ時代に生まれたことがつらいんじゃない。私が涙したのは……。


(母は、まだ生きている……!)


 今、はっきりと分かった。

 どうして再び生まれてきたのがこの時代なのか。

 何故聖女の素質を授かったのか。

 私が為すべきは何なのか。


「ありがとう、ございます……っ!!」


 私が天に向けて口にした言葉は、周囲の人たちには屈曲して伝わったようで、私とカトレアの間に確執は無かったものとして扱われた。


 構わない。

 私は、こらえた涙を拭った。


 今度は前回より、うまくやってみせる。


「お二方、国王陛下との謁見準備が整いました。謁見の間へご案内いたしますのでついていらしてください」


 ほどなくして案内人が待合室にやってきて、謁見の間へと導かれた。貴金属で装飾が施された荘厳な扉を開くと赤い絨毯が部屋の中央まで伸びていて、そこに大きな椅子が打ち付けられていた。

 玉座だ。

 そこに腰掛ける初老の男性こそ、この国の王なのだろう。


「よく来てくれた、次代の聖女よ」


 私とカトレアはこうべを垂れた。


「2名とも歓迎する、と言いたいところではあるが、残念ながら、聖女は各代一人のみ。どちらか一方は虚偽申告であるな」


 かつてカトレアは自身を偽物だと言っていた。

 でもそれは、別の世界での話。


「陛下、私こそが真の聖女ですわ!」


 当然、この場では本物であると主張する。


「ほう。貴殿の名は?」

「カトレア・リィン・フォトニクスですわ」

「なるほど。と、彼女は言っておるが、そちらの令嬢はどうかね?」


 陛下と目が合う。

 びりびりと皮膚がしびれるような重圧。

 なるほど、これが一国の頂点に立つ人間の威厳か。

 なんて感想を漠然と抱いた。


「真実は言葉によって隠され、行動によって暴かれる。この理念のもと正しい行いをするのみです」


 どちらも本物だと主張するのだから、口論したところで平行線なのは明白。そんな無駄なことに時間を割く暇はない。


「かっかっか! 幼子とは思えぬ物言いよ! して、貴殿の名は?」

「アイーシャ・ロウ・モノグラムと申します」

「アイーシャ嬢か。そなたの言う通り。聖女であると証明したければ言葉ではなく成果で示すべきだ」


 陛下がふっと笑った瞬間、体にかかっていた威圧がかき消えた。呼吸をすると、深いところまで空気が行き渡るのがわかる。


 ひとまず、陛下のお眼鏡にはかなったらしい。

 カトレアは隣でニコニコしているけれど、内心穏やかではないだろう。


「そこで、二方に問おう。ライナグル公爵、議題を」

「はっ。まず、こちらの資料をご覧ください」


 ライナグル公爵。

 この国の宰相であり、国家予算の財布を握る権力者でもある老齢の男性だ。

 白ひげを蓄えた彼は、私とカトレアにそれぞれ1冊のファイルを手渡し、中を見るように勧めた。


 うん。

 何が書いてあるかさっぱりだ。


「資料の通り、国の予算はここ数年減少傾向にある。議題はいかにしてこの現状を打破するか。これについて二方の意見を聞きたい」


 意見と言われても、ねえ。

 一応、前世と合われば25年生きているとはいえ、前世の18年は学問とは一切縁が無かった。

 今生になってからも漫然と生きていたせいで、まともな学は修めていない。


「もちろん、ここで素晴らしい意見を出したからと言って聖女と断定するわけではない。意見を出せなかったからと言って偽物と断定するわけでもない。まあ、一つの試金石のようなものだ」

「よろしいでしょうか」

「カトレア嬢。何か意見があるのかね?」

「はい。私が提案するのは、奢侈(しゃし)税の導入です」

「ほう、奢侈(しゃし)税とな?」


 しかし、カトレアは私と違ったみたいだ。

 そもそも彼女は私より、多分5つほど年が上だ。

 知恵比べならともかく、知識量では敵わない……。


(奢侈税?)


 どこか、聞き覚えがあるような。

 どこだっけ、どこで聞いたんだっけ。


「はい。宝飾品やボートの購入、馬車での移動など、贅沢に対して掛かる税のことです」

「ほう。税金を上げるということか。しかしそれならば人頭税を引き上げても良いのではないか?」

「いえ。人頭税は収入が低い人ほど負担が大きいです。それに対し奢侈税のターゲットは上流階級。つまり、金銭的に余裕がある者から税を取り、余裕のない人はこれまで通りの税金を納める点が異なります」


 ……そうだ、思い出した。


 あれは前世の私が4歳の時のこと。

 母の客の一人だった宝石商が愚痴っていた。

 奢侈税なんてものができたせいで商売あがったりだと。

 そしてその余波は徐々に広がって――


「なるほど。興味深い意見だ。アイーシャ令嬢は何かあるかな?」

「……っ」


 ダメだ。

 この政策は、実施させてはいけない。


「お言葉ですが、それは理想論に過ぎないかと」

「……ほう? 何故そう思う」

「それは……」


 だけど、いいのだろうか。

 私は経済学について知識があるわけではない。

 今後同じように意見を求められたとき、落差に失望されるのではないか。


 ……ううん。考えるまでもなかったや。


「需要と供給の弾力性の違いです」

「需要と供給の、弾力性?」


 首肯して、かつて聞いた話を思い出しながら話す。


「例えば上流階級の人は、宝石の購入量を意識的に抑えられます。これは消費者が需要を任意に変更できることを意味します」

「……そうか! しかし生産者はそう簡単に生産量を抑えることはできない! 土地代や人件費は今の収入を前提にしているから、収入を落とすわけにはいかないからだ!!」

「この需要と供給の差を埋めるために起きた物価の高騰はやがて市場全体に波及し、結果として経済そのものが不況に陥ります」


 紙面上で学んだことは無いけれど、その世界を私は実際に体験してきた。だからこそ語れる実体験がある。


「しかし予算が減ってきているのもまた事実。アイーシャ嬢はこれをどうする?」


 かつて導入された奢侈税は、中流階級以下に大きな負担を押し付けた。そして、奢侈税は撤廃されて、そのあとの税制は確か……


「……所得税」

「所得税? 聞いたことが無いな」


 でしょうね。

 だってこれ、未来であなたの息子さんが考案した物ですから。


「人頭税が一人一人に同じ額の徴収を強いるのに対し、所得税は一人一人の収入に応じて支払いを求めるのです」

「なるほど。頭数ではなく、所得の面で平等な税金か。だが、その問題点は分かっているだろう?」

「実施の難しさ、でしたら問題ないかと」

「何?」


 かつての世界で所得税に切り替わり始めた時も、同じことが懸念されていた。だけど実際には、驚くほどスムーズに切り替わった。


「新しいことの導入で必要なのは2点。大義と実益の両方が備わっていることです。大義とは収入を把握することで計画的な支出ができること。実益とは税の負担が減ることです」

「待て、それでは税収が――」

「あくまで下流階級に限ってのことです。ご存じでしょうが、国全体の財の8割は2割の人間が支配し、残りの8割は2割の財を奪い合う形です。要するに、2割の財を代償に、約8割の国民の同意が得られます」


 たしか、2対8の法則と言っていたかな。

 これも母の顧客だった人に教えてもらった話だ。


「なるほど。だがそれだと、下流階級の者の負担を上流のものが肩代わりするだけで、総合的な税収は変わらないのではないか?」

「所得にかかる税を曲線的に引き上げます。先にも述べた通り8割の財は2割の人間が占めているので、総合で見れば税収を増えるように設定すればよいのです」

「面白い、実現できれば、な」

「最初は一人一人に所得税と人頭税、好きな方を納めるようにするのです。すると賢いものから順に、所得が少ない場合は所得税で納めた方が賢いと気づくでしょう。下流階級では情報がすぐに共有され、数年でほぼ全員が所得税に切り替えます。そのあとで人頭税を釣り上げれば移行は速やかに済むかと」


 というより、前世では実際にそうなった。

 私としてはただ史実を語っただけ。

 でもこの世界においては画期的なアイデアと言っても過言ではない。


「はっはっは! これは愉快じゃ! のう、ライナグル公爵」

「陛下、緊急の会議が入りましたゆえ」

「よい。活躍を期待しておるぞ」

「はっ。アイーシャ嬢、この度の助言、心より感謝申し上げる」

「へ? は、はい」


 感謝、されちゃった。

 本当は、あなたの息子の手柄だったのに。

 なんだか少し、複雑な気分。


 でも、少しでも母の生活が楽になる可能性があるのなら、私は卑怯な手段だって使う。

 だって私は、どうせ穢れた血なんだから。


「アイーシャさん、すごいね!」


 カトレアが抱き着いてきた。

 彼女が口にする言葉は、何となく予想できる。


『調子に乗るんじゃないわよ? 痛い目見たくなかったらね』


 耳元で囁いた後、顔を離したカトレアの顔には人畜無害そうな笑顔が貼り付けられていた。



 明日からは聖女の教育が始まる。

 講義は王城内部で行われ、以降私は王城で生活することになる。

 与えられた一室は、モノグラム家とは比べ物にならないくらい豪華な部屋だった。

 豪華すぎて落ち着かない。

 かといって家具を取り除くと広すぎる。

 

「アイーシャ様、よろしいでしょうか?」

「はい? なんでしょうか?」


 どうしたものかと思案していると、扉越しに声を掛けられた。なるほど。使用人という立場があったか。

 彼らの宿舎にどうにか私も混ざれないかな。


「ライナグル公爵家ご子息であるボルスト様より、ぜひ面会したいと言伝を預かっております。どうなさいますか?」

「へ?」


 少しだけ考えて、すぐに意味を理解した。


(ああ、所得税がもともと彼のアイデアだから)


 もしかすると着想自体はすでにあって、盗用したと疑っているのかもしれない。

 いや疑うどころか実際盗用したけども。

 だけどそれを証明する根拠はこの世界のどこにもない。

 だったら、私は堂々としていればいい。


「ぜひ、ボルスト様とお話しさせていただきたいです」

「承知いたしました。では、会議室へご案内いたしますゆえついていらしてくださいませ」


 先を行く使用人さんの後をついていくと、少しして広間に出た。その広間には円卓が設置されていて、向かいには一人の青年が座っている。

 先ほどであったライナグル公爵を若くしたと言えばいいのだろうか。

 一目見て、彼が噂の子息だとわかった。


「はじめまして、ボルスト・ゼラ・ライナグルと申します。お名前をお伺いしても?」

「お初にお目にかかります。アイーシャ・ロウ・モノグラムと申します」


 入った瞬間、ボルストは立ち上がり貴族流のあいさつで先制パンチを打ち込んできた。少しばかり面食らいながらも貴族流のあいさつで返す。

 言葉を発するタイミングを失った使用人さんは一礼して扉の近くで待機することになった。なんかごめん。


「僕の想像通り聡明そうな人だ! ねえ、所得税って君が考案したんでしょ? どこから着想を得たの? いつから考えていたの? 他にどんな案があるの!?」


 ……おー。

 とりあえず、私の想像とはかけ離れてた。

 いやまあその日のうちに会って話がしたいって言いに来る辺り行動力があるタイプだとは思ったけど、ここまで口数が多いとは思わなかった。


 さて、どう返そうか。


 私が考案した。否。

 どこから着想を得たの。未来のあなたから。

 いつから考えていたの。前世。

 他にどんな案があるの。無いよ。


 うん、答えられるものが一つもないや。


「答える義理はございませんね」


 前世で、母の客だった名うてのギャンブラーが言っていた。相手に手札を知られるな。底知れない相手だと錯覚させろ。それが交渉の前提条件だ、と。


「それは、僕たちが赤の他人だから?」

「そうですね」

「だったら、縁組すれば話してくれるわけだ」

「そうですね……え?」


 今なんて言った?

 エングミ、えんぐみ、……縁組?


「僕と婚約してほしい。アイーシャ・ロウ・モノグラム」


 ……何言ってるのこの人。

 天才は奇人が多いっていうあれかな。


「どうかな? 僕は公爵家の長男だし、顔も悪くないと思う。悪くない話だと思うんだけど――」

「お断りいたします」

「……どうして?」


 どうして?

 どうしてって、そんなの、決まってるじゃない。


「私が、貴族を嫌いだからです」


 前世の私がどれだけ苦しくても、誰も助けになんて来てくれなかった。助けを呼ぶ声に応えてくれなかった。そんな相手を、誰がどういう理屈で好きになれよう。


「待ってよ、君の出した意見は模範的な貴族の意見だった。君の言動は矛盾していないかい?」

「一つ、勘違いしています」


 私が自分勝手に起こした行動で、助かる命があるのかもしれない。

 でも、その大部分は私にとってどうでもいい。


「誰かの力になりたいという気持ちは、身分に関係なく持ちうる感情なんですよ」


 あなたにはわからないかもしれませんが。



 その後は、算術に語学、魔術に経済史に社交マナーなど、聖女に求められる教養を詰め込まれる生活が始まった。


 前回のように、国政に関して問答を受けることもあった。初回はたまたまうまくはまっただけで、次第にメッキははがれてボルストの関心も薄れるだろうと思ったんだけど……


「はい! 紙幣を増やして国民全体に配布してはどうでしょう!?」

「その案はダメです。流通する金銭自体が増えればお金の価値が下がり、物価の上昇を招くだけです」


「成人男性に兵役をつけて軍事力を補強するのはどうでしょう!?」

「市民から働き手を奪ってしまえば農作物の収穫量が激減してしまいます。結果として経済は圧迫され、予算削減のための軍縮に繋がってしまいます」


「富を一度すべて国で管理し、一律で再配布するのはどうでしょう!?」

「ダメです。真面目に働いてもサボっても同じ給与なら、人は楽な方を選びます」


 カトレアが提案する改革案のいくつかは身に覚えのあるものだった。実現されなかったものでも、「そういう動きがあった」とか、「どうして実現されなかったか」という話は母の顧客から聞いていたので、彼女の改革案の問題点を的確に押さえている。

 母の暮らしが悪くなると知って放っておくこともできず、私としては指摘せざるを得ない。

 その度、彼の関心が強くなる。


「アイーシャ! この後少し時間とれないかな?」

「この後は魔術の授業が入っておりますゆえ」

「だったら今日の夜はどう? 例年より少し温度の低い夏になりそうだからその影響について話を聞きたいんだ」

「……少しくらいであれば」

「本当!? ありがとう!」


 最近になって気づいたんだけど、どうやら母の知り合いには知者が多かったみたいだ。いろいろな話を聞けていたから、意見を求められても柔軟に対応できる場面が多い。


「あんた、どういうつもり?」

「カトレアさん? 何の話でしょう」

「いっつもいっつも私の意見にダメ出ししてきて、そんなに目立ちたいわけ?」


 授業と授業の間の、休憩中。

 カトレアが近くにやってきて、居丈高にどなった。

 目立ちたがってるのはむしろあなただと思うけど。


「最初に忠告したわよね? 痛い目を見たくなかったらおとなしくしていなさいって」

「ええ。でも私、同意した覚えはございません」

「生意気な!」


 カトレアが掴みかかってこようとしました。

 ですが、その手が私に届くことはありません。


「なっ」

「聖女になるべく、魔術を習ってもう6年。聖印を持つ私と偽物のあなたでは、それだけの実力差が生まれているのですよ」

「このっ!!」


 私は私の周囲に、常に聖属性の防護幕を張っています。聖印の恩恵を受けたそれはもはや、聖印を持たないカトレアに破れるものではありません。


「私が本物だ! 本物に、なるんだ!!」


 カトレアは牙をむいて猛りました。


「……なれませんよ。あなたでは、絶対に」


 前世でカトレアは聖女の地位についていた。

 だけどその心はひどく穢れていた。

 彼女は聖女にふさわしくない。


(……いや、ふさわしくないのは私も同じか)


 私だって、聖女を目指しているのは母を救いたい一心だ。それ以外の人間がどうなろうと、正直心は痛まない。

 カトレアが今生の家族を人質に取ったところで、私の心は揺れないだろう。


 私もまた、聖女にふさわしくない。


「……違う。聖女になるのは、私なんだ」


 それでも、カトレアは繰り返した。

 うわ言のように、呪うように。

 まるで聖女になれない自分には価値が無いとでも言うように。


 まあ、あと2年。

 その年、国に疫病が蔓延する。

 その時が来れば、どちらが本物かはっきりするだろう。



「けほっ、けほっ」


 鍛錬場で魔法の練習をしていると、騎士団の方で咳をしている音が耳についた。


「なんだ? 風邪か? 騎士のくせにだらしない」

「め、面目ないです」

「あー、悪化する前に今日は休め」

「すんません、隊長」


 まあ、そういうこともあるか、なんて。

 この日は気にも留めなかった。



「けほっ、けほっ」


 その次の日もまた、鍛錬場で咳をしている騎士団の声が耳に入ってきた。


「なんだまだ治してねえのかぁ……っておいおい。今度はお前らそろいもそろってかよ」

「申し訳ございません。衛生面では気を付けていたのですが……」

「あーわかったわかった。他の奴らにうつす前に失せろ」

「すんません、隊長」


 なんだか、嫌な胸騒ぎがする。

 この状況に、既視感を覚える。


 でも、まさか。

 前世と比べて、早すぎる。



「……おいおい、まじかよ」


 その翌日は、騎士団のほとんどがノックダウンしていた。死屍累々の兵士を前に、騎士団長が唖然としている。


「す、すみません。容体を確認させてください!」

「あんた……聖女候補の」

「アイーシャです。失礼いたします」


 断りを入れ、患者の診察に取り掛かる。

 開いた瞳孔、かなり早い脈拍、高熱。

 そして何より、この感染力。

 まさか、まさか。


「ルート・セプテム……!」

「な、ルート・セプテムだと!? ルート・セクスが60年前に起こったばかりじゃないか!」


 ルートとは、およそ100年周期で流行する、この土地特有の病気である。その6回目は6(セクス)と呼ばれ、7回目の今回は7(セプテム)と呼ばれる。


 騎士団長が言った通り、前回のルート感染が起こったのがおよそ60年前。ルートの周期としてはあまりにも短い。


 そして、それが原因で、前世では対応が遅れた。

 本当にルートなのかどうかを議論している間に、国中に感染が広まってしまったのだ。


「っ、今すぐ患者の隔離を!」


 まずい、まずいまずい。


 ルートの流行まで、あと2年はあるものだと思っていた。

 私はこの病を治癒するだけの癒術をまだ使えない。


 どうする、どうすればいい。


 ……怠慢だ。

 私の怠慢だ。


 どうして前世と同じタイミングで発生するなんて楽観視していた。

 政策をはじめとして、この世界は前世で私が体験したのと違う過去を辿っている。

 前回起きたことが起こるとは限らないし、同じタイミングで起こるなんて保証はなおさらない!





「陛下! ルート・セプテムが発生した可能性がございます!!」


 私にできる、もっとも大事なことは情報の共有だ。

 私がただの穢れた血なら、声を国の上層部に届けることはできなかった。

 だけど今生では聖女としての地位がある。


「アイーシャ嬢? 何を言い出す。ルート・セクスが60年前。セプテムが来るにはまだ早い」

「しかし! 現に騎士団ではルートと同じ症状が起きています!!」

「ルートと似た症状の病は存在する。今回もおそらくそれじゃろうて」

「ち、違います! これは間違いなく――」

「……アイーシャ嬢よ。お主は聡明だ。現に、お主の言葉で国は何度も救われてきた」

「で、でしたら私の言葉に耳を傾け――」

「じゃが、アイーシャ嬢はルートの恐ろしさを見たことが無いじゃろう」

「……っ!!」


 ……そうか。

 そうなるのか。


(違う、私は体験している。ルートの恐ろしさを、前世で知っている)


 でもそれは、あくまで私の主観での話だ。

 客観的に見れば私はたかが13の娘。

 60年前に起きたルートの被害を知る由は無い。


 どうする。

 どうすればいい。

 どうすればこの話を信じてもらえる。


「陛下! ご報告です!!」


 その時だった。

 銃声のような音とともに謁見の間の扉が開かれて、王家お抱えの飛脚が息を切らしてやってきた。

 彼が息を切らしているところを、初めて見たかもしれない。


「何事じゃ!」


 陛下もまた、彼が肩で息をする様子を見るのは初めてだったようで、声を荒げて詰問した。

 飛脚の彼は手で汗を拭った後、息を一つ吸い、それから口を開いた。


「王都、およびキンペ村で、正体不明の疫病が流行り始めています!」

「なん……じゃと……?」

「特徴は開いた瞳孔、早い脈拍、高い体温。そして……強い感染力です」

「……まさか。ありえん。あれが流行するには早すぎる」


 ダメだ。

 陛下はルート感染の事実を受け入れられない。

 国に任せていたら、手遅れになる。


「飛脚さん」

「あなたは……たしか聖女候補の」

「アイーシャと申します。飛脚さん、人を乗せて走ることはできますか?」

「できねえでもねえが、アイーシャ様、あんた何をする気でい?」


 何って、決まってる。


「私を、キンペ村に連れて行ってください」


 取り戻すんだ。

 あの日失った、希望を。


「待つんじゃ! アイーシャ嬢! お主が行って何になる! もし本当にルートなら、お主にできることは何もない! 歴代聖女ですらどうすることもできなかったのじゃぞ!!」

「それが、どうしたんです?」

「わからぬわけではなかろう!! 聖女がいなければ国は立ち行かなくなる! 聖印を持つお主を失うわけには――」

「これはあくまで個人の意見ですが」


 陛下の言葉を遮った。

 私のささやかな反抗に陛下が瞠目する。


「わが身可愛さに国民を蔑ろにする国なんて、滅んでしまえばいい」


 勘違いしないでほしいが、私はこの国が嫌いだ。

 それでも国政に口を出していたのは、きっと生きているはずの母のためだ。

 その母を見捨てようとするのなら、私はこの国を見捨てる。


「では飛脚さん。お願いします」

「ははっ、あんた、最高だな。よし! 竜より早いとうたわれた俺の足、とくと目に焼き付けるがいい!!」



 ……今まで、母に会いに行ったことは無かった。


 城を抜け出せなかったから、というのは言い訳だ。

 その気になれば、きっと抜け出すこともできた。

 でも、そうはしなかった。


 もしここが過去ではなくパラレルワールドだったら。

 もし私が別人に生まれ変わったのが、母がこの世界に存在しないからだとしたら。

 もし前世なんてものが私の空想の産物に過ぎず、母なんて最初から存在しなかったなら。


 そんなことを考えたら、怖くて、怖くて。

 とても、自分の目で確かめることなんてできなかった。


 でも、もう逃げない。


「着いたぜ嬢ちゃん。キンペ村だ」

「ありがとうございます、飛脚さん」

「いいってことよ。ま、村に入るのはごめんだがな。あんたもルートには重々気を付けるんだな」

「はい。重ね重ねありがとうございます」


 村の入り口で、飛脚さんと別れた。

 それから、通い慣れたはずの知らない町に、足を運び入れる。


 あぜ道を行く、自分の足音がやけに響く。

 もともと賑わっている村ではなかったけど、それにしても静かすぎる。

 ちょうど、母が亡くなった年もこんな感じだった。


 王城より、よっぽど疫病が蔓延している。


(お母さん)


 呼吸が浅くなる。

 足が速くなる。


(お母さん、どうか、無事でいて)


 私は、走った。

 村に流れる川沿いに、かつて過ごした橋の下へ。


 かつての家が、今もなおそこに存在していると、信じて。


「はぁ……、はぁ……」


 走って、走って。

 私はようやく、たどり着いた。


「あった……。私たちが暮らした家」


 母は美しかった。

 美しかった母を男は好いた。

 男の中には大工がいて、小さいながら母に家を用意してくれたという。


 変わらない。

 記憶のままの家が、そこに立っている。


 良かった。

 私がやってきたことは、無駄なんかじゃなか――


「……こんな私が母親で、ごめんね」


 ――え?


 建付けの悪い家からこぼれた声に、息が詰まった。


 ……嘘だ。聞き間違いだ。

 そんな、そんなはずない。

 だって、私、頑張ったじゃん。

 今度こそうまくやるんだって、誓ったじゃん。


 ……今になって、陛下の言葉が頭の中で反響する。


『お主が行って何になる』

『お主にできることは何もない』


 振り払え。振り払え。

 そんな言葉に惑わされるな。


『怠慢だ。(おまえ)の怠慢だ』


 頭の中で誰かの声がする。

 誰の声かなんて、わかっている。

 前世の私が私を責めている。


『だったら、私はどうして生まれてきたんだろう』



 ……川の匂いが、強くなってきた。

 月に照らされて花開く月光華(げっこうか)が川面に映えている。

 夜の帳が落ちたんだ。


 母に合わせる顔が、なかった。

 でも、一目だけでいい。

 一目でいいから、もう一度母の顔を見たかった。

 だから、夜が深まるのを待っていた。

 前世の私が寝てしまうのを待っていた。


 記憶通りなら、とっくに寝入っているはずだ。

 動かないと。動かないと、母が自分の喉をガラス片で引き裂いてしまう前に。


 重い脚を引いて、勝手知ったる母の家に忍び込む。

 埃っぽい家の匂いが鼻腔をくすぐり、胸の奥がキュッと締まる思いがした。

 懐かしい木目の廊下を、軋む音をたてないように歩く。


 扉を隔てたそこに、母は横たわっていた。


 母は、美しかった。

 死相が浮かんだ寝顔ですら、美しかった。


 ……顔を見れるだけで良かったはずだった。

 それ以上は望まなかった。

 だけどいざ母を前にすると、抱きしめてもらいたくて、声が聴きたくて、でもそれは叶わないことで――


「……大きくなったのね、ルツェ」

「――っ!?」


 その時、母の瞳が開かれた。

 綺麗なサファイアブルーの瞳に、私の顔が映っている。


「……人、違いです」


 ルツェ。

 それは私の前世の名前。

 もう二度と呼んでもらえないと思っていた、私の宝物。

 それを、お母さんに、呼んでもらえた。


「わかるわよ、あなたの、お母さんなんだから」

「……っ」

「ねえ、こっちに来てくれる?」


 震える足で、歩き出す。

 ひざを折って、そばに座る。

 母の手を握る。

 驚くほど冷たい。

 ルートの末期症状だった。


「ルツェの手は、暖かいのね」

「お母さん、私、私……っ」

「泣かないで。あなたは、来てくれた。それがどれだけ、嬉しかったと思う?」


 違う。

 だって私は、あなたに会うのが怖くて、尻込みして、先延ばしにして、その挙句がこの結末で。


「私は、お母さんが、好きでした」

「……知ってるわ」

「嘘です。本当は、今もずっと、大好きです」

「……それも、知ってる」

「これからも、いつまでも」

「……ありがとう」

「だから――」


 私は魔術を編んだ。

 未だ完成していない、机上の空論を並べた未知の魔術を。


「――私のわがままで、あなたは死なせない」


 握った手を離し、代わりにかざす。

 不完全な術式はグリッジノイズを吐き散らし、不安定な明滅を繰り返している。


 この術式が机上論で終わっている理由は明白。

 魔力の伝導効率が理想環境を想定しているから。

 実世界において魔力は原子の抵抗を受けて、伝導効率は距離の2乗に比例して減衰する。


(だったら、魔力が理想的な動きをする空間を作り出せば……!)


 できるのか。本当にできるのか。

 否、できるかどうかじゃない。

 そのために私はここにいる!!


「く……っ」

「ルツェ、いいの。あなたが苦しむ必要はないの。

 あなたは、あなただけの生き方を、探せばいい」

「誰が、好きこのんで辛い目に、あうもんか!!」


 生きてほしい。生きていてほしいんだ。


「あなたに嫌われても、呪われても、構わない!」


 前世で、12歳の時母を失って、無実の罪で裁かれるまでの6年間、私は孤独だった。

 辛かった。

 お母さんに会いたかった。


「一人で生きるより、ずっとまし! それがわかっていて見捨てるなんて、できるもんか!!」


 バチンと何かが弾ける音がした。

 刹那、本能の奥底で私は理解した。

 繋がった。

 今この瞬間、ルートをうち滅ぼす魔術が完成した。


「打ち、砕、けぇぇぇぇぇぇっ!!」


 細い針を通すように、異物だけを魔力の糸が貫く感覚があった。

 やった、やったんだ。

 私は、やり遂げたんだ!


「やったよ、お母さ――」


 手を握る。

 さっきよりも冷たい。

 ……なんで、どうして。


「ごめんね。お母さんは多分、長くないわ」

「嘘、嘘だよ、だって、私」


 私はふと気づいてしまい、肩を震わせた。

 母の瞳には、もう、私は映っていない。


「っ、やだ、いかないで」

「……ねぇ、ルツェ。お母さんの、お願い、聞いてくれない?」

「やだ、やだよ」

「……最初で、最後のわがままなの」


 最後だなんて、言わないで。

 何度だってわがままを言ってくれればいい。

 それなら何度だって叶えてみせる。

 どんな願いも、望みも、きっときっと。

 だから、だから――


「私の手で、私を死なせて」


 そんなこと、言わないで。


「ルツェ。私は、私の生き方を選べなかった。だからせめて、死に方くらい、私に、選ばせて」


 ……思い出したのは、母の遺体。

 涙の痕を残した母は、なぜか笑っていた。


 ……あれは、最後に、自分で道を選べたからなの?

 わからない、わからないよ。


「お願い、最後の、わがままなの」


 母の目尻から、大粒の涙がこぼれる。

 ……ああ、だからあの時、母の目には、涙が。


「……っ」


 母のもう一方の手には、いつの間にやらガラス片が握られていた。その手を鈍重に持ち上げた母は、それを首筋に当てた。


 母は死ぬ。

 体温が、25度を下回ろうとしている。

 25度を下回れば、人は死ぬ。

 英雄だって王だって、分け隔てなく死んでしまう。

 どうあがいても母は死ぬ。


「……ありがとう。ルツェ。会いに来てくれて、うれし、かった。愛し、てる」


 言い切った。

 そんな様子で、満足げに。

 母は、ガラス片で自身の喉を引き裂いた。



 一度行使できるようになれば、魔術の運用は簡単だった。泳ぎ方を覚えた人が、泳ぎ方に悩む必要が無いのと同じようなものだ。


 キンペ村中にルートを打ち滅ぼす魔術を展開した後、私は王都に引き返していた。


『あなたは、あなただけの生き方を、探せばいい』


 母の言葉が繰り返し再生される。


(わからない。わからないよ。私に何ができるの。

 私はいったい、何をすればいいの)


 ずっと、母を助けるために生きてきた。

 でも、それさえできなかった。

 そんな私に、何ができるというんだろう。


 教えてよ、お母さん――


「ちょっと! 話が違うじゃない!!」


 王都まであと少しという森の中。

 聞き覚えのある声がして私は立ち止った。


 カトレア?

 こんな夜中に、森の中で何をして……


「おいおい。俺はあんたの願い通り、ルート・セクスの種を仕入れてカトレア嬢に納品した。そうだろ?」

「それはわかったから! だからルートの治療方法を教えなさいよ!!」


 何を、言ってるの?

 このパンデミックは、カトレアが引き起こしたものなの?


「――あるわけねえだろ、んなもん」

「……ぇ、だって、あなたが言ったんじゃない。

 ルートをばらまけば、聖女になれるって」

「ああ。俺の目論見通り、本物の聖女はキンペ村に向かった。今頃ルートに感染してるだろうさ。よかったなぁ? これで聖女候補はあんた一人だ。くっはは」

「……ちが、私は、そんな方法を願ったんじゃない」


 考えがまとまらない。

 情報の処理が追い付かない。

 真っ白な頭のまま、私の足は、気が付けば前に進められていた。


「……どういう、ことなの?」

「アイーシャ……っ!? どうしてここに!!」

「ねえ、カトレア。あなたなの? あなたが、ルートをばらまいた張本人なの?」

「ち、違うの、私はこの男に騙されただけで――」

「答えてッ!!」


 あなたは、私だけじゃなく、私の母まで殺したの?

 ねえ、黙ってたんじゃわからないじゃん。

 その口は何のためについてるの?

 早く、答えてよ。


「ああ、そうだぜ。そいつが実行犯だ」

「……あなた、飛脚の」

「よう、さっきぶりだな。また会うことになるとは思わなかったぜ?」


 カトレアが密会していた相手。

 それは私をキンペ村に運んでくれた飛脚だった。


 ……そっかぁ。

 全部、あなたたちのせいだったんだ。


「二度とお天道様を拝めなくしてやる」

「……っ、おっと。そいつは勘弁。二度と顔を合わせる機会が無いことを願うよ」

「逃げられると思った?」

「……おいおい、まじかよ」


 聖属性の魔法で鎖を編み上げ、逃げようとする男を雁字搦めに縛り上げる。この魔法で束縛されたものは魔力をうまく編むことができなくなる。

 そのことに男も気づいたのか、額に冷や汗を浮かべている。


 さて、この恨み、どう晴らしてくれようか。


「何事かな?」


 と、そこに、一人の男が割って入ってきた。

 ライナグル家子息のボルストだ。


 一番最初に動いたのはカトレアだった。


「ボルスト様! 私見たんです!! アイーシャさんとそこの男が共謀してルートをばらまくところを!」


 ……どの口が言う。


「へえ。だったら、どうしてその男は縛られているのかな?」

「わ、私の魔術です!」

「だったらアイーシャにも同じ術を使えばいいじゃない。どうしてそうしないの?」

「そ、それは、一度に一人までしか縛れない高度な術でして――」

「よしんば君の言葉が真実だとして、アイーシャが男を助けに入らないのはどうしてだと思う?」

「み、身内切りですわ。味方を売って自分だけ助かろうとしているに違いありません!」


 本当に、よく回る舌だこと。

 今すぐにでも、断ち切ってしまいたいくらいに。


「はあ。あのね、カトレア嬢。どうして僕がここにいるのか考えなかったのかな?」

「へ? ボルスト様、な、何を」


 ボルストはカトレアが身にまとっている亜麻色のクロークのフードを掴むと、びりびりと破いた。

 中から、超小型の魔道具を取り出すために。


「その衣服は聖女のためにと王国が用意したものだけど、カトレア嬢のフードには小型の発信機を縫い付けさせてもらっていたんだよ」

「ち、違うんです、ボルスト様! 私はただ、アイーシャ様の悪事を止めようと思って」

「この発信機って高性能でさ、録音機能もついているんだよね」


 突如放たれた言葉に、カトレアと私の動きが固まる。

 まさか、私の方にも同様の魔道具が縫い付けてあったりする?


 ……よし、大丈夫そうだ。

 私がルツェと呼ばれる少女だということは誰にも知られていないはずだ。

 純粋にカトレアを怪しんでいただけっぽい。


「聖女を(かた)る、あるまじき。君もこれが法に触れるとわかっているだろう? 法に触れたものがどうなるのかも」

「いや、いやだ……」

「カトレア。君に聖女騙りの罪で終身刑を言い渡す」


 ……終身刑、か。


 正直、腑に落ちない部分はある。

 感情は殺してやりたいと思っていて、だけど打算的な理性は長く苦しめるべきだと訴えている。

 ……後者が、順当な判断か。


「ふざけないでよ! どうして私がこんな目にあわなきゃいけないのよ!!」

「因果応報、自業自得、身から出た錆。好きな理由を選ぶがいいさ」

「私はただ政略結婚が嫌だっただけなのに! どうしてこんな目にあわなきゃいけないのよ!!」


 ……政略結婚が嫌だったから?


「カトレア……あなた、それだけの理由で聖女を騙ったの?」

「それだけの理由? あんたにとってはそれだけの理由でも、私にとっては生きるすべてだった!!」

「……」


 それだけの理由、だよ。

 あなたのわがままのせいで、何人が苦しんだと。


「カトレア、昔、ある人が言ってたの。『話し合えば分かり合える』って」

「ハッ! そんなの綺麗ごとよ!!」

「……皮肉なものね」


 いっそ、分かり合えるとでも言ってくれれば良かったのに。


「私も同意見だわ」



 王城のバルコニーから、星を眺めていた。

 編み出した、ルートを打ち滅ぼす魔術を王都全域に打ち出して、燃え尽きてしまった感がある。

 肉体という牢獄から魂が抜けてしまったかのような夢見心地だ。


「アイーシャ。少しいいかい?」


 声を掛けられて振り返ると、そこに男が立っていた。ライナグル公爵家子息、ボルストだ。


「ボルスト様、ご用件はなんでしょうか」

「少し、話がしたくてね」

「私は特にそう思っておりませんが……」

「はは、辛辣だね。だったら、僕の話を聞いてくれないかい?」


 私が返事をするより早く、ボルストは私の横に並び立った。話を聞くのも、部屋に戻るのも億劫だ。

 声の大きい独り言だと、聞き流してしまおうか。


「昔、父から聞いたんだ。『真実は言葉によって隠され、行動によって暴かれる』ってね。本質をついたいい言葉だと思わないかい?」


 ああ、それ私の言葉です。

 偉人の言葉みたいな感じで語るのやめてもらっていいですか? 背中がむずかゆいです。


「だから僕も、言葉ではなく態度で示さないといけないと思ったんだ」


 そう。

 頑張ってください。

 特に応援はしませんけど。


「僕と婚約してほしい。アイーシャ・ロウ・モノグラム」




「……は?」




「聞こえなかった? だったら何度でも言うよ。僕と――」

「いえ、言わなくていいです」


 ただ、突拍子もないなって思っただけ。

 ……そういえば、初めて会った日も唐突に同じようなことを言われたっけ。


「前にもお断りしたはずです」

「うん。理由は貴族が嫌いだから、だよね」

「覚えているじゃないですか。だったら――」

「でも僕は君が好きだ」


 話が、伝わらない……。


 というか、態度で示すのではなかったの?

 結局言葉ではないですか。


 いえ、そちらはあれのことですか。

 カトレア嬢の罪を暴き、私に与する意思を明確にした。なるほど確かに、その行動は信用に値するかもしれませんね。


「だからこう考えた。だったら爵位なんて捨ててしまえばいいじゃないか、と」

「……はい? 何を言って」


 いや、違う?

 これから行動に起こそうとしている?


「アイーシャ。もし僕が廃嫡されれば、君はこの婚約を受け入れてくれるかい?」

「そういう話じゃ、無いでしょう」


 わかっていない。

 彼は私の言葉を理解していない。


「あなたも口にしたではありませんか。『真実は言葉によって隠される』。貴族が嫌いという言葉に隠された真実は、誰とも結ばれるつもりはないということです」

「へえ。だったら、今の言葉の真実を暴いて見せようか?」

「何を言って……」


 次の瞬間、体がボルストの方に引き寄せられた。

 彼の腕に包まれたのだと理解したのは、数秒経ってからだった。


「ほら、体が震えている」

「……何を、言って」

「君は人を遠ざけるように振舞う一方で、その実誰よりも人のぬくもりに飢えている」

「ちが、私は……っ!」

「僕の前では、強がらなくていい」


 トクントクンと、彼の心音が響いてくる。

 やけに脈が早い。

 ……嵌められた。

 態度で示すというのは、これのことか。


「……あなたに、何がわかるんですか」


 彼もまた、緊張しているんだ。

 どうして?

 それは、彼が、思いに正直に動いているから。

 うまく行かなかった場合を不安に思っているから。


「私のことを何も知らないくせに!!」


 私を愛してくれた母は、私をおいて旅立った。

 失うのは怖い。それすら知らないくせに。


「……僕にだって、わかることがある」


 ゆっくりと、彼の腕が離れていく。

 その代わりに、肩をぎゅっと掴まれて、目と目を合わせられた。


「君が、生きる理由を見失って、死にたいと思っていることぐらい、わかってる」

「……なんで、それを」

「ずっと、君を見ていたから」


 誰にも話したことなんて、無かったのに。


「初めて会った時から、君が好きだ。だから、アイーシャ・ロウ・モノグラム」


 彼は膝を折り、私の手を取った。


「僕が君の生きる理由になる。だから君は、僕の生きる理由になってくれ」


 その目は、ひどく真っすぐしていた。


「愛されても、愛を返せないかもしれません」

「こうして話せるだけで僕は幸せだ」

「……私より、長生きしてくれますか?」

「君を一人にしないと誓う」

「だったら――」


 これが、最後の質問です。

 あなたは、どう答えますか。


「――実は前世の記憶がある、穢れた血だとしても。

 あなたは変わらず愛せますか?」


 彼は一瞬、面食らったようでした。

 でも、本当に短い間だけ。


「そういうことか。むしろ、長年の疑問が解消された気分だよ」

「……嫌いにならないのですか?」

「それもひっくるめて、君なんだろ?」

「……うん」

「もっと、君のことを教えてくれる?」


 ……でしたら。


「少し、昔話をしましょうか」


 かつて存在した、一人の少女の物語を。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


もし、本作を気に入っていただけましたら、↓にあるブクマや☆☆☆☆☆から評価・応援していただけると今後のモチベーションに繋がります。

描きたい場面がまだまだあるので、ぜひ応援お願いいたします。


【追記】

好評につき連載化させていただきました!

下方にあるリンクから簡単に読めるので、こちらの応援もどうぞよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
連載版
連載版
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ