邂逅編 5
(となると、ひとまず陛下のほうは適当な難癖付けて時間を稼ぐとして、姫様は後宮の客間にでも保護してさしあげないと……。)
花咲きの国の臆病王子がやっと泣き止んだ頃にもなると、サラは今後のことを考え始めておりました。
後宮は、広いのです。かつては国中の器量良しが集められていた規模ですから、正確な部屋の数なんて誰も知りません。
どこにいるのかわからないとなってしまえば、あの突撃玉砕しか知らない陛下とて一日二日くらいは待つしかないでしょう。
そこはサラの手腕が問われるところですが、ええ、彼女ならどうとでもできます。
できますとも!!
……と思ったのですが。
「すぐに戻りますので、ここで少しお待ちくださいね。……あ、あら?」
信頼できる者だけには先に事情を伝えておくべきか。そう思ったサラが善は急げと立ち上がり、扉を開こうとしたものの、予想外の事態に困惑します。
入った時には簡単に開いた扉が、今ではびくともしないのです。
「……騎士殿、騎士殿! これはなんの真似ですか?」
まさか閉じ込められている?
そんなおかしな話、あってはならないことです。
軍務や政務についてならともかく後宮のこととなれば、陛下とてサラの許しなしにここまで横暴な真似はいたしません。
どういうことかと扉を叩いて抗議してみますが、返ってきたのは予想外にも大の男の慌てふためいた焦り声でした。
「サラ様! 扉がっ!! どこからともなく荊が……っ!」
「おいッ、斧持ってきたぞ!!」
めりめり、みしみし。
サラが触れていた扉からも嫌な軋みが響いてきます。
王宮の扉にあるまじき、聞いたことのない耳障りな音でした。
「サラ様! 扉を壊しますゆえ、姫様とともにお下がりくださいませ!」
「わ、わかりました……。」
離れながらもサラは訝しげに眉を寄せています。
騎士の言う荊とは、なんのことでしょう。
みなまでわからずとも、常軌を逸した何かが起きていることだけは彼女にも理解ができました。
「開けなくていいのに……。」
念のため、ソファに腰掛けたままのフローディオのそば近くまで下がったサラでしたが、異様な空気が漂っているにも関わらず、傍らの王子は冷めかけた紅茶をゆっくりと最後の一滴まで飲み干しています。
さしたる動揺も見せず、代わりに落胆した子供みたいなしょんぼり顔です。
サラが思い出したのは、陛下の話でした。
この見目愛らしい無害そうな王子も、常識の通じないツキモノつきなのです。
「フローディオ様、何をなさったのですか……?」
正しくは『何かなさったのですか?』と問うべきだったかもしれません。しかも、そんな切羽詰まった弱り声ではなく、極力、柔らかに。
「僕は何も。」
フローディオは心当たりが全くないとも言えない態度で、憂うように目を伏せてしまいました。
ドカンドカンと、斧の刃が振り下ろされる音が立て続き、立派な扉にはみるみる亀裂が入っていきます。
そうするとサラの目にも、扉の割れ目の向こう側にうねる何かの影が見えました。騎士の言った通り、荊のように見えます。
荊が勝手に動くなんてこと、普通ならありえない話です。それが現実ににょろにょろ、数年分の成長を早送りさせるに似た動きで扉を伝い、再び亀裂を塞ごうとするかのように密に集まるのです。
実に奇妙。驚愕するに足る異常な現象です。
「サラさん、お茶のおかわりをもらえますか?」
「えッ、は、はい……。」
上ずった声になってしまうサラは、こんな事態に何をおかしなことをと自分でも思いながらも、フローディオの求めを咄嗟に断ることができません。
しかし茶葉を出そうと缶を開いた瞬間、彼女は「キャッ!!」と声を上げ、思わず蓋を落っことしてしまいます。
カランカランカラン。
「うそ……!?」
乾燥した茶葉が入っていたはずでしたのに、中からもさっと溢れてきたのは白い花を付けたチャノキの苗です。茂る葉は青々とした新緑色です。
「あっ、やっちゃった。」
「え!?」
この王子、今なんと言いましたか?
やっちゃった?
つまり、これは。
「フローディオ様がなさったのですね……?」
「ご、ごめんなさい。」
口許を隠しながら悪びれた様子で謝られても、サラには怒るべきなのかどうかさえわかりません。
この王子はツキモノつき。花の聖霊の加護を受けていて、つまり。
普通の人間ではないのです。
サラは歴史家でもなんでもないので、花の子と呼ばれている人間の特性なんてろくに知りませんでした。
でも目の前のチャノキの苗と、扉の亀裂の間でうごめいている荊の様子は、とても無関係には見えません。
「フローディオ様、どうかあの荊をお鎮めください。」
王宮で他国の王子が妙な真似をしたと噂にでもなれば、今後のフローディオの処遇とて怪しくなってしまうでしょう。誰の得にもならないのは明白です。
サラは膝をついて縋るように、または子供でもあやすように懇願しましたが、全ての原因であるはずのこの王子、困った顔をして肩を竦めて首を横に振りながら言いました。
「僕にもどうしようもないんです。」
「えええ……!?」
ぽかんと開いた口で素っ頓狂な声を上げるサラでありましたが、困り事というのは、ひとつ始まれば必ずなにかおまけが付いてくるものです。
「陛下! おやめ下さ、うわあああっ!?」
外で悲鳴が聞こえたのとほとんど同時。
――グルワァァアアアアッ!!
獅子の咆哮にも似た轟音の直後に、ドンッ!!
「きゃあッ!!」
「ヒャううわあっ!?」
臆病を忌憚なく発揮しておかしな叫び声を上げながらも目の前のサラを庇うあたり、一応フローディオも男だったようです。
人ならざる力による破壊音と吹きすさぶ熱波に晒されれば、他国の王子にも何がやって来たかは理解できたのでしょう。サラももちろんわかっています。
世界中どこを探しても、こんな業を使えるのは炎の獅子の加護を受けた大国王、その人のみなのですから。
「サラよ……!!」
二人の予測を裏切らず、扉を撃ち破った炎がくすぶる黒煙の中、炭になって落ちた柱をグサリと踏み抜く足音が一つ。
マントの裾を翻しつつゆらりと現れた姿は、赤獅子陛下その人のものでありました。
「余が少し目を離した間に何たるザマだ……。説明をせよ!!」
あれだけめくらめっぽうに『姫君』への想いを滾らせていた陛下です。誰が余の姫に害を為したかと頓珍漢な勘違いから手を上げられるようなことがあれば、常人のサラなんてひとたまりもありません。
「ひっ……!?」
人智を超えた暴力を初めて眼前にしたフローディオは、引きつった息を漏らしたきりストンと床へ腰を抜かしてしまいます。恐怖のあまり動けなくなってしまったらしく、説明とかそんな余裕は皆無でした。侵略者どころか破壊神とでも呼んだ方がしっくりくる今の陛下に、完全に怯えきっています。
動けないフローディオを押し退けて、声を荒げながら前に出たのはサラでした。
「も、申し訳ありません! ですがこれは……っ!!」
しかし、陛下の思考はサラの不安を軽く凌駕した頓珍漢ぶりで、説明を聞くより前に突飛な自己完結をしておりました。
「まさか我が姫は……――荊姫だったとでも申すのか!?」
くわ、と目を見開いて、すっとこどっこいの超理論展開です。
「はい!?」
「荊が余の道を塞いだのだぞ!! 姫は無事か!?」
どっすどっすと大股で近づいてきた赤獅子王、唖然としているサラをソファに押し退けるや、床にへたり込んでいる真っ青なフローディオを見つけて、魔神の如き開眼で射貫きます。――カッ!!
「無事であったか、我が姫よッ!!」
分厚いマントの重みなんて物ともせずに翻し、両腕を振り上げた赤獅子陛下。
次の瞬間に陛下が取った行動には、ソファに座り込んでいたサラの顔も能面のようになってピシリと凍り付いてしまいました。
膝を突くなり無骨な手で細身の姫を抱き寄せ、前置きも一切なく問答無用。
熱烈に唇を奪ったのですから。
「んむうッ!?!?」
その音たるや、ちゅ! なんてもんじゃありません。
もっと物々しくて長かったです。
(うわ……これは……、もう……、この国、ダメかも……。)
サラさえ目眩がしそうだったのですから、当事者のフローディオはそんなもんじゃききません。
「……ぶくぶくぶくぶくぶく。」
「ッ!? ひ、姫君? 姫君ィィィイイイーーッ!?」
目を剥いたまま気を失って、泡を吹いていたくらいでございました。