邂逅編 16
フローディオの予想を遥かに上回る速さで戻ってきた赤獅子陛下は、今度こそもう少しマシな恰好をしておりました。
実際には去年の建国祭の衣装でしたが、まあ戴冠式のよりはマシだろうとサラはため息を飲み込みます。
「お待ちしておりました。陛下。」
サラに椅子を下げてもらいながら立ち上がり、フローディオは優雅な礼でお迎えしました。
「ハッハッハッハ! 我が妻殿よッ!!」
「っ!!」
顔を伏せたままフローディオの肩が硬直して跳ねるので、慌ててサラが隣でジェスチャーします。
(駄目です。声大きすぎです。音量下げて。たくさん下げて。)
真顔でぶんぶんと首を左右に振りながら、片手で口を示しつつ、片手で地面を示します。
「……ああー……、わざわざ立つでない。余は構わぬので座れ。」
なんとか伝わりました。サラが両腕で大きく丸を描きます。ドレープになっている紫の袖がずり落ちるのを見かねて、他の侍女たちが慌てて二の腕を隠します。
「かしこまりました。」
何も知らず席に着くフローディオは俯きがちで、上目にちらり、見れる限りで陛下の様子を窺います。
金の刺繍とモールで縁取られた仰々しい黒の詰襟ジャケットに、禁色の真っ赤なマントが見えます。派手派手しい。
(初日の陛下は何着てたっけ……。駄目だ。あれもやっぱり緊張で何も思い出せない……。)
たしかその日は貂のマントだったのは覚えているのですが、もしやマントがお好きなのでしょうか。威圧感が増すだけだから、フローディオ的には勘弁してほしいチョイスでもあり。
王子があれこれ考えている間の沈黙中、その背後でサラは続けてジェスチャーで指示を出しておりました。
高笑い、禁止。マントばさー、禁止。笑顔、大事。
ふむふむと神妙に頷いていた陛下でしたが、サラにはジェスチャーで伝えられないもう一点が気になっております。
(妻殿呼びはやめさせたいけど……!)
こればかりはジェスチャーでは無理そうです。
あらかじめ伝えておくべきだったなぁと後悔しながら、仕方がなく、どうぞ、と手のひらで勧めます。
しばしそちらに真剣に注視していたせいで、よしきたと頷き返した直後に赤獅子王ははっと驚きます。
(やっぱり処されるのかなァ……!!)
沈黙に耐えかねて俯ききってしまったフローディオは、不穏な想像ですっかり真っ暗な雰囲気です。
「ちゃ、茶請けのケーキを出せッ!! 何をじっとしておるッ!?」
「っ!」
ご自慢のパティシエ団が拵えた可愛いケーキが一個も出ていないぞとご立派でしたが、陛下、自分が来てから出せと仰ったことはお忘れです。
咄嗟に声が素の煩さで、マント翻し指で指図ですから、フローディオが更に萎縮でカチコチ。サラも首を振りながら大ぶりに頭の上でばつマーク。
可憐な姫君と楽しいお茶会でキャッキャウフフ、という赤獅子王の夢は、叶うまでの道のりがなかなか遠そうです。
しでかしたと気付いた時には、陛下の向かいにあるのはフローディオのつむじでしたから。それも可愛く見えてはしまうものの、求めていたのはこれじゃない。
「……んんッ。病み上がりであろう。身体はもう良いのか。」
「は、はい。大変、失礼いたしました。」
「それならば良い。」
本当なら可愛い茶菓子でうきうきしながら他愛ない会話でころころ笑ってもらうのが理想でしたが……。
こんな陛下も即位以降女っ気なしだった業務人間です。話題の順序は重要性で決まります。
「何故一週間も眠り続けていたか、そなた、自分で自分の身体についてわかっておるのか?」
サラの話によれば、最初に荊とチャノキが生えた時の王子は「僕にもどうしようもない」と言っていたようです。陛下が思うに、やはりフローディオは自分の力の使い方についてほとんど心得がないのでしょう。
どれくらい物事をわかっているのか推し量ろうとする問いでありましたが、対する答えは。
「身体……? 私に何か病気でも?」
本日は頭の中に台本がないせいか、おどおど上目に、出来るだけ視線を上げて、会話を問いで返してきます。
やはりかー、と陛下は細いため息を一つ。
「いや、医者にも見せたが健康だ。良い!」
それだけ喜ばれるのも王子的にはちょっと参りますが。
「しかし理由がわからないというのは異な事である。余が見る限り、どう見てもツキモノのせいであろう。」
「ああ……。」
樹を三本も生やしたせいと言われてみれば、確かにフローディオ自身も少し納得です。やたら疲れた覚えがあります。
「その力、祖国では扱いをどのように教えられていたか知っておきたい。そなたがここに住まおうと、領地住まいを選ぼうと、把握はしておかねば。」
会話の最中に侍女が淹れたばかりの紅茶を運んできました。
カタカタカタカタ、女性の手が震えながら陛下の前にカップを置くので、ああやっぱり怖いんだなぁと、フローディオはこっそり仲間を得たような感慨深さを覚えます。
そんな王子の領地住まいが可能性としてまだ頭にあるのに、どうして陛下は妻殿呼びがやめられないのでしょうか。サラもサラでこっそり頭が痛くなる思いです。
「扱い、でございますか……。」
砂糖とミルクを無視して湯気の立つ紅茶へ一直線に手を伸ばし口許へ運ぶ陛下と、その一挙一動をチラチラ所在なさげに眺める菫青石の瞳。
答えはあるにはあるのですが、目の前の陛下が何をきっかけに怒るかわからないので、フローディオは少し困ります。
悩んだ結果、とりあえず謝っておこうというスタンスを選び、軽く頭を下げて返事を述べることにいたしました。
「……申し訳ありません。実は、国では使わぬよう厳しく言われておりました。」
「な、なぬ?」
実際には怒るというより、びっくり、という反応が返ってきたのですが。
「陛下、姫様、失礼いたします。」
タイミングを探っていたパティシエが、陛下の絶句の隙に大きな銀のトレイを持ってきました。大国王様ご待望の可愛いケーキです。
「わわ……。」
出てきたケーキ一つ一つに釘付けになって首を振りながら目で追いかけるフローディオ。
それをまた視線で追いかける赤獅子陛下。
(パティシエよ……ッ、大義である……!!)
またも凶相が災いして、フローディオの明るい表情を一瞬たりとも見逃すまいとする陛下の眼力に周囲はゴクリ、唾を呑みました。
太らせてから食べられるのは自分たちではなくこの姫君なのかもしれない。そう思い至った侍女たちも怯えておりました。彼女たちの気持ち、サラはわからなくもないだけに苦笑気味です。
肝心のその『姫君』が何を考えていたかといえば、姉上が喜びそうだなぁと、遠き故郷の家族の笑顔を思い浮かべていただけなのですが。
「……どうしてこんなに、ケーキを?」
どう見ても食べきれない量の趣向を凝らしたケーキの数々に、フローディオは上目になって首を傾げます。
別に陛下が見た目に似合わぬ過激な甘党というわけではなさげでしたから。
「フン。大国妃ともなれば当然であろう。」
「……。」
踏ん反り返って紅茶を飲みながらの言葉の足りなさに、やっぱりまたサラは頭を抱えておりました。素直にすべて白状すれば良いものをと。
(……まさか僕……、ケーキで買収されてる?)
食欲が湧く考えではありませんね。
溢れそうなほどのピンクのクリームに飾り切りの苺が整列したタルトへ手を伸ばし、フローディオは何故だかなんだか少しがっかりしてしまうのでありました。