邂逅編 15
「ふわぁ、あぁ……。」
大きなあくびをしながらフローディオが目を覚ますと、世界が一転しておりました。
(あ、アレ?)
どこの森で寝てしまったんだったか、と疑いたくなるくらい、悪趣味だった天蓋の裏側がもっさりしてました。鬱蒼とした緑色。
一瞬目を丸くしたまままばたきも忘れて硬直してしまいましたが、逃げるようにベッドを降りてみると、よく寝た身体は軽く動きました。
ついでに、やけにお腹が空いていると言うべきか、ふわふわします。
「おっとっと。」
急いで足を突っ込んだせいで部屋履きのフェルト靴の先が余っていたらしく躓きかけながら寝室を出てみると、隣の居間の明るさで目がくらみました。
直射日光が眩しすぎて、久々に陽を拝んだような気すらいたします。
「フローディオ様……!」
サラの声と近づいてくる騒がしい足音が聞こえたので、ネグリジェの袖でくらんだ目をこすりこすり、立ち尽くしたままフローディオは尋ねました。
「寝すぎちゃったみたい。陛下はいつ来るの……?」
「そのうちいらっしゃいますよ。」
まずは座れとソファに連れられて、しょぼしょぼする目が慣れるまでに紅茶の香りが漂い始めました。
いい匂いにつられたせいなのか、お腹もぐうぐう空腹を主張しておりましたが、朝食の時間を逃したのであれば我慢するより仕方がありません。
やっと目が開いた頃、差し出されたティーカップにスコーンとジャムが添えられていたのを見て、助かったとばかりに白い手が迷わず伸びます。
(美味しそう!)
ところがそれはお口に入ることは叶いません。
「あれから一週間も眠られていたんですよ。」
「へ?」
ころんころんころん。
取ったばかりのスコーンがテーブルを転がります。
硬直したまま顔を引きつらせているフローディオは、一瞬空腹を忘れておりました。
「寝てた? なにそれ?」
「お疲れだったようですから……、」
「いや、それって、つまり……。」
口籠るフローディオの記憶上の昨夜、確かに赤獅子王は「続きは明日に」と言っていたはずです。
現実にはあれから一週間眠っていたということは、約束の『明日』とは。
六日も前のことではないでしょうか?
(まさか僕、約束をほったらかした?)
ごくり。
唾を飲んだフローディオの顔がみるみる蒼白になっていくのを見て、サラはぎょっとしております。
ガタガタ震えている彼の次の言葉には、もっと呆れました。
「い、いい、遺書を……、かかか書かなきゃ……ッ。」
「えええ。」
「姉上ぇぇぇええっ!!」
フリーズした王子の頭では、赤獅子王→冷酷無慈悲→その約束は重大→ほったらかした→今度こそ処される、との結論がかなりスムーズに叩き出されたようです。
やはり赤獅子王が恐ろしいという気持ちは、なかなか簡単には変えることができない様子。
(陛下が聞いてなくて良かったですわね……。)
一週間も寝ていたにしては元気そうですし、御典医の診察も問題ないだろうとの見解。それならばと、その日のうちに約束のお茶会が再びセッティングされることになりました。
陛下ご自慢のパティシエ団はあれからも毎日可愛いケーキを作らされ続けておりましたし、自分たちの仕事が報われなさすぎることにそろそろ心が折れかけていたので大層喜びました。
余ったケーキを毎日代わる代わる胃袋へ片付けさせられていた王宮の女官や侍女たちには「陛下は太らせてから私どもをお食べになる気だ」とのあらぬ誤解が生じておりましたから、今日からその役得が失われると聞いて嬉しいような悲しいような。
とはいえ、華やかなドレスを纏い後宮から出てきた『姫君』の姿に、大抵の宮仕えたちは納得いたしました。
その『姫君』を一目見れば、大国妃に相応しいことは誰の目にも明白です。……まさか男だとは誰も思いませんでしたし。
赤獅子王が強行に進めようとした真珠の間入りをサラが邪魔していたため、フローディオの存在は一部の人間以外には伏せられておりました。
恋愛という熱病でとち狂っていた陛下の頭が冷えたので、少しずつ会話から始めてみようと、やっと足並みが揃い始めたところであります。
ただし、元々おかしかった部分ですとか、拗らせている部分に関しては、そう簡単に治るはずもありません。
「陛下……、そのお姿はなんですか?」
一度約束をほったらかした負い目があるため迎えを遠慮したフローディオ。その一行が指定されていた東の庭園にて待ち構えていた陛下の恰好を目にしたなり、我先に口を開いたのは同伴役のサラでした。
「笑止ッ!! 妻殿の快気祝いに相応しいめでたい日なりの服装を」
「戴冠式の時のご衣装じゃございませんか……!! 何着てきちゃってるんですか!?」
ブフッ、とフローディオは噴き出してしまいます。怖くて顔が上げられないままでしたので、幸い人に見られず済みました。
「そんな大事なものをわざわざ引っ張り出して来ないでくださいよっ!?」
「フッ、だから宝物庫から出させて準備を」
「それが余計と申しているのですっ! さっさと着替えてきてくださいよ!! どうして誰も止めなかったのかしら!?」
サラは、強いのです。
ぐいぐいと陛下を押して華美な白馬の背に追い立てると、王宮の本殿へ追い帰してしまいました。
馬の蹄の音が遠退くのを耳で確かめてから顔を上げると、フローディオの目にもやたらキラキラした陛下の後ろ姿が見えます。
「フローディオ様、先に頂いてましょう。寒くはございませんか?」
「ねえ、ホントはこの国の君主はサラだったりするんじゃないの? それなら僕もすぐ後宮入りするんだけど。」
フローディオのこの言葉には、複雑そうに黙していたサラの侍女たちも噴き出さずにはおれませんでした。同時に彼女らの心の中では同意の声も上がっていたほどではありますが。
「そんな面倒臭い役、私にはできかねますわ。さあ、お席へどうぞ。」
絶対今の役回りの方が面倒臭いとフローディオは思うのですが、それ以上の言及はやめておくといたしましょう。
勧められるまま席に着いたフローディオは、ばくばく言っている心臓が口から飛び出たりしないようにと、目の前の茶菓子に無理矢理かじりつくのでした。