邂逅編 1
(なんなのだ、この者は……。)
若くして覇権を握り、その名を轟かせた時の人、赤獅子王。
冷酷無慈悲で知られたその人であろうとも、目の前で起きている事態については、戸惑いを隠せずにおりました。
「ご所望により花の王国より参りました。国王が第三子、フローディオ・ラ・ハルモニアでございます。」
たしかに赤獅子王は、花の王国へ要請を出しました。彼の国の安全を保証する対価として、姫君を一人後宮へ寄越すようにと。
親書を送ったのは半年も前のこと。
結果としてやってきたのはこのとおり、花の国唯一の王女である第二子ではなく、第三子でございました。
それはつまり、第二王子のことであります。
(男のはずがこれだけドレスで着飾って堂々と……。辺境はいったいどうなっておる?)
服が似合っているかいないかで言えば圧倒的に前者でしょう。
黙っていれば誰がどう見ても、フローディオと名乗る華奢な王子の姿は女性そのもの。
青みがかった珍しい栗毛は、まるで禁色の山鳩色。神秘的な絹の如き真直ぐな髪の奥では、形の良い薄い耳に、重たげな大粒の宝石がいくつも輝いておりました。
白皙の肌には赤みも青みもなく、純潔の白百合の艶と瑞々しさが宿ります。瞳は払暁を映したような菫青石。朝と夜を統べた双眸に宿る光は、明星の如き凛々しさ。
花の王国が真摯に着飾らせたとわかる惜しみのない絢爛ぶり。それを一身に纏いながらも、綾錦に着られてしまうことなく王子の素材の良さはひときわ眩しく輝いております。
名乗りを聞いた今となっては謁見の間には動揺しかありませんでしたが、彼が現れた瞬間には、ここにあったのは耽溺の嘆息と羨望の視線だけだったくらいです。
「……余はその方の国に姫君を寄越すよう伝えたはずだが。」
「いいえ、陛下。」
玉座にぞんざいに腰掛け眉間に皺を寄せたまま口を開いた赤獅子王へ、王子は堂々と首を横に振って答えます。
あの冷酷無慈悲で有名な赤獅子の大国王にです。
「御国より我が国が受けた要請にはこうございました。『若くて子をなせる、もっとも身分の高い者を』と。」
女性を差し出すようにとは、はなから言われていなかったのですね。
まさか男が身籠れるなんて誰も考えませんでしたでしょうし、迂遠な物言いがこうも突飛な結果をもたらすなど、陛下とて予想だにしておりませんでした。
しかしそれにしても奇妙な話であります。
「つまりそなたは、男でありながら子をなせると?」
「左様にございます。陛下。」
男であると名乗っておきながら、王子は自分が後宮に入るに適していると申し上げているのです。
「偉大なる赤獅子王陛下。聞くところによれば、陛下もまた獅子の力を継がれるそうですが、私もまた同じ身です。」
「つまり?」
「私は花の力を継いでおります。」
この時代、旧い王家の血筋にはツキモノと呼ばれる力がございました。
神代の昔からの言い伝えによれば、神獣や聖霊と交わったことから何かしらの力を得た一族がそれぞれに国を興したとのことですが。
「花の力を継いだ者は豊穣の力と、どんな種も受け入れて子をなす身体を持って産まれます。我が国で『子をなせる者』のなかで『最も高貴』とされるのは、この私めです。」
なので、自分は獅子の大国の求めを満たしている――王子の言い分は、そういうことのようです。
「どんな種でもとは?」
「はい。残念ながらオークでも猿でも。」
しれっとした顔で、紗と宝石に彩られた真っ平らの胸を手のひらで示し、王子は居丈高なくらいにツンと澄まして陛下を見上げました。
「我が国から最たるものを差し出すとなれば、私め以外にはございません。」
理路整然と、滅茶苦茶な説明が終わったようで、謁見の間は再び水を打ったように静まり返ってしまいます。
なにしろ玉座に座すは恐ろしの赤獅子王。
真冬のように凍えきったその場では、異国の王子以外の全員が、彼等が君主の下す沙汰を恐れるようにしてすっかり面を伏せてしまうくらいです。
恐らくは誰もが同じことを考えていたのでしょう。
――やばい。この王子、ここで死ぬんじゃ?
あの冷酷無慈悲な王様が、どんな決断を下すつもりか。
よもやまたも戦火を広げる羽目に……ひいては、多大な恨みを拵える羽目になるのではあるまいか、と。
「クッ。」
しかし、意外なことではありますが。
他国の王子の言葉を聞き届けた陛下が発したのは怒声ではなく、なんと笑い声。
「くくくくっ、くくっ、ふはははは……!!」
なんとなく臣下たちもそれにつられて、きょどきょど顔を見合わせながら引きつった苦笑い。
しかしまだ誰も気は抜けておりません。
ご覧ください、あの凶悪そうな笑い顔を。
朗らかとはどこまでも無縁の笑顔です。
笑っているはずなのに尖った歯がギラギラと輝き、獰猛な獣さながらの鋭い目など本日の夕餉の獲物を見定めたようにしか見えません。
一言で称するなら、邪悪です。
「面白い。そこまで言うならば良いだろう、そなたに真珠の間をくれてやる。」
王子には最初こそ、それが後宮の一室の名であることしかわかりませんでした。ですが控えていた重鎮や近衛兵たちの目を剥く様子から、どうやらとんでもない何かを与えられたらしいとすぐに理解します。
実際にはそれは、後宮の中で最も高貴な姫君に代々与えられてきた、格式高い歴史ある部屋の名です。
「しかしそこではあくまで姫として過ごしてもらう。」
「それは、承知しております。」
後宮はどの国でも男子禁制。
例外が許されるのは、君主とその血に連なる者くらいです。
主張さえ認められ、受け入れられるのであれば、フローディオは大国の秩序を乱すつもりはありません。だから異論もないのです。
ですが凶悪な様相で玉座より凄まれた王子は、二心はないのだと示したくとも、それ以上言葉を口にすることはできませんでした。
「そなたの覚悟、じっくりと余に示してもらわねばなるまい。」
「……っ、」
フローディオの思惑通りにことが進んだとはいえ。
これで王子は正式に赤獅子王の近くに召し上げられるのです。
逃げ場なんてどこにもありません。
「姫をお連れしろ。丁重にな。」
――後世の歴史にその名を残すこととなる偉大な赤獅子王と、その最愛の人となる美姫フローディオ。
これが、二人の出会いの日でありました。