カナリア
ピューイ…ピィ…ピピピ…
ああ、カナリアだな、この声は。
散歩中の僕の元に、耳触りの良い歌声が聞こえてきた。
辺りを見回すと、民家の軒下に、かごに入ったカナリアがいた。
ああ、外の風に当てているのかな。
狭いかごの中で、一生懸命さえずっている。
あの狭いかごの中が、あのカナリアの世界なのだな。
「やあ、カナリア、好きなのかい。」
僕が軒下のカナリアの歌声に聞きほれていたら、ご主人が出てきてしまった。
ちょっと気まずいな、でも逃げるわけにもいくまい。
「ええ、素敵な歌声だったので、つい夢中になってしまって。」
「たまに外の空気に当ててやらんとね、かわいそうかと思ってね。」
ああ、もう部屋にしまうんだ。野良猫に襲われちゃうかもしれないし、ずっと出しとくわけにもいかないだろうからなあ…。
「やさしい飼い主さんでカナリアも幸せですね。」
「こんな狭いところに閉じ込めて何がやさしい飼い主なんだか。…まあ、こいつは脳みそもちょっとしかないし、何もわかっちゃいないだろうがね。」
やさしいんだか蔑んでんだかわかんない人だな。
「ありがとうございました。」
「はいはい。午前中は出してること多いから、また聞きにおいで。」
飼い主のおじさんはカナリアを連れて部屋の中に入ってしまった。
カナリアの美しいさえずりを、確かに聞いたはずなのに、もう記憶が薄れてきてしまっているな。
こんなに大きな脳みそを持っているのに、記憶力の乏しいことだ。
そうだな、カナリアの脳みそでは、確かに、あの空間で鳴くことが精いっぱいなのかも、知れない。
あんな小さな脳みそでは、歌う事に夢中になるだけで精一杯で。
あんな小さな脳みそでは、抜け出すことすら考え付かず。
あんな小さな脳みそでは、抜け出したところで生きてゆくことは難しいだろう。
与えられた空間で歌を歌って。
与えられた空間でエサをもらって。
与えられた空間の中で息絶える。
カナリアの生き方を、憐れと思う自分がいる。
カナリアの生き方を、うらやましいと思う自分もいる。
カナリアの生き方に、自分を少しだけ、重ねてみる。
僕は、かごの中にはいない。
僕を、囲う物は何もない。
僕は、自由だ。
自由?
毎日自由に過ごしている。
毎日自由に考えている。
毎日自由に何かに囚われている。
人というのは、ずいぶん自由だと思うけれど。
その自由の中で、できる事はずいぶん少ないような気もする。
所詮、できる事は限られている。
所詮、叶わない願いがほとんどだ。
所詮、なるようにしかならない。
所詮、できる範囲で満足するしかない。
自由なように見えて、実は人間なんてのはさ。
かごの中の、カナリアみたいなもんなんだ。
所詮、宇宙に飛び出せない、地球上の生命体。
所詮、地球の上でしか活動できない、地球上の生命体。
所詮、地球上に溢れる数多の命の一つに過ぎない。
地球をどう捉える?
こんな大きな地球に存在する自分?
こんな小さな地球に存在する自分?
自由な世界と考えるのか。
でかい檻と考えるのか。
可視範囲28ギガパーセクを超える宇宙。
宇宙の中の、地球という星。
星の中で、小さな諍いがあり、小さな和解があり。
星の中で、命が生まれて、命が終わる。
星の中だけで満足している?
星の中だけで精いっぱい?
星の中ですら、何もできずにいるというのに。
地球人が宇宙の外に進出できない理由を知った気がした。
あんなに感動した、カナリアの鳴き声が、やっぱり、思い出せない。
きれいな歌声だと、感動したはずなのに。
所詮、感動したことすら完璧に記憶できない、不出来な脳みそ。
カナリアの脳みその大きさを笑えない僕。
カナリアを笑えない僕。
僕は自分で、自分のことを、笑ってやった。
「は、ははは…!!」
思いのほか、気持ちがいいものだ。
カナリアも、こんな気持ちで歌っていたのかもしれない。