第二話
私は、気づいていなかった。自分が声を全く出せ無くなっていることに。呆然とした。驚くべきは、2時間前まで同じ屋根の下で暮らしていた人間が殺し合ったことの恐怖よりも、声を失ったことへの恐怖が勝っていることだ。声は私の商売道具だった。私は人に甘えることで自分の欲望を満たして生きてきた。人に自らの意思を伝えられないことは、私にとって死活問題だったのだ。もともと普通の人間よりも手指の発達が遅れていた私は、書くという複雑な動作ができなかったのだ。しかし、人が死んでいるのだ。喋れなくても、文字が書けなくても、この事実を警察に伝えなければ。慣れない手つきでドアを開けて、夜の闇へ駆け出した。
細かい手先の器用さが求められる動作は苦手だったが、走るのは得意だった。同じくらいの年の子ども達の中では、1番か2番に足が速い。しかし、1人で夜の街を走るのは初めてだ。普段は騒がしい街にも、ほとんど人がいない。何より、普段は一緒に歩いてくれた人がもうこの世にいないのだ。その事実を振り払うように、全速力で交番まで走った。
到着。ドアの前で1分ほど立っていると、中の警官がドアを開けてくれた。
「どうしたの」
私の目線まで屈んで問いかけてくれた。もう一度挑戦してみるが声は出ないようだ。仕方なく私は、ぎこちなく警官の服を引っ張り、付いてこいと言うように元いた家の方向へ走り出した。が、警官は意図を汲み取ってくれないのか、こちらを追いかけてこない。全く、意思が伝わらないとはこんなにも不便なのか。警官のところまだ戻り、再び服を引っ張る。さっきよりも強く。しかし、警官はこっちについてくるどころか、こちらを睨みつけ、手で追い払うような動作をした。それでも、諦めるわけにはいかない。私は無言で居座った。
警官がどこかに電話をかけるようだ。
「……○○病院さんですか?…ええ、はい……」
病院。
この2文字を聞いて、私は思わず逃げ出していた。