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9.静寂

「王子―?」

自室でぼんやりと座っていたラルフに声をかけたのはジュリアだった。

相変わらず明かりのない闇の中を、彼女は慣れた様子で彼の側にやって来た。

「何しに来た」

「王子こそ、今宵は所謂初夜でございましょう?」

「皮肉か?」

彼は苦笑して目を伏せる。

ジュリアはクスクス笑いながら彼に触れる。

「ただの意地悪です。ここに来るのは…なんというか…習慣です」

彼女の手の動きは艶めかしかった。


曖昧さが含まれていようとも、今更だった。

自分でも言ったではないか。

自分はシェリスの異母妹を娶った身、シェリスはサントリエ国王の元へ嫁ぐことが決まった身。

すべてが確定した後に気持ちが芽生えようが盛り上がろうがそれが何か変化をもたらすわけではない。

さっきは多かれ少なかれ雰囲気にのまれてしまっただけ。

無性に彼女の唇を、求めてしまっただけだった。


ジュリアは手慣れた様子で彼の上着をはぎとった。

その時にフワリと揺れた彼の銀髪が一瞬だけ空に舞ったのを彼女は目を細めて見た。

そしてそのまま、彼の背中にしなだれかかる。

彼の鼻には、甘い女の香りがツンと広がった。

「ジュリア。お前は矛盾という言葉を知っているか?」

「勿論、存じ上げておりますわ」

自分の身体に伸びて来た彼女の手をとって、彼はそのまま彼女の身体をベッドに押し付け、覆いかぶさった。

「本当なら今夜、俺がこの腕に抱くべきは妻であるはずなんだがな」

「さすがの王子でも8才の少女相手では無理でございましょう?」

「それに、女に好き勝手されるのは好きではないと何度も言ったと思ったが?」

ジュリアは何も言わずに彼に組み敷かれたまま手だけを彼の頬に伸ばした。

そしていつものように口付けをねだったのだが、彼は今夜はそれに応じなかった。

意識したつもりはなかったのだが、いまだ唇に残るシェリスの感触が消えるのを惜しんだせいなのかもしれない。

「側室や妾を持ったなら、お前などお役御免だ」

「まあ酷い」

口付けだけを拒んで、彼はジュリアの中に深く溺れていった。

部屋に戻ったシェリスが一人己の身体を抱きしめて眠っていることなど知らずに―。


翌日、まだ夜が明ける前にジュリアを自室に残したままラルフは妻の眠る夫婦の寝室に戻った。

いまだ夢の中にいる幼い妻の髪をかきあげ、改めて詳らかに顔のつくりを伺った。

母が違うためだろう、今は瞼の奥に隠れているその瞳の色も、枕に散る長い髪の色も姉のシェリスとは全く違っていた。

自分の持っていない色を持つこの妻を、ラルフは感慨深く見つめていた。

眠りに落ちていても分かる、目元も口元も何もかも、妻はシェリスとは似ていない。

幼さ故なのだろうか、とも思う。

彼女がもう少し成長したならば、少しは姉に似てくるのかもしれない。

手に入れることのできない女に似て欲しいなど、願われた当人にとっては怒り以外何もないことなのだろうけれども、姉妹であるならばどうしても願わずにはいられなかった。

姉妹揃って、自分のことを「お兄様」と呼ぶ。

だったら、少しでもどこかしら似て欲しいと願うのは必然。

らしくなかった。

ラルフは、気だるい身体を引きずって妻の眠るベッドに潜りこみ、少女を胸に抱きかかえてしばしの眠りについた。

抱いた女は数知れず、けれども恋と呼べるものは初恋以外経験のない彼にとってこの複雑な心境を言葉で表すのは何にも増して難しいことだった。

その唯一の恋の時に感じた思いさえも薄らいでいる今では…。


「お兄様、お兄様…」

ぺチぺチと頬を叩かれる音を聞いて目を覚ました。

すると胸元で少し苦しそうな表情をしながら小さな手を伸ばして彼の頬を叩いている妻の姿があった。

「ああ…おはよう」

「おはようございます。お兄様、ちょっと苦しいです」

知らず知らずのうちに力を込めていたらしい、イリスはうーっと伸びをする格好をして腕の力を緩めたラルフの懐から抜け出した。

顔を赤らめるでもなく、恥じらうでもなく、少女は一つ大きな欠伸をしてベッドから降りた。

「よく眠れたか?」

「はい。私のお国にいた時よりふかふかのベッドで柔らかくてあったかくて」

無邪気に笑うイリスにラルフは苦笑した。

きっとこの少女に昨晩あったことを話してもきっと一つも理解できないのだろうと思った。

そしてこっそり抱いた願望も。

大きな瞳を動かしながらにこやかに笑う少女は、やはり少女の姉には似ていなかった。


お腹が空いたと訴えたイリスを連れて部屋を出ると、ばったりと出会ったのは―。

「お姉様!」

「イリス、おはよう」

途端イリスはラルフから離れて姉に飛びついた。

そんな妹をシェリスは抱き上げて笑う。

「どう?寂しくなかった?泣いたりしてない?」

「大丈夫よ、だってお兄様が一緒だったもの。起きたらお兄様にぎゅーってされてて、ちょっと苦しかったんだー」

「ぎゅー?」

シェリスは目を丸くしてラルフを見た。

ラルフはぎこちなく目をそらす。

しかしすぐに視線を戻すと、シェリスは複雑そうな表情で彼を見つめていた。

『ぎゅー』なんて、彼女には決してできないこと。

昨晩のことを思い出してふと俯いてしまったのだけど―。

「王子。朝食の準備ができたそうです」

ふと後ろから声がして振り向けばそこにいたのはジュリア。

王に仕える立場を頂いている彼女は正装してその場に立っていた。

ジュリアはシェリスとイリスの姿も認めて軽く会釈をした。

「姫様方のお食事もご用意できております」

目を細めて口元を緩めたジュリア。

食事と聞いて喜んだイリスと違い、シェリスは無意識のうちに眉間に皴を寄せた。

「ああ、行こう」

ラルフはそんなジュリアとは視線を合わせずに二人に声をかけた。

イリスはシェリスに抱かれたまま姉をせかす。

せかされたままに、シェリスは頷いた。

ラルフも二人と共に行こうとしたのだが、不意にジュリアに腕を引かれて立ち止まる。

「本当、可愛らしい奥様ですわね」

「何が言いたい?」

「いいえ。何も」

この会話が、果たしてシェリスの耳に届いたかどうかは分からなかった。

ただ、ジュリアがラルフに向けた視線をシェリスがしっかりと見ていたのを、ラルフは知らない。


食事を終えて満足したらしいイリスは、再び眠りに落ちてしまった。

そんな妻を抱きかかえて部屋に戻ったラルフ。

シェリスは二人の後をついてきて、有無を言わさず部屋に入って来た。

イリスをベッドに寝かせ、ラルフに近寄る。

「お兄様、さっきの方、お兄様の恋人でしょう?」

「何だよいきなり」

「だって、あんなにお兄様にくっついて」

「恋人とか、そんなんじゃない。あいつは父上に仕えている女だ」

「どうせあの人にはイリスにはできないようなことをしているんでしょう?」

シェリスは涙をためてラルフの懐に飛び込む。

「知ってるもの…お兄様がたくさんの女の人とそういうことをしてきたこと」

「嫌いになったか?」

「なれたら苦労しないわ!ただ私は…お兄様とそういうことはできない」

「王の元に嫁ぐ姫が純潔でないなど許されないからな」

「分かってるわ…言われなくたって分かってる。だから私がお兄様に何かを申し上げる権利もないの」

ラルフは彼女を自分から離して涙を拭う。

自分の手にのった涙が美しいと思ってしまったのは、ひとえにそれがシェリスのものであったからにすぎない。

基本的に女の涙は苦手だ。

だが、なんとかして目の前にいる女を慰めたいとは思う。


ラルフはポンポンと彼女の背中を叩いて苦笑いをする。

「もどかしいよ。許されるならこのままお前を押し倒したい」

「それは、お兄様も私を好いて下さっていると思っていいの?妹ではなく女として好いて下さっていると」

「お前の好きに思ってくれて構わないさ」

「何よそれー!」

大声を上げたシェリスの口を、ラルフは自分の口で塞いだ。

「イリス姫が起きてしまうだろう?」

顔を真っ赤にしたシェリスが黙り込んでしまったのはいうまでもない。


これでよいと思っていた。

初恋は初恋、思い出は多少なりとも風化し、脚色されるものであっても決して忘れるものではない。

自分はいずれ多くの女性を侍らせ、子をなし、王となる。

シェリスはサントリエ国王の元へ嫁ぎ、子をなす。

変えられぬ運命、それは仕方のないことと幼い頃に悟ったラルフはあきらめるということに慣れていた。

故にシェリスとのこれは一時の恋愛ごっこ、彼女もそれを分かっているはずだと、だから単純に笑っていられたのだ。


定められたはずの運命の歯車が狂い始めていることに、まだ誰も気付いていなかったがために―。

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