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6.葛藤

翌日、ラルフは久方ぶりに故郷の土を踏んだ。

今後ムークライルの地を踏むことはあっても二度とシェリスに会うことはないだろうと、未練がましく後ろを振り向きたいのを我慢しながら、ようやく大きく息を吸うことができたラルフは、父への挨拶と報告もそこそこに、自室の扉を開けた。


シェリスへの想いは、もはや肉親に対する情なのかそれとも恋情なのか、全く分からない。

これまでこんな想いにとらわれたことは、一度もなかったというのに。

形の見えぬいらだちに、自然に表情が険しくなる。


「あら。久しぶりにお会いしたというのにいきなり睨みつけるなんて」

「…お前も懲りないな。それとも忠義心厚いと言った方がいいか」

「なかなかお帰りになられないから、私、寂しくて仕方ありませんでしたのよ」

「ふざけたことを言うな。これ以上俺に付きまとっていても、父上に報告するようなことは何もでてこないぞ」

わざとらしく大きな音をたてて舌打ちをして、ラルフは上着を脱ぎ捨てた。

カーテンに手をかけ、開けようと思ったが、ふと、ムークライルであてがわれた部屋のことを思い出し、手の力を抜いた。

常に太陽の日が差す明るい場所。

あまりに眩しすぎて、自分には似つかわしくない。

それに部屋だけ明るくしても、あの笑い声は聞こえてこないというのに。

力の抜けた手を、そっと女の手に包まれても、何も感じることはなかった。

「ムークライルに…心を傾ける女でもいらしたの?」

「何を言うか」

「私に分からないはずがないでしょう。一体何年の付き合いだと…」

「黙れ、ジュリア」

女は、口元を緩めて後ろから彼に抱きついた。

「あなたの口から私の名を聞いたのも久しぶり。昔はよく呼んで下さったのに」

女―ジュリア―は静かに彼の身体を自分に向き合わせて、見上げた。

薄暗い部屋でははっきりと伺い知ることはできなかったけれど、指で彼の顔をなぞれば、今彼がどんな表情をしているかなど、想像に難くなかった。

「亡きお前の父君が今のお前の姿を見たら、さぞや悲しまれるだろうな」

「王子は我が父によく懐いておいででしたものね。たくさんいる大臣たちの中でも特に自分に王子が懐いて下さったことを父は喜んでいたものでした」

「その娘が今は王の側近という名を冠しただけの娼婦になり下がっているとは笑い話にもならん」

「王子だけです。私のこの身体は、最初から最後まで、王子しか知りません」

「お前は…嘘が下手だな」

ラルフは自嘲するように笑い、視線をそらした。

彼女がいなければ、所詮自分はこのようにしか笑うことができないのだ。


あの時無理やりに押しつけた自分の唇と触れあった彼女のそれは、とても柔らかかった。

もぎたての新鮮な果実をがむしゃらにむさぼったようなものであったが、それはより強く彼に『奪う』という感覚をもたらした。

強国ナイトフォードの王子であるという立場にこの容姿が手伝って、殊に女に関しては何ら苦労したことがなかった。

始めはこばんでいても、一言耳元で甘い偽りの言葉を囁いてやれば、簡単にこの手に堕ちた。

彼の方から強引に、ということはなかったのだ。

満たされぬこの空虚な闇。

駆り立てられる欲情。

これを心地よいと思ってしまった自分は、やはり何かが欠落しているのかもしれない。


今更だ。


そう思うと、やはり漏れるのは笑いだけであった。

自分を嘲り笑う、それしかできない。





数日後、ラルフは父に呼び出された。

またいつものように早く正室を娶れと縁談を持ち込んできたのだと思った。

確かのその予測は外れてはいなかったのだが―。


「ラルフ。お前の正室となる姫が決まったぞ」

王は、至極ご機嫌であった。

控える大臣たちもすでにそれを知らされているのか口々に祝いの言葉を述べたが、呆気にとられたのはラルフである。

呆然として、視線定まらずの状態で父王を見ていた。

「ハッハッハ。驚くのも無理はなかろう。はっきりと決まるまでお前には伏せていたのだからな」

「父上…話が見えないのですが…」

「フローレンス…お前の叔母上が亡くなったからといってムークライルとの同盟がなくなるわけではないのだが、葬儀でのお前の立ち振る舞いを見た王は今まで以上にお前を気に入られたようでな、ぜひとも娘を貰ってほしいと申し入れてきたのだ」

「ムークライルの…?」

もしやシェリスか。

突如横切った彼女の名前であったが。

「イリス・ムークライル第2王女だ」

シェリスにはすでに相手がいることを、忘れたわけではなかったのに。


「お…お待ち下さい父上。イリス姫は確か年8才のはず。シェリス姫の異母妹で…」

「そうだな」

「俺より8才も年下で…」

「それがどうした?8才など、驚くべき年の差ではない」

父の言っていることは正論であると、勿論分かっていた。

父の正妃であった亡き母は父より15才年下であったし、たくさんいる妾たちの中には、ラルフよりも年下である者たちもいる。

だが―。

「了承致しかねます。それに俺はまだ正室を持つつもりは…」

「お前ももうすぐ17才だぞ。次期ナイトフォードを背負っていく者がいまだ子もなく一人身でどうする。正室が幼いならば側室に先に子を生ませればよいだけのこと。どうしてもソリが合わぬというなら形だけの正室でも構わぬ」

「しかし…」

「これは父ではなく、王としての命である。ムークライルとの絆をより強くするためのものでもあるのだ。2日後、姫が到着次第婚姻の式を執り行う」




「ご正室が、お決まりになられたそうですわね」

「お前は……もういい」

部屋に戻ると、やはり彼を待っていたのは―ジュリアだった。

いつもならば彼に絡んでくる彼女であったが、今は彼の気持ちを読んだようにベッドに腰掛けたまま、微笑している。

その隣に、重々しく腰を下ろしたラルフは、大きなため息をついた。

「お前…俺の兄弟たちを見たことがあるか?」

なかなか彼の方から話題を振られることのなかった彼女は一瞬躊躇したが、首を傾げてしばし考えた。

「ええ。まだお小さくていらっしゃいますけど」

「違う。俺の『兄』や『姉』たちだ」

「いらっしゃいましたの?」

やはりそうか。彼は苦笑した。

ジュリアは彼より2才年上ではあるが、父の大臣について城に出入りするようになったのは、10才を過ぎてからだった。

「記憶が正しければ兄は3人、姉は5人いたと思う。といっても、母は違うがな」

「父からもそのような話、聞いたことありませんわ」

「俺は父上が40才の時に生まれた子だが、母上は当時25歳。一国の王が40才になるまで側室も子も一人も持たずにいたと思うか?正妃に後継の男子が生まれたということで、兄たちは皆、男子のいない小国に養子に出され、姉たちは幼いながらも嫁がされたと聞いている。今はどうしているか知らないが」

「そのようなことが…」

「できるんだよ、ナイトフォードなら」

ラルフが物心ついた時に、すでに兄や姉たちは一人も残っていなかった。

幼いながらに、時折父の側室たちに睨まれることがあったものだが、理由は深く考える必要などなく、簡単だった。

正妃に子ができなければ、生まれた子が男子でなければ、ラルフより先に生まれた側室たちの子は国を出されることはなかったのに。

それが分からない頃はただその視線が恐ろしくて、そのたびに母に泣きついたものだった。

母はいつも同じ言葉でラルフを慰めた。


『お前はこの国の王子。いずれお父上の後を継いで王になるのです。あのような些細なこと、気に留めてはなりませんよ』


子守唄のように繰り返された言葉は、やがてラルフの心に重くのしかかった。

成長するにつれ、母の期待が目に見えて分かるようになった。

父に愛されなかった母。ただ、正妃としての役割を求められただけの母。

15才で父の元に嫁ぎながらもそれから10年、子に恵まれなかった母。

母が果たして父を愛していたのか今となっては分からないが、ラルフの中の母は、やはりいつも同じことばかりを言っていた。

出自は今更変えようがないが、抗うことさえも、できないのか―?


これまでもちこまれた縁談は、どうしても嫌だと言えば父はあきらめてくれた。

しかし今回は『命』だと言って、彼の意思を取り入れようとはしなかった。


ムークライルの姫を正室に。

よりにもよってシェリスの妹を正室に。

2日後、一体自分はどんな面持ちで正室を迎えているのだろう。

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