13.確信
読んでいた本を放り出して向かったのは他でも無い、いまだ城に滞在していたアンのところだった。
ジャックは突然現れたラルフに驚いていたが、アンと話したいと言うと、少々眉間に皺を寄せた。
ご存知のとおり、母とはまともに会話が成立しません、と。
車椅子に座る彼女を見下ろすと、確かにぼんやりしているように見えた。
だが、彼女は一度『取り乱して』いる。
それは自分の父と叔母とよく似ているというフェリスが話しているところを見た時。
先程本で読んだここ数年の歴史とアンが取り乱しながら話したこと、どうしても無関係には思えなかった。
自信のない予感。
だが、確信的な予感。
そのためには、やはりどうしてもアンと話をしなければならない。
外は風が強く吹いている。
風が城の壁を打ちつける音はしっかり聞こえているというのに、ラルフの心と頭は驚く程に静かだった。
予感を予感でないものに変えてしまいたくて。
ジャックに頼み込んでアンと二人きりにしてもらった。
「アン。私が分かるか?」
アンは視点の定まらぬ目でラルフを見ていたが、やがて目を細めて呟いた。
「グラント様…」
「ああ、そうだ。…今のそなたは誰の侍女をしている?」
「フローレンス様です。ですがもうすぐ新しい王妃様が嫁いでこられたらそのお方にお仕えするようにと仰せつかっております」
「……私は気が進まぬ。王妃など」
すると、途端アンの様子が変わった。
車椅子から立ち上がろうとしたのかそのまま前のめりに転んでしまいながらもラルフの服を掴んで必死の形相で彼を見た。
「まだそのようなことを仰るのですか?フローレンス様も悩んでおられます。グラント様がご決心されればそれですむ話なのです。お二人は兄妹なのですよ?!」
「何をそんなに興奮している?私とフローレンスが兄妹であることなど当たり前のことではないか」
「…お二人は、仲がよろしすぎるのです」
「分かった。王妃は迎えることとする」
「それでよいのです」
そこまで言うと、アンは安心したようにラルフから手を離した。
ああ、予感が確信に変わりつつある。
まだ肝心な部分は聞き出せていないが、この時ばかりは想像力豊かな自分を少し恨めしく思った。
違っていればいい、そう思っていたが。
「グラント様、フローレンス様をムークライル国の王子様へ嫁がせるというのは本当でございますか?」
突如アンが叫び声を上げた。
「なっ…アン…」
いや、これは唐突に彼女の時が飛んだのか。
動揺しながらもラルフは考えた。
風が強く吹いている。
突如吹いた強い風が、逆に彼を冷静にさせたのかもしれない。
「アン…ああ、本当だ」
「ああ…なんてこと。本来ならばお喜び申し上げるべきことであるのに…アイヴィ様がまもなくご出産を迎えられるこのタイミングで…なんてこと」
「何か喜べぬ理由でもあるのか?」
「それはグラント様が一番お分かりのはずでしょう。昨夜、フローレンス様は私に秘密を打ち明けてくださいました。そして、どうしてムークライルへ急に嫁ぐことになったのかも。グラント様…相手のお方はご存知なのですか?」
「何を…だ?」
また風が強く吹いた。
その風が、彼の動悸を収めてくれたらいいのにと思ったが、それは高まるばかりで、息が詰まる思いだった。
「とぼけないで下さい。フローレンス様がご懐妊されたことをです」
「なっ…」
まだ嫁いでいないフローレンスが懐妊とは一体どういうことなのか。
そう思いながら、頭の片隅では「やはりそういうことか」という思いがぬぐえない。
ああ、予感は確信に、確信は事実に近づきつつある。
「フローレンスの子の父親は…私か」
「他に誰がおられましょうか。フローレンス様は大変悩んでおられました。実の兄妹で禁忌を犯したことを。けれども喜びを禁じ得ないことを。自分はどうあっても兄上の妻にはなれない。けれど、こうして子を授かることはできるのだ、と」
アンは叫ぶ。
「…フローレンスは…このまま嫁がせる。ムークライルは小さき国。大国の我が国から実妹を嫁がせるというなら断る理由もあるまい」
父が当時このように話したのか分からない。
だが、頭の中が冷静になればなるほど、言葉がすらすらでてくる自分が不思議だった。
「ああ…フローレンス様…」
アンは両手で顔を覆って泣き出した。
そんな彼女を見下ろしながら、いまだ冷静に考えているラルフ。
ようやくすべてがストンと心の中に落ちてきたような気がした。
亡くなる前の叔母が見たことのない剣幕で自分とシェリスの婚姻を反対したこと、父がムークライルをある種特別扱いしていること。
父は、自分の子を孕んだ妹をその子ごとムークライルへ押し付けたのだ。
ムークライル王は知っているのだろうか。
ふと思ったが、先日のあの様子やシェリスの異母妹を平然と嫁がせてきたことを思うに、恐らく知らないのであろう。
どうしても、シェリスとイリスに似た面影を見出すことができなかった。
それも当然、全くの血のつながりがなかったわけだ。
むしろ…。
自分とシェリスが異母兄妹であったのだ。