12.唐突
それから時がたち、風の噂でシェリスがサントリエ国へ嫁いだと聞いた頃、ラルフは父に呼び出された。
呼ばれた場所は王の間であったが、いつもは厳かに控えている家臣たちが一人もいない。
違和感を感じつつも跪き父に敬礼したラルフはすぐさま父の声に顔を上げる。
「顔を上げよ。今は我ら二人以外ここにはおらぬゆえ、そうかしこまらずともよい」
いつもは威厳ある父の声が弱々しく聞こえたのは気のせいか。
ラルフはゆっくりと顔を上げ、父の目を見た。
心なしかそれはほほ笑んでいるように見えたのだが、次に父の口から発せられた言葉に、ラルフは息をのんだ。
「近日、そなたに位を譲りたいと思っている」
「…は?」
間抜けな声を出してしまった。
しかしそれはいたしかたなかったのかもしれない。
今父は、何と言ったか。
「父上…?」
「聞こえなかったのか?」
「いえ…その…」
ハハハ、と笑う父に、ラルフは耳を疑った。
位を、譲る、だと??
「なぜだ?と言いたそうな顔をしておるが、よもやいずれ自分が王位を継ぐはずであると思っていなかったわけではあるまい?元々、そなたが妻を娶ったら譲ろうと決めていたのだ。だから私は早くそなたに妻を娶れと申しておったのだぞ」
「お…お言葉ですが父上。オ…いえ、わたくしはまだ何もできぬ若輩者、そのような者が王位についたとあっては家臣たちも安心してこの国に仕えることができないでしょう」
「だからまだ無理だと申すか。そんなことはない、そなたはそなた自身が思っている以上に勇猛果敢、知識も勉学も極めておる。この父が申すのだ、他の者たちも同じように思っておろう」
「しかし…」
「しかしも何もない。すでに重臣たちにはこの旨申し伝えてある。そうだな…翌月はそなたの誕生日もある月であったな。ではその日にいたそう。それまでに心づもりをしておけ、よいな」
父は言うだけ言うと、ラルフをその場に残して去ってしまった。
一人呆然と、ラルフはしばらく跪いたまま、そこにいた。
突然だった。
父はもうすぐ60才に手が届く年齢ではあるが、決してそれを理由に退位するほど老いてはいない。
国を動かすことを厭うているわけでもない、むしろ国内外から有識者を募り、日々知識を貪欲に求めている。
多少引っかかるところがあるにせよ、このような王を所謂名君と言うのだと思う。
先ほど父が言った言葉を模するならば、実の父のことを息子がそう思うのだから他の者たちだってそう思っているに決まっている。
なのにどうして今、自分に位を譲ると言うのか。
確かにいずれ位を継ぐのだと思ってはいたが、まさかこんなにも早くその時がやってくるなんて―。
だが一度言ったことは曲げぬ父だ。
来月の自分の誕生日、17才になったその瞬間に自分はこのナイトフォード国の王になるのだ。
気が重いというのは嘘ではない。
父は自分を褒めそやしたが、正直自信がないというのが本音だ。
鬱々としながらようやく身体を起こしたラルフが真っ先に向かったのは、書庫だった。
ナイトフォードだけでなく、この世界の色々なことが書かれた膨大な書物が収蔵されている。
ほとんどが以前目を通した書物ばかりだが、改めてもう一度読み直そうと思った。
一年時を経るたび歴史は刻まれる。
その度ごとに新たな書が編纂され、書庫に収められる。
近々王になることから逃れられないのであれば、とりあえず国を治める者としてこの国だけでなく世界の情勢等々把握しておかなければならない。
王として求められることは、たくさんある。
久しぶりに足を踏み入れた書庫の広さに、子どもの頃と同様圧倒された。
高くそびえ立つたくさんの棚に所狭しと詰め込まれた本たち。
子どもの頃、うっかり書庫の奥まで入り込んで夢中になって本を読んでしまい、王子の姿が見えなくなったと城中を大騒ぎさせてしまったことがあった。
昔の彼にとってはここは宝物庫にも等しく、何時間でも時間を過ごせたものだが、成長するに従って多々現実を思い知るようになった頃からめっきり来ることはなくなっていた。
故に彼が読んでいない書物は数年分、おおいに増えていた。
やはり王として最初に把握しておかなければならないのは、今の世界の力関係だろう。
ラルフは一番新しいその関連本を手にした。
ずっしりと手に重くのしかかるその本を開くと、なんだかとても懐かしい感じがした。
この世界には、大小たくさんの国々がひしめきあっている。
ナイトフォードは中心より少しそれたところにあるが分類するならば大国に属するだろう。
過去、こちらから戦争をしかけることはあってもしかけられたことがほとんどないという歴史がそれを物語っている。
ナイトフォードからほどなくの距離にムークライルもある。
大国ともいえず、小国ともいえないこの国は各国との同盟や婚姻関係によって維持してきた国だ。
だからこそ今回、シェリスもムークライルより少々離れた所にあるサントリエへ嫁がされたわけだが、チクリとどこかが痛んだのを敢えて気にしないことにして、ざっと世界を見渡したラルフ。
創世記とはかなり並びも力関係も変わったものだと、子どもの頃読んだ歴史書の内容を思い出して思った。
そうなのだ、ナイトフォードとて、最初から大国であったわけではない。
何百年もかけて、歴代の王が近隣諸国に戦争をしかけ、勝利し、土地と人民を吸収して造り上げてきたのが今のナイトフォードなのだ。
その頃は同盟を申し込まれても受け付けず、むしろ相手が脆弱しているチャンスだととらえ容赦なく攻め込み、滅ぼしていた。
祖父の代も、そして父の代も、それは変わらなかった。
ラルフ自身、初めて父に従って戦場に出たのは13才の時だった。
その頃も今も同盟を結んでいるのはムークライルだけで…。
ふと、ラルフは目を見開いた。
なぜ、ムークライルとだけ、同盟関係を結んでいるのだろう。
これは祖父の代からではない、確か父の代になってからだ。
叔母がムークライルに嫁いだのをきっかけに同盟を結んだのだと聞いたことがある。
それまで王家の姫を他国に嫁がせたことなどなかったと…。
母は他国から嫁いできた王女であった。
しかしそれは友好的に嫁いできたのではなく、むしろ滅ぼした国の王女を略奪してきたと言った方が正しい。
父の側室たちにはこのような経歴を持った者たちがたくさんいる。
ラルフは手に持っていた本を放り投げて過去の本を漁った。
時代は今から約17年前、そう、自分が生まれた頃、父が王位についた頃。
初めてナイトフォードが同盟国を持った頃。
焦るようにページをめくると、そこにはこのように記されていた。
『あまりに貧困にあえぐムークライル国を不憫に思った第37代ナイトフォード国王ブラントはこれまでの方針を変えて慈悲の手を差し伸べることにした。妹姫フローレンスを嫁がせ、物資を援助した。属国としなかったのもひとえに国王ブラントの寛大さによる』
この本にある通りならば、父の慈悲や寛大さは、なぜムークライルにだけ向けられたのか。
次のページをめくると、父が王位についてから行ってきた政策と共に記されているのは他国への侵略の歴史だ。
羅列されている国名の中にはムークライルよりも小国であった国もある。
だが容赦なくそれらは父の手によって滅ぼされている。
なのになぜ、ムークライルだけ?
更にページをめくると、父がムークライル国が他国に攻められるとその度ごとに援軍を派遣し、困窮に陥ればやはりその度ごとに物資を送ってきた旨が記されている。
そういえば先日ラルフが父に従ってムークライルへ行ったのも援軍としてであった。
得た物は敵国にしか存在していなかった鉱物のみ。
それ以外はすべてムークライルにくれてやった。
そう思えば、こちらは得た鉱物の価値以上のものをムークライルに提供しているような気がしないでもないのだが…。
ナイトフォードには何かムークライルにここまでしてやらなければならない理由があるのだろうか。
ムークライルだけ特別扱いしなければならない何かがあるというのだろうか。
にわかに、忘れかけていた先頃抱いた疑問が沸々と沸き起こって来た。
となると同時に想うのはシェリスのこと。
今彼女は、サントリエ国王の元で幸せに過ごしているのだろうか。
自分ではない、他の男の元で。
おかしな動悸が彼の全身を揺さぶり始める。
来月、王となってしまえば彼の一存で軽々しく行動することはできなくなってしまうだろう。
ならばその前に―。
これはオレ個人の問題だけではないと、言い訳するように何度も呟いた。
王として今後この国を治めていくため、ムークライルとの関係をはっきりさせるため、そして…入り乱れる思考を一掃するため必要なことなのだと、彼は読んだ本をそのままに書庫を出て行った。