第9話 兄、ハロニカを陥落せよ!
さて、少年の名はハロニカというらしい。私の異母兄弟の一人で、六歳の男の子。
と、ここまではシアンに少し聞いたら教えてくれた。
だが、そんな表面上のプロフィールなんて興味はない。重要なのは、私は彼に嫌われているらしいという事だ。
初対面のお兄ちゃんに、嫌いだと面と向かって言われるのは少しだけ心に来る。
「どうして……」
「お嬢さま、気にしなくてもよろしいですわよ。ハロニカ様は気ままな方ですから」
「むうう」
シアンの困ったような微笑みに、そして慰めるような優しい声。その困ったような様子にほだされて、彼の事を許してしまいそうになる。しかし、なんとか踏みとどまった。
確かに、シアンの言う通り、子供のいったことなんて気にしても仕方ないのかもしれない。
でも、でもね。
「あの子、どこにいったら会えるの?」
「で、ですが」
「どこ?」
「……ハロニカ様は前庭で剣の稽古をしていることが多いですわ」
「じゃあ、あしたいくから」
許してはいけないことなのだ。いくら子供の言った事といっても、いたいけな女の子に暴言を吐くだなんて許されるはずがない。
こういうのをなあなあに済ませてしまうと、彼はきっといけない人物に育ってしまう。だからここで今、私が兄を更生させるべきだ。
と言うのはもちろん建前で。結局言われたまま終わるのは癪だからなんだけど。
「だめですわ。外は危険がいっぱいですもの」
「でも、おうちのなかのおにわでしょ?」
「それでも、万が一にでも怪我したら大変です」
「しあんたちがいてくれるなら、だいじょうぶ」
「…………もう、仕方ありませんわね」
それに何よりも、やっぱ嫌われたままってのはいやだよね。異母妹は、兄と仲良くしたいのだ。
翌日。私の側には三人のメイドさんがいた。ハロニカお兄様に会いに行くといったらみんながついてきた。過保護だとは思うが、それも大事にされているからだって思えばうれしいよね。
「スカーレット様がお館から出るのが初めてですからね」
と、アリスが言う。少し心配している様子だ。
「そうだっけ?」
「そうです。外は危ないですから。いろいろと用意しないと」
と、カフルも合わせる。
皆がはらはらとした様子で色々言っているけど、外出って言ってもお家の敷地内でしょ? シアンが前庭だって言ってたじゃん。そんなに私って危なげなの?
アリスから、日に焼けたら大変だと言われて帽子を渡された。それは、つばの広い麦藁帽子で、小さな山につけられた黒いリボンがとても可愛らしかった。
確かこういう帽子をベルジェールハットっていうんだっけ?
アリスから受け取ると、さっそく私は頭にのせて、顎の部分をひもで結ぶ。お帽子をもらったことで気分が上がり、私は鏡のある場所まで駆けて行って、自分の姿を確認する。
ちなみに言うならば今日の服装は白い絹のワンピース。肩で膨らんだ半袖のワンピースで、広い襟元にはフリルが飾り付けられている。スカート丈は膝下で、少し短め。
涼し気な格好が、アリスからもらった帽子とよくあっていた。いや、アリスが私の服装に合うように選んでくれているっていうのが正解なんだろうけど。
自分で言うのもあれだが、非常にかわいい。うれしくなって、くるりと一回転してみる。翻る身体にあわせて、スカートがぶわっと広がる
「よくお似合いですわ、スカーレット様」
「えへへ」
気分が弾んで、喜色の混じった声が漏れる。上気する顔を隠すように帽子のつばをぎゅっと抑えた。
えへ。似合ってるって。もう一度鏡を見て自分の姿を確かめる。
……いやいやいやいや、まて。落ち着け。私はこんな自分の格好の可憐さに惚けるような人間だったか? おかしい。
「いくよ」
私は気を取り直して三人に宣言する。
「どこにいるの?」
「こちらですわ」
シアンに先導され私たちは先へ進む。私の小さな歩幅に合わせた速度だから、その移動はとても遅々としたものだ。予想よりも敷地面積が凄く広いので中々目的地に行かない。
「スカーレット様、抱っこしましょうか?」
「だいじょうぶ。じぶんであるけるよ」
私は息を吐いて、顔を上げる。眩しい日光から帽子が守ってくれて、自分が普段住んでいる館の姿が目に入った。
「ふわぁ」
凄い、という言葉しか出てこなかった。うちにいるときから思っていたけど尋常じゃなく大きくて、思わず口をあんぐりとあけて見上げる。
「お嬢さま、あそこですよ」
と、私が自分の住居への感動を覚えていると、シアンが前方に手を広げて指し示した。
私はシアンの手の先に視線を変えた。
――いた。
私の眼前には、昨日の少年と、その正面に立つ初めて見る一人の男性。
昨日の少年、私の異母兄弟、名をハロニカ。
現在、彼は身丈にあわない木剣を持って、素振りしていた。
その表情はなかなか真剣みを帯びていて、声をかけるのは躊躇われる。
どうしようかな。
あんまりずっと待っていると、エリックさんとの授業が始まるし、なにより日差しにやられて体力がもたない。短期決戦で決着をつけようと思っていたばっかりに悩ましい。
「いきますか?」
カフルが耳元で呟く。
「んー」
それはちょっと申し訳ないんだよなぁ。どうしよっか。
と、結局どうする事も出来なくて、じいっとハロニカの剣の稽古を眺めていた。何もわからないけれど、彼の素振りはかなり様になっている気がした。
前に立つ男は、師か何かだろうか。
筋骨隆々な体には、しっかりとした格調の高そうな鎧がまとわれていた。しわの刻み込まれたその顔には大きな傷がはいっていて、怖そうな印象を受ける。
その鍛え上げられた肉体や、戦地を潜り抜けていそうな見た目からは、武官よりの人物であると判断できた。
男は巨大な両刃の剣を地面に突き指し、柄の根元の部分を両手で包み込むように握っていた。
彼の視線は鋭くハロニカへと向いている。
なんだか怖そうな人だなと感じた。このような人物と相対してそれでも平然と剣を振ることができているハロニカは少し尊敬する。彼の初対面の印象からは、少し上方した。
そうやって、二人の事を観察していると、筋肉の男がピクリと動いた。気配でも読んだように顔をこちらに向ける。
あ、目が合った。
「おや、これはこれはスカーレット様ではありませんか!」
目が合ったことにどぎまぎして停止していると、男は快活な大声を投げかける。そのままこちらに歩み寄ってきた。ハロニカも剣の構えをとき、こちらに意識を向ける。
男の怖そうな見た目とは裏腹に、その声は明るくて、私はちょっとだけほっとして緊張を解く。
反して、三人のメイドさんが私を守るようにして前に立ちはだかった。メイドさんたちの面持ちを見るに、男の事を警戒しているようだ。
「どうしたの?」
私は一番近くにいたカフルのスカートの裾をつまんで、ひそひそと尋ねる。
「あれは危険人物。お嬢さまが近づいてはいけない」
カフルひそめられた声による解答は、簡潔にして明瞭だった。その小さな声にしかし男は聞き取ったようで、心外とでも言うような顔になった。
「むむ! メイドよ! 某が危険だと言うのか!」
「にゃっ!」
幼子故の反射で、声を上げて身をすくめる。
声がとても大きくて、非常にびっくりした。心臓の鼓動が激しくなっていることを自覚して、片手でそっと胸を抑える。
「おおっと。スカーレット様、これはこれは申し訳ございません。某、このヴァルムフォード家の擁する騎士団の長を務めておりますドラクス・ビルタニアと申すものです。以後お見知りおきを」
怯えた私を見ると彼は口元を不気味な三日月な形にゆがめた。彼が笑っているつもりなのだと気づくのに、数瞬要した。
「きしだんちょう?」
なんだ。全然あぶないひとじゃないじゃん。むしろ非常に身元がはっきっりしていて安全この上なさそうなお方である。
「そんな悪人面をお嬢さまにむけないでください」
「そうですわ。お嬢さまが怯えてしまいますので、近寄らないでくださいませ」
メイドさんたちが酷いことを言ってる。まあ確かに見た目は怖いけど。
「聞き捨てならんぞメイドども!」
案の定大男、ドラクスさんは激昂する。
「大声上げちゃだめ」
カフルがそれを諫めた。
……もう彼はほっとこう。
私はハロニカの方まで歩み寄る。彼は木剣を下ろし、汗を布で拭うと、不快げな視線を送ってくる。
私はにこやかに話しかけた。
「や、またあったね」
「お前は、なにしにきたんだ!」
「おまえじゃないよ。わたしは、すかーれっと」
「うるさい! お前の名前なんて興味ない!」
ハロニカは怒った声をあげると、顔をぷいと背けた。
「どうしてわたしのこと、きらいなの?」
私は構わず続ける。
「何だっていいだろ」
顔をそむけたままだが、言葉は返してくれる。
「わたし、なにかしたかな?」
「……」
この言葉には応答がない。
「もしわたしが、なにかしたのなら、あやまるから」
「……」
「ごめんね」
「……」
「だからなかよくしてほしいな」
「――――もう! お前が! いるから!」
彼はそう言うと、手に持っていた木剣を地面にたたきつけた。私は彼のほぼ目の前にまで近づいていたので、危うくその木剣に当たりそうになった。
びくっと身体が震える。今の体は酷くビビりのようで、衝動的な怯えが止められない。
「スカーレット様、大丈夫ですか」
アリスが慌てて私を抱き寄せる。そのまま抱きかかえられるように私は後方へ下がる。
「だいじょうぶ……でも」
顔を真っ赤にして睨みつけているハロニカの姿をもう一度捉える。すっかり怒らせてしまったようだ。
「お嬢さまは、ハロニカ様とは関わらない方がいいですわ」
シアンの声色は冷たかった。ハロニカに対していい思いを抱いていないようである。
「いこ、お嬢さま」
カフルも、ハロニカに一瞥だけするとすぐに目線を外す。
彼の家の中での扱いが、何となく理解できた。
けど……
もう一度、彼の事を見つめる。
彼は依然として顔を赤くして怒っているのだが、その表情の中には、かすかに反省の色があるように思えた。私が過剰に驚いてしまったことで、少しだけ罪悪感を感じている、そんな気がする。
私は、彼にそんな駄目な印象を抱けない。だって彼はちゃんと善悪の峻別ができている。怒ってしまった手前謝ったりはできなようだが、そんなの子供なのだから当たり前だ。
なんとかして和解したい。あらためてそう思った。しかし今は手札がない。なぜ嫌われているのかも、何故怒らせてしまったのかもわからない。
ここは一時退却だ。無策で突っ込んだ私が悪い。
今度、次は考えていこう。
本編の更新にあたって、一つ読者の皆様方に深く謝罪申し上げたいことがございます。
このたび、私の勝手な自己判断により、主人公スカーレットの年齢を一歳引き上げることしました。
といいますもの、先日、実際に幼児と触れ合う機会があったのですが、その際に本物の二歳児と私が本編で描く主人公の姿にあまりにも差異を感じられたためです。まだ言葉も完全におぼつかない実際の幼児に触れあってみて、流ちょうに話す主人公に違和感を覚えてしまいした。
もちろん転生とはそういうものであることは理解しております。しかしそれでも周囲との齟齬が大きいように感じてしまい、その違和感を解消するために、この度一切引き上げて主人公スカーレットの年齢を三歳へとしました。
一度投稿した手前、作者の勝手な都合で登場人物の年齢を引き上げることは、読者の皆様に多大の混乱を招く迷惑な行為であると重々承知しております。
投稿途中での設定変更について、深くお詫び申し上げます。
また、それにつきましてなのですが、もう一度拙作を冒頭から読み直していただく必要はございません。
変更された設定は主人公の年齢が一歳上昇して三歳になり、それに合わせて王都へ行く年齢が四歳に引き上げられたという事だけを理解していただければ、それで問題はございません。
この度は大変申し訳ございませんでした。一度行ってまったため、信用はいただけないかもしれませんが、今後このようなことは二度と起こさないようにします。
今後もぜひ御愛読くだされば大変ありがたいです。




