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天使が来りて玉を蹴る  作者: 漫遊 杏里
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暴蝕者

 お姉さまとセレストさんによる僕の取り合いはため息をつきたくなるほどの日常になっていた。二人とも学年が違うにもかかわらず、毎日のようにどちらが僕の隣にいるか、どちらが僕の「支え」になれるかを競っているようだった。僕的にはただ静かに過ごしたいだけなのに、どちらも一歩も引かない。


 そして迎えた、秋の体育祭。ここで二人の間の静かな火花がとうとう見える形になった。学年対抗の種目や応援合戦があるため、両者はそれぞれのチームリーダーとして僕を巻き込むことを宣言した。僕にしてみれば、どちらも本気で僕を「自分のチーム」として引き込みたがっているようで居心地が悪い。


(かといって放っておくともっと揉めそうで……。はぁ……)


 体育祭の当日、会場には快活な声と応援の熱気が満ちていたが、その中でお姉さまとセレストさんの対立は特に目立っていた。お姉さまはやや先輩らしい威圧感を漂わせ、遠巻きに僕を見ては「彼は私のものよ」と目で語りかけるように睨みを効かせる。一方のセレストさんも負けじと、「いや、ボクにとっては彼は恋人だ」とでも言いたげに、爽やかにウィンクを飛ばしてくる。


 競技が始まると、二人はそれぞれのチームを引っ張りつつも、僕がどこにいるのか絶えず気にかけているようだった。僕はとにかく目立たないように、しかし逃げ出さないようにと気を張り詰めていたが、それも長くはもたなかった。


 競技は次々と進み、体育祭は一層の熱気に包まれていた。応援席から響く声、吹き抜ける風、そして誰もが汗を流しながら懸命に競い合っている様子に、僕は自然と周りの空気に引き込まれつつあった。それでも頭の片隅には、すぐ隣にいるヒロインたちの存在がちらついている。


 いよいよ僕のチームが出場するリレーの順番が来た。観客に見られるのが苦手な僕はリレーに参加するのは本意ではなかったけど、ここで断ったらまたお姉さまに叱咤され、セレストさんには「瑞祈くん、それじゃダメだよ」と冗談めかして説得されるに決まっている。


 スタートラインに立つと、隣に並んだチームにはお姉さまが、少し離れたもう一つのレーンにはセレストさんが立っていた。二人とも僕に軽く微笑んで見せたが、何か火花が散っているような気配を感じる。僕はその雰囲気を振り払おうと深く息をついた。


「行け、瑞祈!」


「がんばれ、瑞祈くん!」


 二人から飛んでくる声援に瑞祈は小さくうなずいたものの、心の中では少しばかり逃げ出したい気持ちが膨らんでいた。しかしそんなことを考える間もなく、スタートの合図が鳴り響く。


 リレーが始まるとお姉さまとセレストさんはそれぞれの俊足で瑞祈に接近してくる。全力で走っているつもりだけど、二人の走りにはどこか「競っている」空気が漂っているのが分かる。僕は心の中で何度目かのため息をつきつつも、とにかく最後まで走り切るしかなかった。


 その直後、ゴールに向かって加速する僕の目に、チラリとセレストさんの姿が映った。彼女は僕に向かって何か言おうとしているのか、口元が少し動いているが、気づかないふりをして走り抜けた。その背後で、さらに熱を帯びたお姉さまとセレストの対決が続いていることに気づいたとき、僕は思わず心の中で「早くこの場を離れたい」とつぶやいてしまった。


 リレーが終わり、ほっとしたのも束の間、次の競技では僕がまたもや注目を集めることになってしまった。騎馬戦である。表に出たくない性格から騎馬の「上」になることを避けたかったが、どういうわけかお姉さまとセレストさんの強い推しにより、僕が騎馬の「大将」役に抜擢されてしまったのだった。


 騎馬の土台を固めるメンバーがそれぞれ僕を支え、準備が整った。周りではお姉さまとセレストさんの双方が率いる騎馬たちが静かに睨み合っている。その視線にはただのチーム対抗の気合いだけでなく、僕をめぐる張り詰めた意地が交錯していた。……辛い。


 競技が始まると、僕はできるだけ目立たないように身を縮めつつ、周りの様子を伺った。しかしその次の瞬間、前方からセレストさんが指揮する騎馬が勢いよく近づいてきた。


「いくよ! 瑞祈くん!」


 セレストさんは僕に微笑みかける。その目には確固たる自信と僕に対する独占欲のようなものが込められていた。


 心の中で「またか…」と思いながらも、セレストさんの視線から逃れられない。だがその隙を狙ったかのように、お姉さまの騎馬が横から割り込み、僕を間に挟む形でセレストさんの騎馬にぶつかった。周囲の喧騒の中、お姉さまは鋭い視線でセレストさんを見据え、ほんの小さな声で「瑞祈は渡さない」とつぶやいた。


「お姉さま!?」


 僕が驚いて振り返ると、お姉さまは冷静な微笑みを浮かべてウィンクしてみせた。その一瞬、僕の中でかすかに何か温かいものが生まれそうになったが、それを感じた直後には、周りの激しい騎馬戦の動きに巻き込まれ、僕はまた冷や汗を流す羽目になった。


 どちらにも負けたくない意地が、僕をかかげたまま激しい駆け引きとなって現れる。ふと、自分がいつからこんな風に「取り合い」の対象になってしまったのかを振り返りたくなるが、その暇もないほどに二人の対決は熾烈だった。


 最後には騎馬が入り乱れる中で僕のチームが辛くも勝利を収めた。お姉さまとセレストさんの間には一瞬だけ険しい空気が流れたが、すぐに僕を見つめる二人の視線が交錯した。そして、僕は今にもため息が出そうになりながら、それでも何とか微笑んで見せたのだった。


 騎馬戦の勝利から少し休憩が入り、やっと静かに座れるかと思いきや、すぐにお姉さまとセレストがそばに寄ってきた。僕を取り囲む二人の間にはまだ決着をつけたいような不穏な空気が漂っている。


「瑞祈、さっきのリレーも騎馬戦も頑張ったね。私と一緒に応援席で休まない?」


 お姉さまが微笑みながら控えめに声をかけた。しかし、その目にはどこか「他の誰にも譲らない」という決意が見える。


「ボクも誘う権利くらいあるでしょ? 瑞祈くん、こっちで何か飲みながら一息つこうよ」


 セレストさんはお姉さまに負けじと僕を誘い、肩に軽く手を置いた。視線は涼やかだが、何か対抗心が感じられる。


 僕はどちらか一方を選ぶことでさらに二人の争いが激化するのではと、内心で冷や汗をかきながら、なんとかその場を離れようとしたが、お姉さまに軽く手を引かれ、セレストさんには腕を軽くつかまれた。 またも逃げ場を失いかけ、心の中で「どうしてこんなに取り合われてるんだろう…」と頭を抱えたくなる思いだった。


 そこに体育祭のフィナーレを告げる合図が鳴り、全員が最後の種目・応援合戦の準備に取りかかる時間がやってきた。やっと両手を二人から解かれ、会場に移動すると、僕を巡るお姉さまとセレストさんの戦いも、最後の大一番に突入するような空気が漂っていた。


 応援合戦が始まると、お姉さまとセレストさんはそれぞれ僕に向かってしっかりとした目線を送ってくる。応援リーダーとして精一杯自分のチームを率いながらも、二人とも何かとこっちにアピールをしているのが見て取れた。


 競技の終わりに近づくにつれ、二人の応援の熱気に少し気圧されつつも、その一生懸命さにどこか胸が温まるのを感じていた。僕にとって「ヒロイン」からの争奪戦は本当に厄介でため息が出るものの、それだけ自分が大切に思われているのだと考えると、少しだけ嬉しくもあった。


 歓声と拍手の中、今年の体育祭の総合優勝が発表されたかに思えたが、次の瞬間、アナウンスが場内を静まり返らせた。


「なんと、今年の優勝チームは同点です! 3年生チームと2年生チームが並びました!」


 場内がどよめく……しばらくして再びマイクを握った。


「エクストララウンドとして、代表者一名によるフェンシングの試合で最終決着をつけます!」


 その瞬間、お姉さまとセレストさんの視線が鋭くぶつかり合った。お互いの気迫は強烈で、僕もその場の空気が一瞬で引き締まるのを感じた。案の定二人がそれぞれのチームの代表に選ばれ、フェンシングの決戦が始まることになった。


 準備が整い、二人はフェンシングの剣を手にして対峙する。お姉さまは冷静で高貴な雰囲気を漂わせ、セレストさんは俊敏さとしなやかさを感じさせる構えを取っている。両者ともに真剣そのもので、僕も自然と息をのむほどだ。


 審判の合図で試合が始まると、お姉さまは落ち着いたステップで間合いを図り、セレストさんは軽快に動き回りながら隙を狙っていた。どちらも目を見張る技術を見せ、まさに接戦の様相を呈していた。


 やがてセレストさんがスピードを生かしてお姉さまに一撃を仕掛けると、お姉さまも冷静に剣をはじき返し、反撃に出た。二人の剣が交錯する度、会場は静まり返り、観衆の緊張が一層高まっていく。


 僕も胸が高鳴り、手に汗を握りながら二人を見守っていた。そして自分を取り合うようにして戦う二人の姿に、少しばかりの申し訳なさと、でもどこか誇らしい気持ちも感じていた。


 最後の一瞬、お姉さまが絶妙なタイミングでステップを踏み込み、セレストさんの剣を交わしながら決定的な一撃を放つ。審判の「一本!」という声とともに、勝負は決まった。


 勝利したお姉さまは、ほっとしたように微笑みを浮かべ、セレストは少し悔しそうにしながらも潔く剣を下ろした。


 ──

 試合が終わり、僕のもとに歩み寄る二人。お姉さまが微笑みながら「やっと決着がついたわ」と言うと、セレストさんもさっぱりとした表情で「まだまだ負ける気はないけどね」と返した。その穏やかな雰囲気に、僕もようやく緊張が解け、ほっとしたように笑みを返すのだった。


 僕にとって「取り合われる」日々は面倒でしかなかったけれど、この日だけは、ほんの少しだけ──その真ん中に立っている自分を誇らしく思えた。

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