疾兎者
──翌日、早朝の浜辺での稽古が終わり、午後の休憩時間──
一通りの稽古を終え、午後の強い日差しが照りつける浜辺でお姉さまと並んで砂浜に腰を下ろす。潮風が気持ちよく、波の音が耳に心地よく響いてくる。水面は太陽の光で輝いて、遠くには白い波が寄せては返していた。
(上手く言えないけれど、なんか……いいなぁ……)
お姉さまと二人、浅瀬に座り込んでいると、涼やかな水が足を包み、心地よい海風が頬を撫でる。
「こうしてのんびりするのも悪くないわね」
ふとお姉さまが僕の肩に手を置いて穏やかに微笑んだ。
「ですね……何だかこんな風にゆっくり海を眺めるのって、久しぶりで」
そのまま僕が応えると、お姉さまが突然、さらにぐっと距離を詰めて僕の隣に密着するように座り込んだ。さらに、波を避けるように軽く身を乗り出して、覆いかぶさるように僕の顔を覗き込む。
「瑞祈、顔が赤くなってるわよ?」
「そ、そうですか……」
顔が熱くなるのを感じて思わず視線を外したくなるが、今度はお姉さまの手がそっと僕の肩に触れたまま離れない。柔らかな指先の感触が妙に意識に残り、動揺を隠しきれないまま、つい小さく息を飲んでしまった。
「こんなに可愛らしく照れてくれると……少し意地悪したくなるわね」
お姉さまは僕の反応を楽しんでいるかのように微笑んで、そのまま肩に置いた手でそっと僕を引き寄せる。触れ合う体温と距離の近さに、僕の心臓はどんどんと高鳴っていった。
「ふふっ、少しリラックスして。ほら、今は二人きりで、何も気にしなくていいのよ」
そう囁きながらもう一度穏やかに微笑む。それでもどこか強引で、優しいけれども僕の気を一切逃がさない、そんな魅力が彼女にはあった。
──
日々はあっという間に過ぎていった。
お姉さまとの稽古はいつもながら容赦なく、厳しいものだったけれど、この島ではそれすらも楽しめるような心地がしていた。
「瑞祈、少しでも怠けたら、すぐにバレるわよ?」
「怠けたりなんか……してません!」
稽古が終われば、砂浜を歩きながらお姉さまと笑い合い、疲れた体を海で癒したりもした。普段の学院生活から解放され、のびのびとした時間の中で、何か特別な絆が一層深まっていくように感じられた。
そんな楽しい日々が、順調に続いているように思えた。けれど──
「テスト」の日は否応なくやってきた。
──
朝の凛とした空気がいつもと少し違って感じる。それはただの稽古ではなく、お姉さまが「テスト」と称する特別な試練だと分かっているからだろう。僕は別荘に併設された広い屋内施設、バスケットボールやテニスもできる本格的なアリーナへ向かう足を止め、一度深呼吸してから静かに拳を握りしめた。
「瑞祈、準備はできているかしら?」
お姉さまの鋭い声が響き、僕は思わず身震いする。
「……はい、いつでも」
お姉さまが微笑み、ほんの一瞬だが、その視線に潜む何かが僕の神経に触れた。
(もしかして……楽しんでいる……?)
不意にそう感じたけれど、すぐさまその疑念を打ち消した。今はそんな余裕なんてない。
お姉さまの攻撃はいつも以上に鋭く、そして速い。攻防が繰り広げられるたび、僕の呼吸は浅く、速くなっていく。
「どうしたの? 今日は随分余裕がなさそうね」
お姉さまの声が、冷ややかに、そしてどこか楽しげに耳に響く。僕は必死に動きを読み、防御を続けるが、隙を突く余裕がないまま少しずつ追い詰められていく。
そんな中、お姉さまの動きが変わった。攻撃のテンポがわずかに狂い、視線が僕の中心部へと逸れる。一瞬の隙を見つけたかのように、お姉さまがさらに一歩踏み込んだ。
「……そこ!」
お姉さまの足が防御の合間をすり抜ける。次の瞬間、冷たい衝撃が脚の間を襲い、僕は本能的に身を丸めた。
痛みが瞬時にして全身を駆け巡る。
「…っ、くぅ……!」
お姉さまの一撃が、正確に僕の……男の最大の急所を捉えたのだ。
その瞬間、脳裏を走るのは、激痛と共に浮かび上がるお姉さまの顔──唇に浮かぶ微笑が、どこか異様に見えた。
「ごめんなさい瑞祈……。でも……今日は少し、我慢してね」
囁くように、しかし熱っぽくそう言うお姉さま。彼女の表情に何かが溢れ出す。
僕は息を詰まらせる。これは単なる「テスト」ではないと、ようやく気づいた。その笑みの裏に隠された欲望が、今まさに表に現れたのだ。僕は震えながら、次に何が来るかを予感しつつも、逃げ出すことができない自分を感じていた。
大天使の中に封じ込められていた無数の悪魔がこれから一気に解放されるのを知りながら……──。
──
「Shall we gather at the river…」
お姉さまの澄んだ声が、徐々に高まりながら場を支配していく──
僕には、その一音一音が鋭く、肌に刺さってくるように感じられた。これまでお姉さまが見せたことのない容赦ない一撃が、僕のか弱いタマゴを突き刺す。痛みで意識が薄れるたび、お姉さまの歌が不気味に響き、彼女の強烈な高揚が伝わってくる。
彼女の金的に対する欲求が、止めどなく流れ出していくかのようだ。僕にはもう抵抗する力さえ残されていない。お姉さまの心は、既に理性を越えた「何か」に支配されているように見える。痛みの波が押し寄せるたび、意識が千切れては戻り、歌詞が続くたび、その声に捕えられるようだった。
「…Where bright angel feet have trod」
その声に包まれると、今自分が何をされているのかを、冷静に理解しようとする余裕すら奪われていく。お姉さまが追い打ちをかけるように蹴りを加えた瞬間、僕の心の奥底で、叫びにもならない叫びがこだまする。痛みに飲み込まれながらも、お姉さまの満たされていく笑顔だけは頭に焼き付いて離れない。
「Shall we gather at the river…」
歌が一段と高まり、彼女の追撃はさらに執拗なものとなる。もはや自分の体がどうなっているのかも分からない。ただ、彼女の深い欲望が自分を破壊し尽くしているという事実だけが鮮明に感じられた。
「Shall we gather at the river…」
お姉さまの歌が最高潮に達し、まるで自分を全て解放するかのように、僕の股間へ最後の一撃を打ち込む。彼女の中で沸き上がる歓喜が、僕を包み込んでしまうかのようだった。声は天使のような美しさを保ちながらも、彼女のその奥にある飢えや渇望が隠しきれずに滲み出ている。
僕の体は、抵抗することもできず、ただ痛みの中で呑み込まれていく……。鈍い衝撃と共に腹の底から押し上げるような痛みが全身を巡る。視界はぼやけ、遠くでお姉さまの歌が響いているのをかろうじて感じ取っていたが、もはや声にすら集中できない。
お姉さまが満足そうに微笑みながら歌い終えた瞬間、僕は一瞬の解放と共に意識を手放す。痛みが深く刺さったまま、その感覚はお姉さまの悦びと共鳴するかのように心に刻まれた……──
──
目が覚めると、薄暗い部屋の中に微かな光が差し込んでいた。体が重く、まるでどこか遠くで響く音のように頭が鈍く疼く。ゆっくりと視界がはっきりしていくにつれて、目の前には無機質な白い壁と、近くに設置された医療器具の数々が目に入った。
「ここは……?」
混乱したまま体を起こそうとするが何かが違和感を持っている。ふと自分の体を見下ろすと、普段着ているトレーニングウェアの上に白いシーツがかかっていた。しかし、肌の下に感じる熱さや違和感に思わず息を呑む。
「お姉さま……?」
隣にいるお姉さまの姿が目に入った。彼女は椅子に座り、うっすらと涙を浮かべながらこちらを見つめていた。驚きと心配の表情が交錯し、まるで夢の中にいるかのようだった。
「瑞祈……! 気が付いたのね!」
お姉さまの声が心を洗い流すように響いた。しかし、彼女の目には涙が溜まり、そこには何か深い後悔の色が浮かんでいた。
「私が……ごめんなさい、瑞祈……本当にごめんなさい!」
彼女の言葉に胸が締め付けられる。何があったのかを思い出そうとするが、頭が重く、明確な記憶は霧の中に隠れていた。代わりに、あの瞬間の痛みが鮮明に蘇ってくる。
「僕……どれだけ……」
思わず声を震わせて問いかけると、お姉さまは顔を覆い、嗚咽を漏らした。涙がこぼれ、彼女の手が震えているのがわかる。
「瑞祈の痛みを知っているはずなのに、私は……私の欲望が貴方をこんな目に合わせてしまった……。でも、貴方に私を刻み付けたくて……蘇芳さんのように。……ごめんなさい。これは私の嫉妬……」
彼女の言葉は切々としていて、痛みの記憶が再び僕の心を刺す。痛みは痛みでしかなかったけれど、それでも彼女の気持ちを思うと、心が苦しくなる。
「僕は……大丈夫です。ただ……」
言葉を選びながら続ける。心の中で渦巻く感情を整理しようとするが、どうしても上手く言葉が見つからなかった。
「そんなことないわ。私は……貴方を傷つけてしまったのに……」
お姉さまの悲痛な表情が、僕の心をさらに締め付ける。彼女の優しさと同時に抱えている罪の意識が彼女を苦しめていることを感じ取った。
「お姉さま……」
その言葉が口から出たとき、彼女は驚いたように顔を上げ、再び僕を見つめ返してきた。その目に映るのは、悲しみの中に少しの希望を見出すかのような光だった。
静かな部屋の中、お姉さまの優しい視線を感じながら、僕は再び目を閉じた。まるで時間が止まったかのように周囲の音が遠くに感じられる。ただ……金的が響くように痛むたびに、その痛みが全身に広がっていくのを感じた。彼女は無意識のうちに小さく息を呑む。
「……ごめんなさい、まだ……ちょっとだけ……」
お姉さまの声が響く。
僕は頷くことができず、痛みが波のように押し寄せるたびに、微かに顔をしかめた。そんな僕の表情を見逃さず、お姉さまは優しく近づき、僕の手を包み込む。
「ねえ、痛かったら言って。私が助けてあげるから……」
彼女のその言葉に感謝の気持ちを感じつつも、痛みのせいでその感情を表に出すことができなかった。代わりに彼女の手の温もりが少しずつ心を落ち着けていく。
「こんなことになるなんて、思ってもみなかった…」
彼女はつぶやきながら、自分の手を僕の金的の周りに優しく当てた。痛みが強くなるたび、彼女の手が寄り添い、まるで痛みを分け合おうとするように感じられた。
「痛みがあるのはわかるけど、私が側にいるから……。だから、少しでも楽になってほしい……」
お姉さまは僕の急所を優しく撫でる。そのたびに僕は自然に身体をびくっと反応させ、痛みが走るのを感じるも、彼女の手の温かさが少しずつその痛みを和らげているように思えた。
「……ありがとう……ございます……」
僕は微かに微笑んで彼女の目を見つめた。お姉さまはその笑顔に少し安心したように頷き、再び僕の手を優しく握りしめる。
「何があっても私は貴方を守るから」
彼女の言葉には強い決意が込められていて、その一言が僕の心をさらに温かく包み込む。彼女の気持ちが自分に向けられているのだと感じるたび、痛みはあるものの、少しだけ心が和らいでいくのがわかった。
そのまま静かな時間が流れていく中、お姉さまの手当てを受けながら、彼女の優しさを実感し続けた。金的の痛みが激しくなるたびに、彼女の手が寄り添い、痛みを和らげるために一生懸命になっている姿が心に残る。
やがて再び痛みが訪れる。僕はその瞬間に顔をしかめた。お姉さまは心配そうに彼の表情を見つめ、すぐに手を強く握りしめる。
「頑張って、瑞祈……きっと良くなるから……」
その言葉が僕に力を与えてくれた。痛みが和らいでいくのを願う。お姉さまの優しさが僕の心の中で温かい光となり、少しずつ、少しずつ包み込んでいくのだった……──




