負け論側
(……あれ? 僕……寝てた? おそらく数分程度だと思うけど……)
キャンパス内にいることすら忘れていた。まるで象牙色の、柔らかな世界に包まれていたようだった。温かくて、柔らかくて、それに、いい匂い。きっとこれが本物の女の人なのだろう。僕なんかがいくら上辺を似せても出せない何か。
このままずっと抱かれていたい。彼女ならきっとそうしてくれる。でも、だからこそ——僕から終わらせなくちゃいけない。
「……もう、大丈夫ですから」
彼女の肩に置いた手はもはや支えではない。自分を彼女から引き剥がすための意思表示だった。あの柔らかな胸の感触に、もう一度溺れたくなる前に。
「そう、分かったわ……」
名残惜しそうに腕が離れる。その肌の感触だけでまた気持ちが揺らぐ。彼女の手が僕の頭を撫でた。優しい、優しすぎる。
沈黙が落ちた。
けれど、それは居心地の悪いものじゃない。訊きたいことはいくつもあるのに、どうしても口に出せない。
僕も空を見上げた。春の青。季節や時間帯で色を変える空が、僕は昔から好きだった。
「昔ね」
唐突に彼女が語り出した。
「昔、川を眺めるのが好きな子がいたの。日が暮れるまでじっと見つめていたわ。『川を眺めるとは川を見ることに非ず。川の流るるを見ることなり』ってね」
空を見たまま、彼女は微笑む。
「ねぇ、空を眺めるのって、どう思う?」
「えっと……そうですね。時間帯で青の濃さが違ったり、夕方はグラデーションが見えたりしますし……。夜も真っ暗じゃなくて、夏は『夜の青空』って感じがするようになりました」
「……『夜の青空』。詩人なのね」
照れる僕に彼女は小さく笑いかけた。
「でも、面白い考察だと思うわ」
そして、ようやく僕の目を見て言った。
「さてと。何から聞きたい? なぜあなたが男の子だとわかったのか。なぜ騒がなかったのか。なぜ金的対処が板についてるのか。いくつか疑問があるでしょう?」
核心を突かれた。言われてみれば、そうだ。僕も一人で考えていた。
「どれも、一つの理由に集約されるの。そして話すと長くなるかもしれない。だから先に、薬を飲んでおいて。もう決めたんでしょ?」
言われて思い出す。赤と青。
「せっかくだから、赤を選びます」
「せっかくだから、ね。想像以上に前向きなのかも」
「どうでしょう。現実を見たくないだけかも」
軽く笑って薬を飲む。鎮痛剤——痛みが引いてくれればいいけれど。
「フフ、分かってるくせに。青いのはただのジョークよ。映画のパロディ。けどね、本当にこの世界が現実かなんて、誰にも証明できない。逆もまた然り」
彼女は青いカプセルを遠くに放り投げた。
「唯一確かなのは、今思考してる自分自身だけ。それでデカルトが無神論に転ばなかった理由、あなたはどう思う?」
冗談なのか本気なのか。彼女の言葉には、時折底知れない深さがある。
「さてと、じゃあ本題に入りましょうか……」
そう言うと、彼女は僕を押し倒した。
「なっ、なにするんですかっ……あっ!」
その手が、僕の——急所に伸びてきた。触れられるだけで、体から力が抜けていく。指が絡まる。指先が撫でる。
「ヒャ……ッ! ハァ、ん……!」
身体が震える。逃げようにも力が入らない。声が漏れてしまう。こんなはずじゃないのに。
「男の子なのに、可愛い声。いけない子ね。でも……とても、素敵」
彼女の囁きに、理性が遠のく。
「やめ……て……」
「身体は、正直ね。Mっ子なのかしら?」
悔しい。情けない。でも、どうにもならない。もし抵抗したら……いや、そんな余裕すらない。
「この国に、女の強姦罪はないのよ?」
!? エスパー? サイキッカー? ニュータイプ?? 彼女は僕の思考すら見透かすかのように囁いた。
「それは昔の話です! それにたとえ強制わいせつでも、立派な犯罪ですっ!」
それだけは、なんとか言えた。
でも……彼女の指が再び触れた瞬間、僕の思考はまた霞んでいく。
「私ね……」
指の動きが止まった。そして、片方の急所を強く——
「私ね、魅入られてしまったの。男性への金的攻撃に……」
親指が、ゆっくりと、的確に、痛点を押し込む。
「っ——!!!」
激痛が走る。息が止まるほどの痛み。
でもその瞬間すら、どこか美しかった——。