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天使が来りて玉を蹴る  作者: 漫遊 杏里
12/55

治跨

(……困った。本当に困った)


 今日だけで、心の中で「困った」を百回は呟いた気がする。今の僕は間違いなく「こまったくん」だ。……この格好で「くん」は不適かもだけど。

 それでもあえて「くん」にしたのは、ある種の自己ツッコミ、あるいは困った言いつつカレーライスを完食してしまった自分への戒め……みたいな感情も含まれていて。


(……って、何を妙なとこで余裕ぶってるんだよ、もうっ!)


 掻きむしりたい頭。隠したい顔。できることならこのまま消えてしまいたい。そんな午後の教室。

 予感はしていた。今朝のお姉さまとのキス――あれが学院中に広まっているという現実。今この場を覆っている女の子たちの視線と注意、いや、興味と警戒――それが全身を突き刺してくる。ただの自意識過剰かもしれない。けれど半分以上は……悲しいほど当たっていると思う。

 僕は誓う。学院のスターに気に入られたくてここに来たわけじゃない。目立つことなど願っていなかった。静かに、目立たず、何事もなく日々を過ごしたかっただけなのに――どうしてこうなった?

 女装して通うだけでも十分ハードなのに、今やベリーハード、いやスーパーハードモードだ。まだ三日目だというのに、状況はもう詰んでいる。

 そして何より……あのひとの趣味、性癖、嗜み。どれを取っても僕には過酷すぎる。

 あの場所を握られる恐怖。全人類の半分は理解してくれる、あの「絶望」を、ここでは誰も共有してくれないという事実が、一層の孤独を呼び寄せる。


(……泣ける)


 「ミズキ・マスト・ダイ」。そんな言葉が浮かぶ。あまりにも適切すぎて、笑うしかない。 いや、mayにmustときたのなら、いっそshallでも探すべきだろうか。……って何考えてるんだ。

 しかも今は英語の授業ですらない。……まぁ、朝から授業内容なんて、まるで頭に入ってこなかったんだけど。


「――では、次のところを露草さん」


「――!? はひっ!?」



 ――


「聞いたよ。しっかりしてよね、ホントもう……。ただでさえ目立ってるってのに」


「……面目ない」


 既視感しかない放課後の教室で、サキの声。


「てか、いつの間にあの『ガウリール様』のお気に入りになってたのよ。来たばっかでしょ。それとも、たらし込んだ?」


「たらしこ……って、そんなことあるわけないだろ」


「まぁ、たしかに瑞祈にそんな甲斐性ないか」


 ……それはそれで地味に傷つくやつ。


「……ひょっとして、男だってバレた?」


 ――!? 何その直感!

 言葉を失って数秒。けれど、それだけで彼女には十分だったようだ。ホントに、サキは鋭い。


「あちゃ~……ってことは、バラされたくなかったら~って、弱み握られた系?」


 ……あながち間違いでもないのが辛い。物理的に「握られて」しまっては、もうどうしようもない。……男なら分かるはずだ、この絶対的敗北感。


「って、あのガウリール様がそんなR指定漫画みたいなことするわけないか」


(惜しい!)


 なぜかせっかく正解にたどり着きかけたのに、サキ自身がそれを手放してしまう。僕としても、お姉さまとしても、それで良いのに何故か惜しいと思ってしまった。

 ……それでも、サキの勘すら曇らせるあの人の“らしさ”は、やっぱり恐ろしい。


「ってことはやっぱ、たらしこんだ? いやいや……」


 鼻をこすり、腕を組み、何やら一人で納得しきれない様子。だけど、真実には届かない。


「まぁ、それはそれとして……アンタ、今かなり面倒くさい立場にあるって自覚、あるよね?」


「……やっぱり?」


「やっぱり。見てて分かるし、想像つくでしょ? いきなり学院のトップスターに気に入られて、しかも人前でキスされてさ……。それ、周囲が平穏に済ますわけないって」


「……だよね……」


 あの緊張感。今日一日、僕が背負っていたのは、ただの思い込みじゃなかった。あの視線たちは、確かに「向けられていた」ものだったのだ。


(……絶対、棟の裏で怖いお姉さんたちに呼び出される未来が来る)


(マスト・ダイ、確定……)


 うなだれた僕の頭上には、ずっしり重い灰色の曇り空が広がる。誰にも見えない、僕だけの曇天。

 けれど、実際の空は青かった。薄いスカイブルー。

 「ブルー」と呼ぶには優しく、寒色のはずなのに、どこか温かみすら感じる――そんな午後の空。



 ――

 寮に戻って、ベッドに倒れ込む。


(……重い)


 サキは「できるだけ頑張ってあげる」と言ってくれた。本当に感謝してる。もし彼女がいなかったら……今の僕は、もっとずっと孤独でつらかったと思う。

 女装潜入モノ。なんとなく、うまくいくイメージがあった。みんなと仲良くなって、少しずつ馴染んでいく、みたいな。

 でも――現実はそんなに甘くないらしい。それとも、僕が「主人公」じゃないってことなのかな。

 ほんの半日前に否定したかった「主人公属性」を、今はむしろ羨ましいと思ってるなんて……ままならないにも程がある。


「……どうなっちゃうんだろ、僕……」


 無意識に、母が荷物に忍ばせてくれたぬいぐるみに手を伸ばす。まん丸で、何がモチーフなのかよく分からない彼(?)を抱きしめると、不思議と安心する。そのぬくもりに、今朝のことが蘇って――胸がきゅっと切なくなった。


 ぎゅっと抱きしめる。

 何もかも、まだ始まったばかりなのに、もうこんなに揺れてしまっている。

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