琳塵
(なんて眩しい朝なんだろう……――)
学院への道すがら、イヤってほど感じてしまう。完璧星人の放つオーラ、煌めき、存在感。まるでアイドルを生で見てしまった一般人Aの気持ちがこれなんだろうね……横に並ぶだけで削られる精神力。いや、名誉なことなのは百も承知なんだけど……。
青空は僕の求める穏やかさにぴったりなのに、目立たず一日を過ごすという「青写真」は、すでに遥か彼方へ飛んでいった。僕の「蒼穹探し」、開始五分で迷走中。
(本当に……大天使みたいだなぁ)
彼女自身が輝いているのか、朝日が彼女だけを優遇してるのか、キラキラという言葉では到底足りない。ああ、きっと属性は「光」。ただし、聖なるかどうかは別として。
光を司る、ちょっと邪悪な天使……。
(……それってガブリエルじゃなくて……?)
――「僕ら」のために堕ちた天使。
嗚呼、なんて親愛なる堕天使20XX。
(……何処が僕のデッドラインなんだろ……)
痛み関してはデッドするライン超えかって体験したけどね。
……泣ける。空を見上げてため息を一つ。
「どうかした?」
「いえ……それより、ホント凄いんですね。ガウリール感というか、あの……恐縮しちゃうくらいで……」
彼女の放つオーラもすごいけど、集まってくる視線や声もとんでもない。完全に関心が集中してる。横にいる僕も、もれなく巻き添え。しかも、「誰この女?」って視線、そのうえホントは女じゃないっていう爆弾付き。周囲の視線が背中に刺さる刺さる。
……囁いてる声、こっちにも届いてるんですけど? 女の子のひそひそ声って、けっこう音通るからね!?
「気にしない。もっと楽に構えて。姉と妹なんだから、ね?」
「まぁ……そうですけど。そういえば今まで妹にしてほしいって子、いなかったんですか? ……それか、その……恋人とか」
「あったわ」
あっさりと、女学園もののテンプレを肯定する返事。それだけで心のダメージが一段階アップする。
僕には分かる。続きの展開が。だから辛い。予想できるから、余計に辛い。
「……返事の方は……?」
「断ったわ」
「……全部?」
「ええ」
(……oh……)
ですよねー。分かってたけどやっぱりショック。これはあれか。怖いお姉さんに呼び出されて「ちょっと話そうか」イベントの前触れ? 完全にフラグ立ってません?
青空が、僕にだけ曇って見える。肩に重くのしかかる重力感。色はブルー、心もブルー。初日からずっと、僕は青色に呪われてる気がしてならない。もしかして、呪いの防具でも装備してる?
「ハァ……ついてない……」
「そんなことないわ。とっても「ついてる」じゃない」
「……視線が、下半身に刺さってる気がするんですが……」
「あら、たまたまよ。た・ま・た・ま♪」
……完全に確信犯。なんでこんなに嬉しそうなのこの人。
ああ、この人のこういうところ……敬意と羨望を集める「ガウリール」の、世間には絶対見せられない一面。いや、一点。それ以外は完璧すぎるからタチが悪い。
「朝から何言ってるんですか……」
お姉さまと並んで歩くという、たぶん後光が差すくらいの名誉なシチュエーションなはずなのに、なんでこんなにがっかりしてるんだろう、僕。懊悩しちゃうよ。
(おーのー)
力なく呻いた。ライフがじわじわ削られる。
「まあまあ。せっかくだから、もっと楽しみなさいよ。ここは女学院。男の人なら、こういうの好きなんじゃない?」
たしかに、女の園に男一人って、夢のハーレム展開。だけど……なんか違う。「男たちが目指した楽園」って、これだったっけ?
(ちょっと整理しよう……)
・女顔が女装して女学院へ
・サポートしてくれる幼馴染がいる
・アイドル的存在に気に入られる
・そのアイドルと登院中
(……え?)
やばい、属性だけで見るとすごい主人公感……。いやいやいや、そんなバカな。どうして開始数日でこんなフォーカードになってるの?
脳裏をよぎる「お約束展開」。気弱な子に慕われたり、三角関係で修羅場が起きたり……。あーもう、消えて消えて!
(クールだ、僕はクールになるんだ!)
だけど余計に汗ばんでくる。掌がベトつく。首がむず痒い。
(ほんのちょっとでいいから……時間をください……お願い神様仏様大天使様……!)
わけが分からなくなってきた。環境も相手も強すぎる。対応しきれないよ。
「瑞祈……」
お姉さまの手が、そっと僕の頬に触れる。身を屈めて覗き込んでくるその瞳――(ああ、僕より背が高いのが余計に辛い……)
(……綺麗だ……)
今さらな感想。でも、やっぱり綺麗だ。吸い込まれそうな瞳。心を覗かれてる気がする。
(威厳があって、気品があって、カッコよくて……ロボットアニメのライバル機体みたい……)
……ちょっと例えが悪かった。男の子度数が高すぎた。……泣ける。
そんな自嘲の間にも、お姉さまの顔が近づいてきて――ゆっくり、だけど確実に。視界が彼女だけで満たされていく。吸い込まれるみたいに。
――何かの音がした気がした。……たぶん「ちゅっ」みたいな。
その直後はもう、ラブコメ時空全開のカオスだった。
――
「……いきなり何するんですか……」
はあはあ……ぜいぜい……なんとか息を整えつつ問いかける。僕たちは、悲鳴みたいな絶叫の中を全力で逃げてきた。原因はもちろん、あの――キス。手が勝手に口元へ伸びる。……拭うつもりなんて、ないけど。
「貴方を落ち着かせようと思って」
お姉さまは、涼しい顔。息もほとんど乱れていない。走るのも速いし、やっぱり忍者なんじゃ……いや、「ニンジャ」や「NINJA」の方の。
「驚きますよ! ていうか周囲、大騒ぎでしたよ!? お姉さまは『ガウリール』なんですから――」
「そんな、他人が勝手に呼んでるだけの名前より、私は『貴方の姉』である方がずっと大事。ガウリールじゃなくなるのは構わない。でも、貴方を失うのは絶対にイヤ」
「……お姉さま……」
ずるい。いつもの飄々とした態度から、いきなりこんな真剣なこと言うなんて。……ずるすぎる。
「もちろん、落ち着かせようってのも本当よ? ただ……あの場ではちょっとできなかったことだけど――」
するりと伸びてくる手。……ま、また股間!? またその展開ですか!?
「私にはない『掴みどころ』……素敵。本当に」
僕の動揺を読んだかのような言葉と共に、あの繊細な部分が、再びその手に包み込まれる。……もうほんとこの人、容赦ない……。
「人は楽しいときには楽しそうな顔を、悲しいときには悲しそうな顔をする。でもね、逆もあるの。なんでもないときに『そういう顔』を作れば、気分もついてくるんですって。――不思議よね」
語りながら、彼女の手が僕の金的を――優しく、しかし確かに――押し下げる。
「男性って緊張したときにはそこが引き上がるでしょう? だから、逆に押し下げてあげると……ほぐれるの。ね、どう?」
「……かも……しれません……」
たしかに、力を抜かれていく気はする。でも、それ以上に心がザワついて仕方ない。だってこれ、女の人に股間握られてるっていう、常識的にアウトな状況なんですよ? しかも、この人の趣味はガチで……。
「……と、とりあえず、放してください……」
「怖い?」
小さく、頷いた。どんなに優しく扱われていても、「そこ」を握られているという事実だけで、全身が硬直する。緊張と不安が、喉元まで込み上げてくる。
「じゃあ――」
お姉さまは、もう片方の手で僕の手をとり、そのまま自分の――胸元へと、押し当ててきた。
(えええええっ!?)
掌に伝わる感触。柔らかくて、滑らかで、温かくて……予想の何倍も……。
桜色の何かが、掌を伝って身体の奥に入り込んでくるみたいだった。
「どう?」
「す、すごく……その……」
言葉が出ない。
(……大きいで……いや違う。いや、大きいけど! でもそういう問題じゃなくて……)
女の子に触れられるなんて、これが人生初体験な僕にとっては、あまりに衝撃が強すぎる。心臓が、いや「胸」が、ほんとにもう、限界突破しそう。
本当に、胸でいっぱいいっぱいなんです……!
「だけど――」
……また急所を、ぐいっと握り上げられた!?
(――ッ!?!?!?)
思考が一瞬で吹き飛ぶ。でも、身体だけは確実に反応してる。痛みと恐怖が、電流みたいに駆け抜けていく。
「……お姉さま、いったい……ふぐっ!」
胸に押し付けられる力が強まる。同時に股間もがっちりと握られる。指が食い込んで逃げる余地すらない。
「――ひッ……!」
親指の腹が――そこを、正確に、押さえてくる。
……「古傷」。サキによって「あのとき」創られた裂傷。
記憶にはない痛みなのに、体が憶えてる。金的が、僕よりも強く恐れてるのがわかる。もう、言葉じゃない反応だった。
「どう?」
僕の手は、まだお姉さまの胸に押し付けられている。金的と胸――両方から押し寄せる感覚に、僕の「心」が耐えきれない。
心臓か、精神か、あるいはどちらもなのか。わからないけど、なにかが、はちきれそうだった。
股間の寒気。
火照る顔。
真逆の刺激が同時に襲ってきて――
「ねぇ、瑞祈――」
お姉さまの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
もう無理。すでに限界なのに、まだ詰め込むの?
「好き。愛してるわ……」
「「ドクン」」
その「「音」」を、たしかに聴いた。
そして、僕は――白に染められた。