佐原凛の憂鬱〜文化祭を添えて〜
淡白女子高生の文化祭における受難。
「上等だ! やってやるよ!」
突然響いてきたその声に顔をしかめた。
私の記憶が確かならあの声はうちの部長のものだ。
そしてバンッと何かが閉まるような音がした後ズカズカと廊下を誰かが歩いてくる。
次の瞬間ガラガラッと大きな音を立てて私たちがいた部屋……つまりは新崎高校写真部部室の扉が開けられ、怒り狂った様子の部長が部屋の中に入って来た。
「最悪だなあいつは! ああイラつく!」
そんなことを言いながらズカズカと歩き何時もの場所にどっかと腰を下ろした。
「部長ーー今度は何やらかしたんですか?いつも尻拭いしてるのは俺なんですからね?あんまりやりすぎないでくださいよ」
そう言いながらもお茶を出すのは、二年生である葛西暮斗先輩である。優しげな印象を与えるブラウンの瞳に同じ色の髪。三年生である部長と副部長が揃って変人であるうちの部では、唯一の常識人はこの先輩しかいない。私も人からはどこか冷めていると言われるし、もう一人一年生がいるが、そいつは部長たちと同じくらいわけがわからない存在だし。
「あ、佐原もお代わりいるか?」
「ありがとうございます、いただきます」
……こういうところがオカン気質なため色々と面倒ごとに巻き込まれていると思うのは私だけだろうか。
「それで八代君?今回は何があったのかしら?」
腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪に切れ長の涼やかな目。三年生で副部長の三ノ宮鈴音先輩だ。明治から続く旧家である三ノ宮家のご令嬢なためどこか抜けているところがあるが、本人はそういうのを鼻にかけることも無く、優しい先輩である。そして大変怒ると怖い。一度だけ見たことがあるが、あれはまさしく口は笑ってるけど目が笑っていないという状態であったと思う。
「時塚の野郎、活動実績が無い部に出す予算は無いとか言いやがった!生徒会も予算が厳しいんでねだあ?こっちもカツカツでやってんだよ!全部自費負担にしろってか!」
げ、それは困る。写真の記録に必要なSDカード、印刷に必要な紙。自前の設備で印刷できないなら写真屋に持ってく必要があるし、その印刷代だってかかるのだ。
それにしても今回は真っ当な理由で部長が怒っている。何時もは良い画がないとか言って自分で作ろうとして他の部から苦情が来るのに。
そしてそれになぜか怒る。
相手が生徒会長からだろうか。この学校の生徒会長は時塚礼二。あ、いけない一応先輩だった。なんでも部長とは小学校からの犬猿の仲だとか。運動会の徒競走での順位争いやら合唱コンクールでどの曲を歌うとか私からすれば大変どうでも良いことで争いは続いているらしいが全て部長が勝っていることがどうも許せないらしく、今でもこうして色々ふっかけて来る。
でも生徒会長の主張にも一理あるのだ。今は文化祭前の九月で私たち一年生が入部してからそろそろ半年近く経とうとしている。なのにだ。
写真部なのにそういう類のコンクールだとか撮影会だとかには一切参加していない。
流石に言い訳も聞かないだろう。
「で、どうするんですか?確かに私が入ってから全くと言って良いほど写真部らしい活動してませんし。このまま何もしないのもどうかと思うんですけど」
そう言えば部長の目が良くぞ聞いてくれた!とでも言うようにキラリと輝いた。なんかまずい予感がする。
「これを見ろ!」
そう言って差し出されたチラシには「青春の思い出!文化祭写真コンクール!」と書かれていた。詳細を見ると文化祭で撮られた写真限定のものらしい。うちの学校の文化祭は二週間後。ちょうど良いから参加しようとでも考えたのだろう。
「これに応募するんですか?」
「ああ!個人で良いと思ったものを撮ってもらう。一人一つは必ず出すからな。まあ頑張れ!」
そんな言葉を残してその日は解散となってしまった。正直もっと聞きたいところもあったけど部長に言ったところで回答が返ってくることは100%ないという事がこれまでの経験でありありとわかる。そういえば今日来なかったあいつにもこの話を伝えなければ。水沢敦。もう一人の一年の写真部員だ。同じクラスだからという理由で連絡を任されてしまった。あいつはいつも寝ているくせに女子人気がすごいのだ。面倒くさいと思いながら家に帰った。
「…………」
目の前の光景がただただ鬱陶しい。正確には私の後ろの席の水沢の席に群がる女子軍団が。なんなのだろうかこれは。私がコンクールのことを伝えた途端この有様だ。主に「私のこと撮ってよ~」なんていうものだが。お陰で私は自分の席に座る事ができなくなってしまった。チャイムが鳴るまでこのままか。そう思っていたら水沢が「安眠妨害だから消えて~」と言ってまるで波が引いていくように女子軍団が去って行った。一応礼を言って自分の席に座る。そうするといつもありがとねえなんていう謝辞が返ってきた。まあ部活の連絡とかは全部私が伝えているし。携帯があるだろうと言われてもこいつは滅多にチェックしないから結局のところ口頭で伝えるのが一番確実なのだ。そんなことを考えていたらキーンコーンと間抜けなチャイムが鳴った。
幾日かたった放課後。これは一体どういう状況だろうか。文化祭は明日なのだが目の前のクラスメイトに頭を下げられている。
「お願い!明日主役やるはずだった子が捻挫しちゃって……後サイズが合いそうなのが佐原さんだけなの!」
そして目の前にあるのは手首まである広がった袖にデコルテを綺麗に見せるようにカットされた胸元、おそらく足首辺りまであろうプリンセスラインのスカートはウエスト辺りから二枚、三枚とシースルー素材の生地が重なっている。生地は所々ラメが混じっていて舞台ではライトに照らされてキラキラと輝くのが想像される水色のドレス。うわあ、これを作った家庭科部の子かなり張り切ったな絶対。これを見てわかる人はわかるだろうが何を隠そう「シンデレラ」の舞踏会の衣装である。うちのクラスは「シンデレラ」を文化祭でやることになっていた。水沢に王子役をやって貰いたかった一部の女子たちに推されたからだが。主役はそういう子たちを押し退けて演劇部の子がやることになっていた。が、当の彼女が足を捻挫してしまったらしい。医者には一週間は安静にしていないといけないと言われたらしく急遽代役を探していた。身長が近い子で彼女のサイズで作られたドレスを着れる子を探していたのだがみんな合わず、最後に残ったのが私、ということらしい。本当ならば断りたいがここまで頭を下げられては断るのも悪い感じがする。とりあえず試着してみるということでドレスを受け取った。
何なのだろうか、これは。着てみたドレスはぴったりだった。
「これならいけるよね!」
「ちょっとウエストが緩いけどこれなら直せばいける!持って帰って仕上げるね!」
あっという間にドレスは取られ、代わりに押し付けられたのは台本。ペラペラとめくれば結構セリフが多かった。主役なのだから当然か。ああ明日は厄日になりそうだ。大きく一つため息をついた。通りかかった水沢にお疲れって言われた。あいつ自分が王子役だってこと忘れてないか?
当日。なぜ今舞台袖にいるのに眼の前で部長が笑っていて涼音先輩が優雅にお茶を飲んでいて葛西先輩が所構わず頭を下げているのでしょう?答え、撮影しに来てたから。舞台裏……青春だ!by部長。いやなんで?みんな困惑してるよ?一言で言おう。迷惑。ああ突っ込みが追いつかない。とりあえず叩き出そう。涼音先輩がお茶を飲み終わったらしいので、グイグイと背中を押して外に出した。あの先輩たちと渡り合えるなんてすごいねなんて言われた。解せない。第一水沢も写真部員だろうが。なのにあいつは呑気に昼寝してた。とりあえずむかついたから叩き起こした。さてそろそろ開演の時間だ。多分なんとかなるだろう。パッチワークみたいなつぎはぎの長袖ワンピース。頭には三角巾的なもの。衣装にも着替えて準備完了。舞台の幕が上がる。
「むかしむかしあるところにシンデレラという一人の少女が居ました。シンデレラは優しいお父さんと暮らしていましたが、お父さんが死んだ途端に継母と二人の義姉はシンデレラを屋根裏部屋に追いやり、召使として扱うようになったのです「シンデレラ!私のドレスを洗濯しておいてちょうだい!」「それが終わったら掃除だよ!」しかしそんな日々の中でもシンデレラは美しく成長していきました。そんなある日のこと、お城からの招待状が届きました」
「まあ、王子様の花嫁選びですって。ちょうど良いわ、貴女たち、これに行きましょう」
キャッキャとドレス選びに勤しむ継母と二人の義姉。それを見たシンデレラは自分も連れて行ってもらえるように頼むが大量の仕事を押し付けられる。しかし地味にこの洗濯物の山が重い。腕が痛くなる。ここで一度舞台袖に引っ込むんだったっけ。客席から完全に見えないところまで入って舞台の方を見る。今、ライトが揺れたような気がしたけど偶然だよね。
「おお!このガラスの靴がぴったりと!貴女だったのですね、私の探していた人は!」
劇の終盤。クライマックスともいえるガラスの靴がシンデレラの足にぴったりだと分かるシーン。王子様役の水沢が私の前でガラスの靴を履かせている。これ結構こっぱずかしいんだけど。ぴったりなのも当然だ!だって元の主役の子の足のサイズと私の足のサイズは同じなんだから。おっと、集中集中。
「シンデレラ、どうか私と結婚していただけないでしょうか?」
「私でよろしいのならば……喜んで」
水沢の手を取り座っていた椅子から立ち上がろうとした時。
ガシャァァァン!
真上のライトが揺れたと思ったら落ちてきた。……落ちてきた?とっさのことで体が動かない。当たることを覚悟してギュッと目を瞑る。
「……っ大丈夫?佐倉」
目の前にあるのは水沢の胸。どうやらとっさに手を引いてくれたようだ。よかった、無事だった。と、そこで沸き起こるキャー!という歓声。こいつ、私のことを横抱き……俗に言うお姫様抱っこしやがった。
「さあお城に向かいましょう。シンデレラ、私の愛する人よ」
そのままスタスタと水沢は歩き、舞台袖に入ってしまった。よくあんな赤面するようなセリフを堂々と言えるね!私だったら絶対無理だ。
慌てたようにナレーションが入る。
「これで平気でしょ。一応舞台を止めなかったし。にしても危ないこともあるもんだねえ。ライトが落下とか。ま、怪我がなくてよかったんじゃない?」
そう言って去ってしまいそうな水沢を慌てて呼び止める。
「水沢!あの……ありがとう。多分引っ張ってくれなかったら私怪我してたし」
「ん〜別に普通でしょ?目の前で人が困ってたら助けるのは」
パシャ!
なんだ今の音は。そう思って顔を上げるとそこにいたのは部長だった。そしてカメラを構えている。なんでそんなにニヤニヤしてるんですか。というかなんでそこにいる!そこまで考えてはたと思い当たった。今私結構恥ずかしいことしてね?ドレスのままで手は水沢の手を引っ張っている。そう思うと顔が熱くなっていく。
「お、貴重な佐倉の赤面顔頂き〜青春だな!」
また撮られた。サムズアップしなくて良いですから。あー腹たってきた。
「部長……その写真今すぐ消去してください」
「やだね!これは貴重な青春の1ページ!さらば!」
あ、逃げた。しょうがない、追っかけるしかないか。私も部長を追って走り出す。知らず知らずのうちに笑っていた。
後日、あの写真はキッチリとコンクールに出され、何故か賞を貰ったことを記しておく。
多分この後佐原ちゃんは水沢くんを意識しません。でも水沢くんは気になってくる。そしてこの件で一番胃を痛めたのは葛西先輩。頑張れ苦労人。