Episode 71
疑ってしまったが、大森麻衣は自分の役目をしっかりと果たしてくれた。
感謝すべきだろう。彼女の無事を強く祈るばかりだ。
周囲に静けさが戻って何分経っただろうか。
やがてリカはその緊張を徐に解いていく。
俺もそれに合わせて束縛からリカを解き放つ。
そして何方からでもなく、ほぼ同時に扉を開け、クローゼットの外に出た。
出るなりリカはヘナヘナと座り込んでしまう。
その目の前には夥しい量の血液。それはすぐにでも輸血が必要であろう量だった。
願い虚しく彼女は恐らく……。
俺達は沈黙を保ったまま只その場に居続けた。
発する言葉も見当たらないで居ると、程無くして辺りに啜り泣く声が響き始める。
「ヒック…………ヒック…………うぅぅ…………うぇ…………うわぁぁぁぁん!!」
間も無くそれは声を張る物へと変わった。
正直、まだ物音を立てるのは危険に思うが、俺にはリカを止める事は出来なかった。
リカが慟哭するのを初めて見たからだ。
そしてそれは俺に初めて見せた"明確な負"の感情でもあった。
今は只泣かせてやろう。感情の赴くままに。
思えば今まで殆ど能天気な態度を取って来たリカだが、その実ではやはり沢山の我慢をして来たに違いない。
こんなにも幼く、こんなにも小さな身体で、どれだけ悲惨な運命に翻弄されなければならない?
マッテオはこんな少女を弄んで何をしたいのか。彼に対する怒りが再び込み上げる。
気付けばリカの泣き声も落ち着いていた。
一通りの感情は出し切ったらしい。
「リカ…………俺はもうマッテオ達を許す事が出来ない。俺達が何をした?只生きようとしただけだ。それなのに奴等は俺達の友人にも手を出した。リカも分かっただろう?友人を殺される気持ちを。相手を殺してやりたいと思うだろう?」
「…………ヒック!」
「やはり俺はこれから反撃に出たいと思っている。攻撃は最大の防御にもなるからな。このまま逃げ続けているだけじゃジリ貧だ。だからリカは……。」
「シカさん……。私は何て無力な存在なのでしょうか……。」
「は?」
「私が何故声優を目指したか。それは人の助けになれる一員になれたら良いなーと思ったからです。」
「ちょっと待て!何の話をしてるんだ!?」
「アニメを観て励まされたり、また勇気を貰う人達もきっと居る筈です。子供の頃の私の様に…………。」
待て待て待て!脱線にも程がある。
「"絵"に"命"を吹き込む作業。いくらアニメーターさん達が頑張ってくれても、私達の力量次第で良くも悪くもなってしまうんです。」
「リカ!一度落ち着いてくれ!」
「だから私はどうしたら人々に感動を与え、どうしたら落ち込んでいる人の励みになれて、どうしたら皆んなが幸せに成れるのかを考え、それをずっと目標にやってきました。」
「…………。」
「でも!!!私は目の前の友人すら救えなかった……。」
再びリカの目からは大粒の涙が溢れる。
「おいおい!仕事の話とごっちゃにしないでくれ。これは眼前で起きている事なんだ!」
「私にとってはどういう状況であろうと目指している事は同じです。」
まただ…………。
「ならば諸悪の根源を潰せば良い。それが皆の幸せになる。リカの目指している物だ。」
「それは……良くない事だと思います。」
また理想論か……。
「何故だ!?俺の心配か?なら大丈夫だ!今回は俺も冷静だ。無茶はしない。少しずつ、ゆっくりと確実な行動をする。」
「もちろんシカさんの身も心配ですが、そう言う事じゃないんです。」
「じゃあ何だ?リカが皆が幸せになる様に解決したいんじゃあないのか??」
「そうですが、反撃をすれば解決するんですか?」
「あぁきっと良くなる!」
「私はそうは思いません。こちらから攻撃すれば相手方にも亡くなる方が出ます。それは更なる怒りを買い、報復されます。その対象はまた私達の周りの方かもしれません。前にも言いましたが、憎しみの連鎖は1度始めたらきっと止める事は出来ません。」
「だがこのままではこちらの被害も増えて行く一方だぞ!犠牲者もまだ出る。」
「だからと言ってシカさんが人を殺して良い理由にはなりません。それに私の"皆んな"の範囲にはもちろん真帝王さん達も含まれます。」
「大森麻衣を目の前で殺られてもまだそんな甘い事を言っているのか!?」
「…………はい。私の気持ちは変わりません!」
「ッ!!…………。」
反論を言い掛けた所で俺は言葉を飲み込んだ。
唇を噛み締めているリカのそこからは、真紅の血が滲み出ていたからだ。
あぁ……何故この娘はいつもこんな状況でロボットの様に理想論をブチ撒けるか分かった気がする。
そうする事で自分を奮い立たせているんだ。
自身の中にある理想。それと現実のギャップ。
それに自分が壊されてしまわない様に。理想を変えられてしまわない様に。
今一度俺に話す事で再確認しているんだ。
自分の理想に自信を持ってまた前に進んで行く為に。
リカだって必死に耐えている。
悲しかっただろう。悔しかっただろう。
大森麻衣を目の前で失った事は大きなショックだっただろう。
それでも相手を憎まない。
だってそれがリカの中にある信念なのだから……。
「分かった。反撃はしない。今回はリカの気持ちを尊重する。」
「本当ですか!?ありがとうございます!だからシカさん大好きです!!」
弱々しくなんて無い。
例え心が割れてしまっても、自分で欠片を拾い集めて自分で修復する。
そんな強さがこの娘にはある。
俺もグダグダ言ってられないな……。
この時1つの決心を固めていた。
頃合いを見てホテルを出た俺達はとある街へと向かった。
俺には馴染みの深い場所。そして因縁も多い場所。
夜でも眠る事の無いその街は、今日も綺羅びやかに人の往来を照らしている。
そんな人混みを避け、向かうは俺の"元"拠点。カビ臭いボロアパートだ。
「六本木って初めて来ましたがなるほど、噂通りの大人の街って感じですね!そして賑やかです!」
大人と言うよりヤンチャな街だと思うが……。
リカは努めて明るく振る舞ってくれている。きっとまだ先程のショックは消化しきれて無いだろうに。
そんな華やかな表通りを抜けると、すぐに淀んだ雰囲気の場所に出る。
表と裏で違う顔をする街。何処でも管理の行き届いている日本では数える程しか無い。
そんな一角に目的地のアパートはある。
「ここは何とも……さっきまでの喧騒が嘘みたいです。」
「ボロいだろ?ここらにある建物は殆どが古いんだ。悪いが今日だけここで我慢してくれ。」
「そんな事ないです!何と言うか……そう!!!ノスタルジックを感じます!!!」
物は言い様だ。
部屋を開けると相変わらずのカビと埃の臭い。しかし前回訪れてから1ヶ月も経っていないので幾分かマシだった。
そう言えばいつか大掃除をするつもりでそのまま放置をしていたな。
「すまない……あまりここには来ないからな……。すぐ掃除をしよう。」
「それなら私も手伝います!!」
2人で掃除を始めた。
とは言ってもそれ程大きくはない部屋だ。それはすぐに終わる。
「ふぅぅ~。こんなもんですかねぇ。」
「充分だろう。ありがとう。手伝ってくれて。」
「いえいえ私なんかお礼しきれない程シカさんのお世話になってますのでw それよりあの飾ってあるポスターの数々……。シカさん南国お好きなんですか?」
相変わらず色褪せた旅行代理店のチラシが壁には飾ってある。
その内容は期限が切れ、意味の無い物となっているが、外す理由も無いので何となくそのまま貼っている。
「そうだな……何処かに行ってみたいと思っているんだが……。」
思えばマッテオからの最後の仕事の後に、何処か休暇に行く計画もあった。
それが今はこんな事になってしまっているが…………。
「私はギリシャをオススメします!!」
「ギリシャか…………。」
候補には入ってなかったが、確かにギリシャはエーゲ海やイオニア海、アドリア海など地中海を構成する多くの海域に島を持っている。
殆どの場所での気候は1年中温暖でまぁ南国と言えるだろう。
「何故ギリシャなんだ?」
「私行った事あるんですよ!と言うか今までで唯一の海外旅行だったんですが、母に連れられてとある島を目的に行ったんです!」
家族旅行で海外か…………。
嫌な物を思い出す。
「その島の名はザキントス島と言うんですが、そこはぁ~なんとぉ~ウチの母の大好きなアニメの主人公、飛行艇乗りのブタさんが根城にしているアジトのモデルとなったと言われている島なんです!!!凄くないですか!!?」
またアニメの話ですか…………。
と言うか豚の飛行艇乗りとはどんな世界だ?
「凄いと言われても……俺はアニメを全く知らんからな……。」
「えぇ~!知らないんですかー!!?世界的にも有名なアニメ映画の筈なんですが……。私も昔お母さんに観せて貰ってもちろん大好きになりました!!だからシカさんも観て下さい!!!」
「……あぁ。その内にな。」
「絶対ですよ!?観た後に聖地巡礼に行けばきっと楽しいです!w」
俺もそのアニメ宗教とやらに入信しろと?
確かにリカの影響で興味は持ちつつあるが。
しかしリカの家族は一家で本当に筋金入りのオタクらしいな。
例外の父親だけをハブらない様にしてくれるのを願うばかりである。
取りあえずザキントス島かどうかは置いといて、ギリシャが候補に加わったのは言うまでも無い。
まぁ俺としてはカリブ海に1番興味があるのだが……。
次の日、俺達は日が暮れるのを待って行動した。
そう……俺が態々この街を選んだのには理由がある。
リカのあんな姿を見せられてはもう形振り構う訳にはいかない。
向かう先は……"ボラカイ"だ!!
5章完