Episode 64
「それって…………え!?」
俺の横にある物体を確認したのか、目を見開き、口元を手で押さえるリカ。
クソが……これは春鳥の連中の仕業に違いない!
マッテオの野郎!俺の周りにまで手を出し始めやがった!!
「一体どういう状況なのでしょうか……?ここへは何をしに……?」
「……してやる!」
「えと……何でしょう?」
「殺してやる!春鳥の奴等皆殺しだ!!」
「シカさん!?」
恐らくは俺もストレスが大分溜まっていたのだろう。
キムラが殺されたと言う事実を受け、鬱憤を抱えていたダムは決壊し、憎悪の感情が俺を支配した。
「ちょ!シカさんどちらへ?」
もうリカの言葉は耳に入って来ない。
俺は脇目も振らずにバイクへと向かっていた。
作業場から丁度外に出た所で不意に左手が引っ張られる。
振り返るとリカが俺の袖口を両手で必死に掴んでいた。
「シ……シカさん!!!何をしようとしてるんですか!?」
ふと我に返るが、この血が煮え滾る気持ちは変わらない。
「離してくれ。マッテオを殺しに行く。」
奴の家は以前渡されたメッセージで分かっている。
しかもこの時間は寝ている事が多い。襲撃するには持って来いだ。
「ダ……ダメですよ!約束したじゃないですか!もう殺生はしないって!」
「それはリカに関わる事の場合だ。俺個人の問題は関係無い。」
左手を振り払おうとするが、意外にも大きな力で掴まれているそれは解けなかった。
「ぅぅ……そんな屁理屈を……。」
実際約束の後も何人も殺している。今更罪悪感も無い。
「とにかく!行かせる訳にはいきません!落ち着いて考えて下さい!」
「俺は冷静だ!」
「冷静じゃありません!シカさん怖いです……。瞳孔が開きっぱなしですよ?」
「良いから離せ!」
「ダメですぅ……!」
本気で振り解こうとそのまま歩き出すが、リカは引き摺られるだけで一向に離れない。
「一回止まってゆっくり考えて下さい!そして私に話して下さい。何が起こっているのかを……。」
「リカに話してどうなるんだ?」
「人に話す事によって気持ちが落ち着くかもしれません。それに……何か助けになれればって……。私何も分かって無いので……。昨日の事も……シカさんあんなに疲れた顔して帰って来たのに、私は何も助けてあげる事が出来なくて……自分が不甲斐無くて……。」
「…………。」
何か勘付かれていたらしい……。俺もポーカーフェイスが下手だな。
ふと足を止めてしまう。
リカはへなへなとその場に座り込んだ。俺の袖を離さぬまま。
これでは動けない。
「ハァ……止まってくれました……。さぁ話して下さい!」
下から見上げるリカの表情は何処か力強いモノだった。
「仲間が……殺されていたんだ。」
「さっきの…………。」
今度は泣きそうな顔になっている。
そう。キムラとは仕事の関係と言うより友人に近い関係だった。
仕事以外で連絡を取り合っていた訳では無かったが、会えば軽口を叩き合う。
偶に俺の事を心配し、アドバイスをくれる事も多々あった。
そんな仲だった。
「俺のせいだ……。俺がアイツと懇意にしていたせいでマッテオに目を付けられた。」
「シカさんのせいではありません。私がシカさんを巻き込んでしまったから……私のせいです。なのでどうか自分を責めないで下さい。責めるならどうか私を……。」
「悪いのは全部マッテオだ。だから俺は奴を殺しに行くんだ。そうすればリカも命を狙われる事も無くなるし、万事上手く行くじゃあないか!」
「いけません!誰かを犠牲にして得られる物なんて……そんな事は間違っていると思います。だからそんな怒りに任せる様な行動はしないで下さい。」
「じゃあリカは友達が……家族が殺されても冷静でいられるのか?相手を殺してやりたいと思わないのか?」
「それは…………。私には想像も出来ない痛みです……。ですがきっと復讐からは何も生まれない!それくらいは私にも分かります。」
「そんな状況でも相手を許せるって言うのか?」
「…………はい。きっとそうするでしょう。」
呆れるくらい理想論だ。実際味わった事が無いからそんな事が言えるんだ。
人間の感情なんて醜くてドロドロしてる。きっとリカもそれに気付く時が来る。
「取りあえず落ち着いて貰えました?」
「…………あぁ。」
確かに興を削がれた様な気分だ。
もう特攻する気は失せていた。
「ハァ……シカさんと居ると握力が鍛えられますねw」
漸くリカが俺の袖を離した。
その手はまたしてもプルプル震えている。
「リカまた少しここで待っててくれ。別に変な行動を起こすつもりじゃあない。友人を弔ってやるだけだ。」
「…………はい。分かりました。」
俺は精錬所に戻りキムラの腕の元へと向かった。
千切れた作業着がボルトに絡まり、隙間風に揺れているそれは今だに血の気が濃く、死んでから然程時間が経過していない事を物語る。
本体は…………。きっとあの中だろう。
口を開け、咆哮と熱を発し続ける、まるで怪物の様な炉を見つめる。
皮肉なもんだな。
普段遺体処理をしていた装置に自分が処理されるとは。
きっと俺もそんな因果応報を受ける日がいつか来るだろう……。
キムラの腕から時計を外して自分の左手に付けた俺は、絡まっているその腕を解いて高温炉へと向かうコンベアーに投げ入れた。
地獄で片腕じゃあ不便だろ?忘れずに持ってけ!
流れ作業の中に戻った腕はやがて怪物の口へと入り、その存在は跡形もなく消えるだろう。
今回は最後まで見届ける事無く、俺はその場を後にした。
「待たせたな。帰ろう。」
「シカさん……大丈夫ですか?私こんな時にどんな言葉を言えば良いか分からなくて……。」
「心配するな。俺は平気だ。」
俺だって分からないさ。
気の利いたセリフはどうやったら言える様になるんだろうな。
バイクに跨り急いで現場を去る。
目撃されてあらぬ誤解を受けても面倒だ。
走り出した俺達は真っ直ぐにICへと向かう。取りあえずは東京に……。
次の手が有る訳では無いが、身を隠すならやはり人の多い所の方がマシだ。
「シカさんは……もっと自分も大事にして下さい。死にに行く様な事は止めて欲しいです。もしさっき行かせてしまっていたら……。」
確かにマッテオの所に突撃したって、返り討ちに遭うのが関の山だ。
アクション映画の様に1人無双する事など現実では有り得ない。
「俺が死んだって社会から犯罪者が1人居なくなるだけさ。」
「そんな事…………。」
どう取り繕ったって世間から見れば俺は人殺しの犯罪者。
今更自分を正当化するつもりなど微塵も無い。
クソみたいな俺は、同じくクソに塗れた組織と潰し合って消えて行くのがお似合いだ。
リカは押し黙ってしまった。返す言葉も無いのだろう。
蒸し暑い梅雨の季節の、それでも明け方の涼しい潮風が俺達を包んだ。
しかし空を見れば今日も雲が広がっている。昼過ぎからは雨の予報。
俺達の行末を写している様な曇天に溜息が漏れる。
「やれやれだ。」
事態は全て悪い方向に向かっている。
ふとリカを重荷に感じてしまっている自分が居た。
この娘が居なければ……などと考えてしまう時もあった。
保護者を捜しているのはリカの為と言いつつも、誰かに押し付けたいのだろう。
自分で勝手に助けておいて重荷になったら捨てたい。何とも身勝手な男だろうか俺は。
「それでも……私はシカさんが居なくなってしまうのは嫌です…………。」
リカの呟いた言葉はバイクの走行音に掻き消され、俺に届く事は無かった。