Episode 58
降り注ぐ雨の中をタクシーで走る。
水滴で濡れたウインドウは街灯の光を乱反射し、少し幻想的な装いをしているが、俺の目に些か眩しさを運んで来る。
「なぁ?その場所は遠いのか?」
造り出される景色に飽きた俺はどうでも良い事で話し掛けた。
「そうでもない。後30分位だ。」
「へぇ~……。」
聞いたは良いが、返答は全く耳に入ってなかった。
到着した先は江東区にある運河沿い、何かの事務所らしき建物。
再開発が進み華やかになる西側と違い、このエリアには今だに古臭い工場や倉庫等が建ち並ぶ。
雨足は強まり、まるで俺達の訪問を拒絶するかの様だった。
もう使われていないのか、建物内は薄暗く、カビの匂いが漂う。しかし荒れている訳でもなく、整理はされていた。
「先方は先に到着してる筈だ。外に車があった。」
アンクルに案内され、とある部屋へと入る。
俺の体はこの時酷く緊張していた。何故ならずっと1つの違和感を抱えていたからだ。
しかし確証が得られない以上は会っておくべきである。
「来たか。」
警戒しながら奥へと進むと、渋く低音な声が俺を出迎えた。
その人物に見覚えは全く無かった。
「シカリウスだな?会うのは初めてだが、私はお前の事を知っている。」
誰だ…………?
「この方は檜原さんだ。先方はお前の事を知っているらしいな。」
アンクルが紹介をするが、俺は身体の緊張を解す事無く思考を巡らす。
コイツは俺の事を知ってるが俺は知らない。
年齢は40代後半と言った所か……。
高身長に筋肉質の身体。腕には無数の傷跡。更に左頬から一直線に伸びた明らかな銃創、その先の左耳は一部が欠損している。
どう見ても堅気ではない。
「警戒されているな。当然の反応だ。しかし"ユキムラ"と言う名前に心当たりはあるだろう?」
ユキムラ?何処かで聞いた名だ。
はて…………。
!
「Slaughter Automaton……。」
「そうだ、そのユキムラだ。私と彼とは知り合いでね。お前の話は聞いた事があったんだ。」
「何と!それはオレも知らなかったな。」
【Slaughter Automatonユキムラ】
今でこそ知る者は少なくなったが、その昔は裏社会で知らない者は居なかった。
海外帰りの豪胆さと殺しへの非情さ、正確で機械の様な仕事ぶりからその名が付いたとされる。
俺よりも1世代前の殺し屋だ。何度か会った事もある。
暫く名を聞く事も無かったので忘れていた。
数年前の鏑木会と2大勢力であった天堂組の全面抗争に関わり、引退したとも命を落としたとも言われている。
「ユキムラのおっさん生きているのか?」
「あぁ生きているぞ。今はまた違った生き方を歩んではいるが。」
「おっさんとはどんな関係なんだ?」
「ユキムラとは米国軍外人部隊の同じ日本人としての同期だ。」
「米軍には外人部隊は存在しない筈だが?」
「そりゃ建前だ。実際現地の前線には多くの民間軍事会社の兵士が投入される。民間軍事会社と言えば聞こえは良いが、殆どが米国軍専属の外人部隊だ。私達はその中の1部隊に居たって訳さ。」
その通りだ。この檜原とやらは事情には詳しいらしい。
「私達は中東アジアに派遣され、共に死地をくぐり抜けた戦友って奴だな。だが戦争が沈静化すると共に部隊も解散となった。そこで私とユキムラは日本へ戻り、腕の立つ彼はフリーに、そうでない私は組織の用心棒として袂を分かってしまったが、交流は続いていたんだ。」
「鏑木会か?」
「そうだ。尤も今は芸能協同組合のカスタマーサービス部の部長という事になっている。専ら荒事への対処が仕事だが。今だに強請りや集り等も多い業界だ。私の様な存在も必要なのだ。」
これでリカとは繋がった。しかしそれが保護者となり得る理由にはならない。
「アンタは俺の事情についてどれだけ知っているんだ?」
「私はお前の事情など知った事では無い。目的は堀井梨香君の保護だ。」
「堀井梨香は死んでいるかもしれないぜ?」
その言葉に急に険しい表情になる檜原。
「もしテメェが本当に殺したと言うのなら、私がこの場でテメェを殺す事になるだろう。」
「へぇ……そんな老いた身体でそれが出来るとでも?」
「おいおい止めてくれ!ここには喧嘩しに来たんじゃないぞ?」
今まで黙っていたアンクルが見兼ねて口を挟んだ。
「いや私の冗談だ。すまない忘れてくれ。」
冗談の目付きじゃあ無かったぜ?
「それで……何故に堀井梨香を保護したい?こっちはアンタの所属する組織にも秘密裏にという条件を出している。裏切るつもりか?」
「裏切るつもりは無い。しかし春鳥興業と協力関係にある現在の鏑木会や、芸協もあの娘にとって安全では無い。春鳥はあの娘に対して何かを企んでいた。そのくらいは私にも分かる。だから先ずは私が個人的に保護する。勿論その後味方は増やしていくつもりだが。」
「だからその保護する理由は何だ?」
「そうだな……私はあの娘のファンなんだ。」
「ハイ?」
コイツ何だ?何を言っている?
「仕事で何度か顔を合わせた事があったんだ。あの娘はこんな見た目の私にも屈託の無い笑顔で接してくれた。それは恐れでも偽りでも自身の保身でも無く、心から発せられたものだった。こんな商売をしてると、目を見ただけで相手が何か企んでいるかどうかくらい分かる。しかしあの娘の瞳には一点も曇りも無かった。天使に会ったと思ったね。」
どっかで聞いた事がある言葉だった。
「人間の闇の部分を沢山見てきた。しかしそういうドロドロした部分を少なからず持っているのが人間だ。生きている以上色々な物を抱えるからな。しかしあの娘は一切そんな影を見せる事も無い、まるで天使だ!」
ニヤけながら話すその姿は、宛ら子を見守る親の表情の様だった。
嘘は言ってない様に感じる。もしこれが演技だとしたらとんだ食わせ者だ。
「じゃあ何だ……アンタはファンだから……それだけの理由で保護するつもりなのか?」
「そうだ。他に理由がいるか?」
確かに理由など口ではどうとでも言える。
変に尤もらしい理由よりかは逆にマシか。
「どうするんだシカリウス?オレは檜原さんは信用出来ると思うが?」
「そうだな…………。」
「だったら今から堀井梨香の所に行くのはどうだ?オレも仲介者として最後まで見届けるからさ!」
「…………。」
「サッサと移動しよう。檜原さんも良いか?」
「あぁ構わない。」
取りあえず3人は出口へと向かう。
「お前の噂は良く聞いていたぞ。確かに良い眼をしている。完全には闇に染まってない良い眼だ。」
歩きながら檜原が話し掛けてくる。
「10年近く前になるか……ユキムラが言って来たんだ。『良い眼をした若者に会った。腕も立つ。将来有望だ。』とな。それが君だ。」
10年前……確かに俺が"あの街"を出て今の仕事を始めた頃だ。
そんな事を言ってたのかあのおっさんは。でもあの頃の俺と彼は…………。
「ユキムラが人を気に入るのは珍しいからな。だから私はお前を信用したいと思っている。」
「俺はまだアンタを信用していないぜ?」
「それも致し方無い。急に信用しろって方が無理だ。しかしその頃の若造が、今では日本のヤクザ界に喧嘩を売る大物になったとは。ユキムラの言っていた事はある意味正しかったな。」
「うるせぇ……。」
「まぁ当時から只者では無いと言う話だったが。あのボラカイ設立にも関わっていたと言う噂もある。」
「……そりゃデマだ。」
関係者しか知らない情報も持っている。取りあえずユキムラのおっさんと深い仲なのは本当らしい。
それにコイツからは違和感を感じない。グルでは無いとするとアイツだけか……。
「10年以上前はボラカイなんて無かったからな。あの頃ユキムラがボヤいていたよ……フリーの大変さをな。それに……。」
「お二人さん。昔話が楽しいのはオレも分かるが、今後の話もしないか?」
またしてもアンクルが遮った。
「堀井梨香の所に行くんだろう?檜原さんの車に同乗させて貰っても良いかい?オレが運転しよう!彼女は何処なんだ?それにもういい加減無事なのか教えてくれよ。」
「…………何をそんなに焦っているんだ?アンクル。」
「!!!」